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収拾がつかなくなった会議室で、レイブロン公爵が騒ぐ騎士たちを宥めた後、次に口を開いたのはルドルフだった。彼は「先程の話に補足させてもらうよ」と言って立ち上がった。
「騎士団は帰路の途中で魔物の目撃情報を受け、討伐に向かうことになる。現在のところ魔物による被害はないが、谷に住み着いた魔物が数体いるようだ。魔物に関しては状況を確認して討伐、難しければ応援を要請してほしい。ここで無理をする必要はない。目的は、そこで偶然居合わせた人物が、騎士団の負傷者を治癒したという事実だ」
ルドルフが話し始めると会議室は静まり返った。皆がしっかり耳を傾けているように見える。
ヘルミーナもまた息を押し殺して、ルドルフの話に神経を集中させた。
「民のために負傷した騎士を我々の計画に利用してしまうのは忍びないが、ヘルミーナ嬢の正体を少しでも長く隠しておくために協力してもらいたい。彼女には今後も村や町を巡って治癒を行ってもらう予定だ」
予め、騎士団の総括者であるレイブロン公爵とは話がついている。しかし、実際に現場で動くのは騎士たちだ。騎士は命じられれば従うしかない。だが、自分のために立てられた計画に強要はしたくなかった。
説明の後、皆の視線が再び集まるのを感じたヘルミーナは、スッと立ち上がり「お願いします」と頭を下げた。その時は、心臓が破裂してしまうほど緊張していた。
幸い、反論する声は聞こえてこなかった。恐る恐る頭を上げると、騎士たちは一様に頷いてくれた。
詳しい計画は後々説明することになったが、ヘルミーナは安堵して表情を緩めた。と、そんなヘルミーナの前を塞ぐようにして、ルドルフが立った。
「そういうわけだから、別行動になるヘルミーナ嬢には極力目立たないように動いてもらうことになる。護衛の騎士もそのつもりでお願いするよ」
ルドルフが今まで以上に強調して言った。
つまり、目立った行動をする人物は護衛の騎士として同行させられない、ということだが、全員が全員「自分なら大丈夫だ」と自信満々の顔を浮かべるのを見て、レイブロン公爵は再び額を押さえた。
──それが二日前の出来事だ。
貸馬車に最小限の積荷が載せられるのを眺めていたヘルミーナは、呼ばれて振り返った。
水の都カレントに出発する当日。
最終的にカレントには第二騎士団が派遣されることになった。公に発表された任務は、負傷者の回収のみだ。仲間を思って迎えに行ったとすれば話も立つ。
そしてヘルミーナの護衛にはランス、リック、そして専属侍女のメアリが同行してくれることになった。
人一倍護衛騎士に名乗りを上げていたカイザーは、ルドルフから直に「カイザーには他の役目があるから駄目だよ」と言われて、声も掛けられないほど落ち込んでいた。
彼ほど仲間想いで正義感の強い人はいない。どんな任務であれ、派遣される騎士団に加わりたかったはずだ。
一方、マティアスの様子は普段と変わりなかった。彼には彼で、すでに複数の騎士団を率いて大きな魔物の討伐へ向かうことが決まっていた。
国民の関心をそちらへ寄せるためだ。
風の民であるラゴルの次期当主であり、第一騎士団の団長であるマティアスは、本人に興味がなくても、肩書きだけで世間の注目を集めてしまう。負傷者を回収する騎士団から目を逸らせるのに、うってつけの人物というわけだ。そう説明されて妙に納得してしまった。
「ヘルミーナ様、少し宜しいでしょうか?」
「どうかされましたか?」
まだ多くの者たちが床に就いている早朝。
宿舎横でひっそりと支度しているところへ、マティアスが姿を見せた。ヘルミーナたちは騎士団たちより一足先に出発し、レイブロン領にある移動装置を使って、カレントの場所に飛ぶことになっている。安全を考慮した上での移動手段だ。
見送りは昨日の内に済ませて今日は静かに出て行くはずだったが、予定が変わったのだろうか。ヘルミーナは足音もなく近づいてくるマティアスに目を瞬かせた。
「こちらをお持ち下さい」
「これは……マティアス様の守り石ではありませんか」
傍までやって来たマティアスは、ヘルミーナに白い石のついたペンダントを差し出してきた。
ラゴル侯爵家に代々継がれてきた守り石で、聖女の神聖魔法が宿った魔法石だ。
「魔物のいる場所では何が起こるか分かりません。決して護衛から離れず、行動には十分お気をつけ下さい。こちらは無事に戻ってきた時にまたお返しくだされば」
「ですが、マティアス様も討伐の遠征に出られるとお聞きしました」
「私にはヘルミーナ様がお作りになられた魔法水がありますので。お守りにしかなりませんが、何かのお役に立てるかもしれません」
聖女の魔力はほぼ残っていない。それでも、受け継いできた大事なペンダントだ。
ヘルミーナはそれを差し出してきたマティアスに困惑したが、断り切れず両手を出して受け取った。
「……分かりました。戻ってくるまでお借りします」
風の民の家宝とも呼べる守り石を渡され、ヘルミーナは重圧を感じた。ただ、それも一瞬のことだ。手のひらに広がる魔法石の温もりに自然と口角が持ち上がった。無意識の内に、緊張や不安から顔が強張っていたようだ。
まさか、それに気づいて渡してくれたのだろうか。気になってマティアスを盗み見ると、彼は嬉しそうに顔を綻ばせていた。思いも寄らない柔らかな表情に思わず見惚れてしまう。
しかし、マティアスの笑顔が自分に向けられているものだと意識した途端、ヘルミーナは急に恥ずかしくなった。それから慌てて「お気遣いありがとうございます、失礼します!」と頭を下げ、皆のいる馬車に戻ったが、熱くなる顔を抑えきれなかった。
初めて名前を呼んだ時も、マティアスは想像もしていなかった反応を見せた。他の女性なら勘違いしてしまっただろう。
ヘルミーナは気分を落ち着かせるように息を吸って吐いた。
その時、前方から影が差して顔を上げた。
瞬間、ヘルミーナは固まった。
「ミーナ嬢……」
「……カイザー様」
目の前に現れたカイザーの顔を見た途端、飼い犬を家に残して旅行に行く気分になった。
派遣される騎士に選ばれなかったことが相当ショックだったのだろう。耳と尻尾が生えていたら、どちらも元気なく垂れ下がっていたはずだ。
「一緒に行けなくて残念だ。……気をつけて」
声にも覇気がない。ヘルミーナは肩を落とすカイザーになんと言って励まそうかと思ったが、続けて喋ってくるカイザーに、そんな気遣いは不要だった。
「もし君が怪我や病気をすることがあれば、私がすぐに駆けつけるから。遠慮なく呼んでほしい。不安になったというだけでも構わない! それから魔物に遭遇した時は、どんなことがあっても騎士の後ろに隠れて身の安全を確保してくれ。リックやランスならいくらでも君の盾になってくれるはずだ。それと……」
「カ、カイザー様、落ち着いて下さい! 私は大丈夫ですので!」
行く前から余計不安を煽る言葉に、ヘルミーナは逆に冷静になれた。カイザーは「だが!」と口にしたが、ヘルミーナは両手を上げて彼を落ち着かせた。
そうだ、カイザーはこういう人だった。ヘルミーナはレイブロン公爵家でのお茶会を思い出して笑ってしまった。
「ミーナ嬢?」
「い、いいえ、なんでもないですっ! 心配してくださってありがとうございます。カイザー様も無理なさらず、お気をつけて」
「ああ、私は大丈夫だ」
そう言っても、何が起こるか分からないのがこの世界だ。この遠征でも無事でいられる保証はない。ヘルミーナは改めて気を引き締めるように顎を引いた。
ちょうどそこに馬車の準備が整ったと、メアリが呼びに来た。
馬車へ向かうと、ついてきたカイザーが手を差し出してきた。ヘルミーナは彼の手を借りて馬車に乗り、同じく乗り込んできた人たちの顔を一人ずつ確認した。一緒に行ってくれるのは心強い者たちだ。行く前から弱気になる必要なんてなかった。
ヘルミーナは馬車の窓から「行ってきます」と呟き、再びここへ無事に戻ってくることを誓った。
そして、彼女たちを乗せた馬車が数人に見送られて出発した。
第二の首都、水の都カレントへ──。




