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王城が月明かりに照らされた頃、広間では特別な夜会が催されていた。
招かれたのは侯爵以上の高位貴族だけ。その昔、国王が魔物と戦う忠実な臣下に感謝を込めて開いたのが始まりだと言われているが、近年は招待する意図も、目的も変わってきた。
王国が発展を遂げれば、それだけ高位貴族の影響力も強くなってきている。表面上は平和に見えても、裏では一族同士で牽制し合っているのが実情だ。そのため、王室もまた一族たちの動向を探るために、交流の場を設けていた。
国王が集まった臣下に向かって挨拶を済ませると、王妃の手を取って中央で踊り始める。その後に続くように、今度は王太子のルドルフが婚約者のアネッサを伴ってダンスを披露した。
今宵のアネッサは、深紅に黒のレースがついた華やかなイブニングドレスを着て、一際目立っていた。いつもより肌の露出が多いため、ルドルフは親友に向かって「赤ん坊の頃から知っているだけに複雑な心境だよ」と漏らしていた。
レイブロン公爵家の長女であり、王太子の婚約者であるアネッサの存在は、他の一族からすれば最も牽制したい相手だ。しかし、嫌でも人目につく格好に、無視したくても出来なかった。彼女は鮮やかに着飾ることで他の一族にプレッシャーを与えていた。同時に、その挑発という餌に必ず食いついてくる者がいることを、アネッサたちは知っていた。
「──お兄様、向こうからいらっしゃいましたわよ」
ダンスを終えて間もなく、ルドルフとアネッサとカイザーの三人が揃っているところへ、一人の男が近づいてきた。
白くなり始めた薄水色の髪に、淡い青緑色の瞳をした男こそ、六十歳を過ぎたウォルバート公爵だ。
彼は、実の兄が魔物によって命を奪われ、弟である彼が公爵家を継いだ。当時から、弟である彼のほうがいくつもの事業を成功させていた。
そのせいで、公爵家では後継者争いが起こり、亡くなってしまった彼の兄についても様々な憶測が飛び交ったが、ウォルバート公爵が裁かれることはなかった。証拠が何も出て来なかったのだ。
その後、ウォルバート公爵は悪い噂を払拭するために、一族の領地開発に尽力した。小さな港町だったカレントを第二の首都と呼ばれるまでにしたのも彼の功績だ。ただ、裏では目的のためなら手段を選ばない男としても恐れられている。
「光の神エルネスのご加護がありますように。エルメイト国の若き光、ルドルフ王太子殿下にご挨拶申し上げます」
ウォルバート公爵は右手を左胸に当てて軽く頭を下げた。
相手の色を映してしまうほど薄い瞳に見られると、頭のてっぺんから足の爪先まで値踏みされている気分だ。いくつもの事業を手掛けているだけあって、彼の洞察力は馬鹿に出来ない。
「久しいな、ウォルバート公爵。王太子である私ですら挨拶が出来ないほど忙しくしているようだ。私の父上もなかなか会えないと申していたぞ?」
「ご冗談を、殿下。お呼び下されば、いつでも馳せ参じましょう」
「本気にするな、私も父上も各地を飛び回っている貴公を心配しているだけだ。後継者もしっかり育ってきているようだし、ウォルバート一族は安泰だな」
挨拶の中に進退を問うような言葉を交えながら話してくるルドルフに対し、ウォルバート公爵は僅かに眉根を寄せながらもにこやかに対応していた。
周囲の温度が急激に冷え込んだところへ、ルドルフの隣からスッと出てきたアネッサは素早くドレスを広げてウォルバート公爵に挨拶をした。
「ご機嫌よう、ウォルバート公爵様。お元気そうで何よりです」
アネッサの挨拶が済むと、カイザーもまた前に進み出て「お久しぶりです」とウォルバート公爵にその姿を見せた。
「レイブロン公爵家の公子と公女が揃って挨拶してくれるとは、引退せず居座るものですな。成長した二人の姿を見ると、我が一族より安泰なのはそちらのようだ。アルバンも鼻が高いだろう」
「父は心配事ばかりが増えていくと」
カイザーが肩を竦めて当たり障りのない言葉で返すと、ウォルバート公爵も「どこの親も同じだな」と苦笑を浮かべた。顔に刻まれた皺が浮き出ると人の良さそうな老人に見えるが、油断のならない相手だ。
アネッサはカイザーに目配せしてウォルバート公爵に一歩近づくと、赤い紅のついた口を開いた。
「そういえば、公爵様。安泰と言えば、ウォルバート一族にいらっしゃる英雄の方が……名前は何と言ったかしら?」
「アルムス子爵家の嫡男ではなかったかな。第二次覚醒者でもある彼は社交界でも有名だからね。その彼がどうかしたのかい?」
「王太子殿下もご存知でしたのね。ええ、我が一族の侯爵家にいるご令嬢が、その方との婚姻を考えていると報告を受けましたの」
詳しい打ち合わせをしていたわけではないのに、アネッサとルドルフの演技は素晴らしかった。因みに、カイザーはボロが出そうだったので、余計な口は出さないことになっている。
アネッサはやや不安そうな表情を浮かべて、ウォルバート公爵の顔色を窺った。これも演技だ。その話がすでに破談になっていることは、予め分かっていた。
案の定、ウォルバート公爵は「残念だが」と言った上で、小さく首を振った。
「やはり我が一族の英雄を他所に出すわけにはいきませんからな。どんな好条件を提示されても呑むことはまずなかったでしょう」
「たしか彼には婚約者がいたはずだな。婚姻はその婚約者とするのかい?」
「そこまで知っておられるとは、エーリッヒのやつも喜ぶでしょう。あいつには近々爵位を与えて、一族内で釣り合う相手と婚姻させる予定です」
釣り合う相手──と、笑いながら話してくるウォルバート公爵に、三人は言いようのない怒りを覚えた。その相手が今、光属性の魔力を覚醒させて王宮で保護されているなど思わないだろう。
彼女は多くの騎士の命を救ってくれた。そんな彼女が軽く扱われていいはずがない。だが、彼女の正体は隠し通さなければならない。来るべき日が訪れるまでは。
カイザーはぐっと拳を握り締めることで怒りごと耐えた。
「そうか。婚約期間は長かったと聞いていたが」
「婚約解消の同意は得られておりますが、なにせ十年という長い婚約だったもので、エーリッヒにも気持ちの整理が必要でしょう。──なあに、水の都にでも行けば気分も晴れましょう。あそこは素晴らしい観光地ですから」
「なんだって……? 彼はカレントに?」
婚約解消に、エーリッヒが同意したことは初めて耳にする情報だ。ウォルバート公爵がこの場しのぎの嘘を言っている可能性もあったが、彼が圧力を掛ければ子爵家もエーリッヒ一人の我儘を押し通すことは出来ないだろう。それは実に良い情報だった。
しかし、エーリッヒが水の都カレントにいるという話は、三人とも耳を疑った。カイザーは思わず身を乗り出すような格好で、ウォルバート公爵に訊ねてしまった。
ウォルバート公爵は「殿下たちが訪れる際は、私がご案内致しましょう」と上機嫌でその場を立ち去ったが、残された三人には焦りの色が広がっていた。
「まずいですわね……。今、鉢合わせしてしまったら私たちの計画が台無しになってしまうわ」
「何が婚約解消に同意しただ! あいつはミーナ嬢を探し回っているに違いない!」
「彼にも監視を付けておいたから、カレントに向かったとすれば今日の話だろう」
まだ報告が届いていないところを見ると、エーリッヒが出発したのはそう前のことではない。騎士団から情報が漏れたとは考えにくいため、純粋に彼女を探しに行ったと考えられるが、執着男の直感には呆れるしかなかった。
すると、カイザーは突然体の向きを変えて開かれた扉から出て行った。
「待て、カイザー! お前が向かったところで何になるっ」
「お兄様、お待ち下さい!」
「止めてくれるな! 私は今すぐミーナ嬢の元へ行く! まだ会わずにいるなら、奴がいることを教えなければ!」
会場を飛び出して馬車に向かうカイザーに、ルドルフとアネッサが慌てて止めようとするが、頭に血の上った彼を止めるのは至難の技だ。
それが好意を寄せている女性の危機なら尚更、阻むことは不可能だ。
「……はぁ、分かった。カイザー、お前には王太子である私の護衛を怠った罰として一週間の謹慎処分にする。レイブロン公爵には私から伝えておこう。ヘルミーナ嬢のことを頼むよ」
「感謝する!」
ルドルフに対して感謝もそこそこに、カイザーは馬車に乗り込んだ。カイザーの頭には、一刻も早くカレントに到着してヘルミーナの元に駆けつけることしかないだろう。
ルドルフとアネッサはカイザーが乗った馬車を見送りながら「頼むから、目立つようなことはしてくれるなよ」と願うばかりだった。




