番外編「とある日常のこと」
朝は、患者がいない。──実に喜ばしいことだ。
おかげで「騎士の墓場」とまで謂われた騎士団の病室は閑散とし、専属医のロベルトは宿舎にある自室で睡眠を取ってから仕事場に足を運ぶようになった。
すると、白い布の塊が病室から出てきた。
「あのなぁ、ミーナ。いくら暇だからと言って、お前がここの使用人と同じように働く必要はないんだぞ?」
「ロベルト先生、おはようございます!」
目の前に現れたのはベッドのシーツを両手に抱えた少女だ。ヘルミーナ・テイト、それが少女の名だ。水属性を使うウォルバート一族の一人で、炊事洗濯とは無縁の貴族令嬢だ。
「朝食は机の上に運んでおきました。夕食は、先生の好きな羊肉の白ワイン煮込みだそうです」
「……人の話を聞け」
良かったですね、とシーツから顔を覗かせてきたヘルミーナに、ロベルトは額を押さえた。自分に不都合な話になると、華麗にかわしていくところは貴族令嬢っぽい。
だが、彼女の行動は下級貴族のロベルトでさえ驚かされることばかりだ。
「では先生、また後ほど。失礼します」
今にも落ちそうなシーツを抱え直し、ヘルミーナはそう言い残して廊下を駆けていった。もう呆れるしかない。
本来、ヘルミーナは地方出身の伯爵令嬢で、騎士団との関わりはなかった。
しかし、彼女が覚醒させた唯一の光属性により、今は王宮で保護されながら身分を偽ってこの騎士団の病室で働いている。
ヘルミーナの光属性による神聖魔法は、どんな怪我でも治癒してしまう特別な力だった。まさに医者いらず。病室から怪我人がいなくなったのも彼女のおかげだ。ロベルトが毎晩ゆっくり眠れるようになったのも。
けれど、その魔法は誰もがすがりつきたくなるような奇跡を発動させる。今はその存在自体隠されているが、いずれ全てが明るみになった時、彼女の身に危険が及ばないか心配だ。
それにヘルミーナは自己評価が低く、自己犠牲の強い女性だ。人の役に立つことを唯一の存在意義にしているような気がして、危うささえ感じている。
「まったく、厄介な部下を持ったものだ」
今この瞬間でさえ忙しく動き回っている彼女のことだ。騎士団内では護衛はいらないと言って、騎士団総長のレイブロン公爵を困らせているとも聞く。
上司としてやれることはしてやりたいが。
ロベルトは首の裏を撫でながら、遠ざかっていくヘルミーナの後ろ姿を見送った。
ごしごし、ごしごし……。
医療品として支給されている石鹸を使い、ヘルミーナは水場でシーツを洗っていた。水魔法を使えば水を汲み上げる必要はない。楽だ。
そういえば子供の頃、毎日のように洋服を泥だらけにして帰ってくると、母親の怒りがついに爆発して「汚した服は自分で洗いなさいっ!」と叱られたことがある。そして泣きながら洋服を洗っていると、メイドたちがこっそり手伝ってくれたことがあった。懐かしい思い出だ。
王宮に来てから、楽しかった頃の記憶を良く思い出す。嫌な記憶は決して消えないけれど、毎日が充実していた。
貴族令嬢から平民の娘へと身分を偽り、病室の使用人に配属されたことで他の使用人からはとても優しくしてもらっている。そのせいか、笑って過ごすことが増えた。社交界のパーティーや舞踏会に参加しているより、ずっと。
「見て、第一騎士団様よ!」
「朝の訓練じゃないと見られない光景ね!」
少し離れた場所から女性たちの声がして振り返った。そこには洗濯物を干すメイドたちが、演練場に向かう騎士たちを見つけて騒いでいた。
騎士団ごとに演練場の使用が振り分けられているため、朝の訓練だけは朝食を済ませた騎士たちが一堂に行動する。初めて見た時は圧巻だった。ただ、全員が揃うのは珍しく、とくに団長と副団長が一緒にいるのは稀だ。
「マティアス団長とカイザー副団長もいらっしゃるわ!」
「今日は運が良いわね」
ヘルミーナも誘われるように視線を上げると、演練場に向かう第一騎士団の姿を拝むことが出来た。赤い団服は遠くから見ても目立つ。
団長であるマティアスを先頭に、副団長のカイザー、その後にリックとランスが続いていく。ピリッと張り詰めた空気に、とても近づける雰囲気ではなかった。
王国騎士団の中でも最強の新鋭部隊だ。実力主義とあって、年に一度行われる決闘によって序列が決まる。彼らは強い者に従う。危機的状況に陥ったとき、命の選択を誤らないために。そう教えてもらった。
本当なら、貴族令嬢であっても彼らと知り合うことはなかった。メイドたちと同じように遠くから眺めるだけだっただろう。
でも今は、彼ら一人、一人の名前や顔を覚えているところだ。
彼らは騎士だが、同時に、同じ人間だった。傷つけば当たり前のように血を流す。仲間を失えば、その悔しさに歯を食いしばって耐え、悲しみを押し殺す。けれど、時には感情的になることもあった。
騎士として二度と復帰出来ない怪我を負った時、その傷を治癒した時のこと。子供のようにはしゃぐ彼らの姿を、ヘルミーナは見てきた。喜びに打ち震え、感謝の言葉を口にしながら込み上がる歓喜を隠そうともしなかった。
彼らと喜びを共有するたびに胸がいっぱいになった。
自分だけが知っている、彼らの素の姿だ。
ヘルミーナはその時のこと思い出すと、シーツを洗う手にも自然と力が入った。
一方、第三者視点から見る彼らの姿はなかなか興味深いものがあった。
誰が人気で、誰が優しくて、誰と付き合いたいだとか。使用人の女性たちが語ってくれる話は尽きない。
そのすべてを鵜呑みにしたわけじゃないが、しかし、騎士団一のプレイボーイにだけは気を付けようと心に固く誓った。
そんな、とある日常のことだった。
※尚、ヘルミーナが使用した水場は神聖化している可能性があるため確認が必要とのこと。
他のキャラの日常も今後書いていきたいと思います。




