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王都から南に位置するウォルバート一族の領土は、その半分が海に面しており、漁業が盛んに行われている地域だ。
早朝に水揚げされた魚介類が朝の市場に並び、港町はいつも活気に包まれていた。
水の都カレントもまた港から町に向かって大きな市場が広がり、異国から渡ってきた珍しい品物も並べられるため、多くの者たちが足を運んで来る。
出発から半日、レイブロン領から転移装置を使って馬車ごと移動したヘルミーナたちは、その日の内にカレントに到着していた。
「ヘルミーナ様、騎士団が到着されるまで二日ほどありますから、ゆっくり市場などを見て回りましょうか」
「そう出来たら嬉しいです!」
ヘルミーナたちは、裕福な平民の装いをしていた。
王国一の港町であるカレントは、第二の首都と呼ばれるほど屈指の観光地であるため、身分を隠して観光を楽しむ貴族たちは多い。物価は周囲の村や町から比べると高いが、治安が良くて過ごしやすい場所だった。
ヘルミーナたちは予定していた宿にたどり着き、掃除の行き届いた清潔な部屋に案内された。部屋はメアリと一緒に使うことになっている。ランスとリックは護衛がしやすいように隣の部屋だ。
メアリは部屋に異常がないか確認した後、窓を開いて新鮮な空気を取り込んだ。
騎士団がカレントにやって来るまでの二日間。
本当なら今すぐ負傷している騎士たちの元に行って治癒を行いたいが、それでは計画が台無しになってしまう。彼らの治療はカレントから出て、目的の村に着いてからだ。
それでも早く送り出してくれたのは、ルドルフの気遣いだった。
カレントはヘルミーナにとって思い出の場所だ。彼はヘルミーナに、思いっきり癒やされてくると良いと言ってきた。王妃のことがあったせいか、妙に優しかった。
ヘルミーナは窓から流れてきた懐かしい潮の香りを吸い込んで、胸がいっぱいになった。
その時、部屋のドアが叩かれてリックとランスがやって来た。
「ねぇ、ねぇ、ミーナちゃん。俺、初めてのカレントだから、案内してくれる?」
「ランス、私たちは遊びに来たわけじゃ……」
「そういう固いことはいいから。騎士団が来るまで自由時間なんだから、それまでしっかり楽しまないと!」
カレントに到着するまで終始こんな感じだった。友人たちで旅行へ出かけるような雰囲気に、緊張や不安を抱く暇もなかった。笑い声の絶えない賑やかな旅路だった。
でも、彼らは本来の目的を忘れているわけじゃない。リックとランスは団服を着ていなくても護衛の騎士らしく周囲に気を張り、メアリも快適に過ごせるようにと世話を焼いてくれた。
それぞれが与えられた役目をしっかり果たしている。そんな彼らに、自分でも出来ることをしてあげたいと思うのは至極当然だ。
「是非、皆さんにカレントの港町を案内させて下さい!」
カレントに一番詳しく、案内出来るのはヘルミーナだけだ。ブランクはあるが、生まれ故郷を案内するようで心が弾んだ。
この地で思いがけない再会が待っているとも知らず、ヘルミーナは彼らを連れてカレントの港町へと繰り出していた。
★ ★
彼女と初めての旅行。初めての観光。初めての共同作業。初めての……。
「いい加減にしてくれ、カイザー。君の図体でメソメソされると鬱陶しくて仕方ない」
「……聡明な王太子殿下には、私のような臣下の気持ちなど分かるわけがない」
ヘルミーナたちが王城を出発してから半日が経った頃。
ルドルフは自分の執務室で、背中を丸めて壁と一体化している親友にため息をついた。書類を運んできたフィンは「またですか」と、呆れる表情を隠そうともしない。
カイザーは未だ現実を受け入れられていないのか、護衛を任せても上の空だった。それでも襲撃があれば肩書きに恥じない戦いを見せてくれるだろう──厄介な男だ。
「だから言ったじゃないか。カイザーには別の役目があるって」
「…………」
「ヘルミーナ嬢の婚約を早く解消させる手伝いをしたくはないかい?」
目を通していた書類から視線だけをカイザーに向けると、隅っこで丸くなっていたカイザーは突然スッと立ち上がり、ルドルフの机を叩いた。頑丈な机がミシッと軋んで、ルドルフとフィンは口元を引き攣らせた。
「私は何をしたらいい?」
カイザーの良いところは、感情の切り替えが早いことだ。先程まで絶望していた男とは思えない。すっかり立ち直ったカイザーは、目をギラつかせながらルドルフに迫ってきた。
この調子なら頼まなくてもしっかり役目を果たしてくれそうだ。ルドルフは口の端を持ち上げて黄金色の目を細めた。
「騎士団副団長のカイザーとしてではなく、レイブロン公爵家の次期当主として私たちとパーティーに出てもらうよ」
パーティーと聞くなりカイザーは表情を歪めたが、辞退の言葉は出てこなかった。必ず参加しなければいけない重要なパーティーですら愚痴を漏らすのに、この時のカイザーからは聞こえてこなかった。
ヘルミーナを、彼女の婚約者から引き離すためなら、どんな命令でも従うだろう。それが惚れた弱みというやつだ。
ルドルフとフィンは「ミーナ嬢のためだ!」と意気込むカイザーに、やれやれと肩を竦めた。




