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落ち着きを取り戻したヘルミーナは、カイザーと共に宿へ戻った。
部屋に着くなり、荷物番をしていたメアリは心配した様子で駆け寄ってきた。指示を受けたリックがルドルフと連絡を取るために、宿へ戻ってきたのだという。
何かあった時のためにルドルフから渡されていた通信機を、こんなに早く使うことになるとは思わなかったと、リックの小言まで教えてくれた。
メアリは「とにかくご無事で良かったです!」と言いながら、魚の串焼きを頬張った。安心したらお腹が減ったらしい。メアリ用の串焼きはリックが届けてくれたようだ。
ヘルミーナたちはメアリにも情報共有が必要だと考え、起きた出来事を話した。
しかし、婚約者であるエーリッヒの名前を出した途端、メアリは「すぐに始末してきます」と部屋を出て行こうとした。慌てて止めるも、カイザーもまた「私も付き合う」と煽るものだから、二人を引き止めるのに苦労した。
「ところでカイザー副団長はこのままこちらに?」
「……一週間ほど休暇をもらってきた」
「また屋敷でも破壊されましたか?」
「いいや、王太子殿下の護衛任務を怠った理由で一週間の謹慎処分だ」
「殿下に同情します」
ドア付近で立ち止まられているだけでも物騒なのに、メアリとカイザーの会話もなかなかだ。
ヘルミーナは二人の服を掴んだまま、聞かなかったふりをするように視線を泳がせた。
「それでは追加で部屋を取って参ります」
「助かる、メアリ。私は一度騎士団のいる病院に行って様子を見てくる。リックたちももうすぐ戻ってくるはずだ。それまでミーナ嬢の護衛を頼む」
「承知しました」
会話を終えた二人は揃って視線を向けてきた。
ヘルミーナは彼らの服から手を離し、誤魔化すように咳払いをした。それからカイザーに向かって「お気をつけて」と笑顔で見送れば、肌にピリッと焼け付くような痛みが走った。
隣にいたメアリは「副団長、今すぐ出て行って下さい!」と、カイザーの体を押しやって部屋から追い出した。
何が起きたのか分からないが、ヘルミーナは痛みの走った肌を軽く撫でた。
「言っても無理だと思いますが、ヘルミーナ様には自重するようにと、ルドルフ殿下より言付かってます」
「…………はい」
宿に戻ってきたランスとリックは少しばかり疲れた顔をしていた。
ヘルミーナは用意された椅子に、小さくなって座った。このまま水になって溶けてしまいたい。当然、そんなことは許されるはずもなく、彼らからミーナテイル号の対処について聞かされた。
ルドルフの命令により、ミーナテイル号で「契示の書」による魔法契約を交わしたのは船長のロッドだけだった。乗組員にとってロッドは父親のような存在だ。彼の命が握られた今、表立って秘密を漏らす者はいないだろう。
だが、人の口には戸が立てられないのが世の常だ。
そこで「使えるものは使わせてもらおう」と考えたルドルフは、ミーナテイル号の乗組員たちにも噂を流してもらうことにしたようだ。商船だったこともあり、他国から乗せた乗客が奇跡の魔法を使って怪我人を治してくれたという、嘘と真実が混じった話を広めてもらうことになった。
人物の特徴は事実と異なる内容でお願いすると、乗組員は喜んで受け入れてくれたという。
聞きながら、ヘルミーナは顔が綻ぶのを隠せなかった。直後、ルドルフからの伝言を聞かされて背中を丸めた。
「まあ、まあ。ミーナちゃんだって反省してるし。あの状況だったら俺だって同じことをしてたよ。元はと言えば診るのを拒否した医者のせいじゃん?」
「……そうだな。それは副団長が戻ってきたら訊いてみよう」
やはり騎士団を口実に使われたのは、二人にとっても良い気分ではなかったのだろう。複雑そうな表情を浮かべるリックとランスに、ヘルミーナも視線を下げた。
心の拠り所にもなっている町で、こんなことが起きるなんて残念でならなかったのだ。
四人はそのままカイザーの帰りを待っていると、彼は夕食の時間までに戻ってきた。
病院にいる仲間の様子を見に行くと、皆思ったより元気そうにしていると話してくれた。もちろん空元気だろう。
病院で治療を受けている者たちは、騎士への復帰が絶望的な者たちだ。それでも命があっただけ良かったと、話してくる騎士の話を聞かされて胸が痛くなった。
それから船乗りたちの治療を拒んだ医者の話も教えてくれた。近頃、カレントでは急速な町の発展により、造船業や交易の事業が競い合うように行われ、一気に増えた船乗りまで管理が行き届いていないのだという。
「騎士団を口実に使ったことは別の騎士に頼んで注意してもらったが、船乗りたちはそれぞれの管理下にあって手が出せない。病院側が治安部隊と連携し合って事件を未然に防ぐしかないだろう」
「それは仕方ありません。船乗りの中には、貴族が所有している商船や貿易船の乗組員ということもあります。騎士団が下手に首を突っ込むのは避けたほうが宜しいかと」
大事になれば現在遂行している計画も大幅に変更しなければいけない。白紙になることだけは絶対に避けなければいけなかった。
カイザーはリックの言葉に頷き、赤い髪をくしゃりと握りしめた。
「あの、ひとつ宜しいですか?」
「どうしたの、ミーナちゃん」
「ミーナテイル号の船乗りたちが噂を流す件ですが、本日のような騒ぎになったりしないでしょうか?」
奇跡の魔法によって怪我を治癒されたと噂を流せば、今日のような群衆がまた押し寄せてくるんじゃないかと心配になった。協力は嬉しいが、それによって船乗りたちに危険が起こるのはどうしても避けたい。
「それは大丈夫だ、心配いらない」
「ええ、幸いにも彼らの怪我を医者が診たわけでもありませんし、事実を話したところで信じてはもらえないでしょう。それに明日になれば、皆の関心も変わっているはずです」
前半は随分トゲのある言い方だったが、リックの説明にヘルミーナも納得した。
ミーナテイル号の惨状を目撃しているのはヘルミーナたちだけだ。それなら、いくら怪我が一瞬で完治したと言ったところで信憑性に欠けるだろう。
噂はすぐに信じてもらう必要はない。本来の目的は至る所で似たような噂が流れ、関心を集めながらも撹乱させることにある。正体が暴かれるのを遅らせるために。
「分かりました。皆さん、ありがとうございます」
彼らがいたおかげで無事に済んだ。一人ではどうすることも出来なかっただろう。ヘルミーナは改めてカイザーたちにお礼を言った。
すると、カイザーは笑顔で「ミーナ嬢は我が騎士団の仲間だ」と言ってくれた。だから、手を貸して助けるのは当たり前だと。
その言葉に胸が熱くなる。嬉しかった。カイザーの言葉に同意するようにリック、ランス、メアリも頷いた。社交界では孤独な時間を過ごしてきただけに、目の前にいる彼らの存在がヘルミーナの中で大きく膨れ上がっていた。
これからも彼らとの関係を大切にしていきたい。
話が終わったところで、彼らは宿の一階にある食事処で夕食を取った。新鮮な海鮮を使った料理で胃袋を満たした後は、それぞれの部屋に戻って休むことになった。
魔力を使ったせいで疲れていたのだろう。ヘルミーナはいつもより早く就寝した。ぐっすりだった。
翌日。リックが言った通り、魔物に襲われた商船のことは皆の記憶から抜け落ちてしまったように、話題に上ることはなかった。
王国騎士団がカレントの港町に到着したからだ。ウォルバート一族の領地を救った第二騎士団は熱烈な歓迎を受けた。
とくに騎士団を率いる第二騎士団団長のダニエル・ロワイエは、ウォルバート公爵の甥だ。エーリッヒがいなければ一族の英雄は彼だったに違いない。馬に乗ってゆっくりと進んでいく彼らを、ヘルミーナたちは群衆から離れた場所で眺めていた。
一瞬、ダニエルの目がこちらに向けられた。彼が僅かに目を見張ったのはカイザーの姿を目撃したからだろう。けれど、カイザーが小さく頷くのを見て、彼はすぐに視線を前方に戻した。
「我々も移動しよう。向かうのは二つの領地に挟まれたケーズニ谷だ」
カイザーの合図に、ヘルミーナたちも動き出した。
予想外の出来事はあったが、ルドルフが発案した計画は着実に進んでいた。




