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「──母上の非礼を謝りたい。あまり良くないことを言われたはずだ」
すまなかった、と謝罪してきたルドルフは、珍しく疲れ切っていた。いつもの余裕はどこへ行ってしまったのか。今なら自分でも勝てそうな気がしてくる。ただし、それはヘルミーナの状態も良ければの話だ。
お互い愛想笑いも出来ないほど精神的に疲弊していた。
「申し訳ありませんでした、ヘルミーナ様。王妃様に口止めされていたため、貴女を一人で行かせることになってしまい……」
「フィンは魔法契約まで結ばされていたんだ。それでも私に知らせてくれたおかげで、マティアス卿を迎えに行かせることが出来た」
「まさか『契示の書』を……!?」
人払いを済ませたサロンで、ヘルミーナはルドルフたちと丸いテーブルを囲んでいた。
声を落として話す必要はないのに、『契示の書』による魔法契約まで結ばされていると知って、ヘルミーナはフィンに向かって小声で訊ねた。フィンは笑って誤魔化そうとしたが、元気のない表情だった。
「ヘルミーナ様が献上してくださった魔法水のおかげで助かりました」
「そんな……っ、契約を破ってまでフィンさんが傷つく必要は……っ!」
「フィンは私の侍従として当然の仕事をしたんだよ。王宮にいる間は、君の後見人は私だ。だから、自分などのためにという考えは止めてほしい」
「──……はい、申し訳ありません」
それでも自分のせいで誰かが傷つくことは、気分の良いものではなかった。魔法水のおかげで無事だったとはいえ、フィンは契約に逆らって罰を受けたのだ。こんなことなら招待に応じなければ良かった。しかし、王妃の招待を断ることなど出来ただろうか。
背中を丸めてどんどん小さくなっていくヘルミーナに、ルドルフは咳払いをした。
「一先ず、王妃から何を言われたか教えてもらっていいかな?」
王妃がヘルミーナを招待したことは、ルドルフにとっても予想外の出来事だったようだ。
訊ねられてどこまで答えても良いか悩んだが、口止めされなかったことを思い出す。王妃は最初からルドルフに伝わるのを見越していたのかもしれない。
ヘルミーナは俯いたまま、王妃に言われた言葉をそのままルドルフたちに伝えた。
「──なかなか手厳しいことを」
王妃の言葉を伝え終えると、ルドルフは額を押さえ、フィンは厳しい表情を浮かべた。
そんなことはありえない、と笑い飛ばしてくれたら安心も出来たのに。
しかし、彼らは否定しなかった。王妃の話がただの空想ではなく、現実的に起こる可能性があることを察していた。
空気が重くなると、ヘルミーナはドレスを握り締めてぽつり、ぽつりと話した。
「私は……光属性が使えるようになったからと言って、爵位が欲しいだとか、報酬が欲しいだとか考えたことはありません。ただ、王国の役に立てればと思っていました。……けれど、最初に王宮へ来て騎士団での事件があった時、レイブロン公爵から無償で治癒を行えば、それだけの能力になってしまうと言われました」
光属性の魔法が使えると分かった時、救われたのはヘルミーナ自身だった。
全てから目を背けて進む道も見失いかけていたところに、光の神エルネスの「祝福」を受けた。そのおかげで様々な人たちと出会い、ヘルミーナは「お荷物令嬢」だった過去から抜け出しつつあった。
最初は周囲に認められたいという欲もあったが、治癒を施していく内に心境が変化していった。この覚醒した能力で、もっと多くの民を救いたいと思った。王国を守った聖女のように。
「そうだね。身分に関係なく、何かを行うには必ず対価が必要になってくる。騎士団だって給金があり、魔物討伐の遠征に行けば特別手当が支払われるようになっている。教会の活動資金も大半は貴族からの寄付金で賄っているしね」
「はい……。ですが、この神聖魔法が薬も買えない民まで行き渡るためには、対価を求めてはいけないと思っていました」
「確かに、対価を設ければ当然金銭的に余裕のある貴族が君の能力を独占してしまうだろう。それに君はまだウォルバート一族の人間だ。その能力が明るみになればウォルバート公爵家は君を手放さないはずだし、そうすれば王室や他の一族との間で摩擦が生じてしまう」
「……争いや、反逆が起きてしまうということでしょうか?」
「王妃の話が全て正しいというわけではないが、君の所有を巡って大きな論争が起こるのは確かだね」
貴族令嬢たった一人の存在が国に混乱を招き、荒れてしまうことを考えてゾッとした。その中心に自分がいると思うとさらに恐ろしくなる。
聖女はどこにも属さない教会の人間だったからこそ、国内での争いは起きずに済んだのだ。だが、教会に行くためには多くのものを捨てていかなければいけない。俗世を離れて光の神エルネスに仕える者として。
果たしてそれが正しい道なのか分からない。昔の自分なら、後先考えず動いていたかもしれないが、随分と落ち着いたものだ。かと言って、誤った選択をしてしまうほど愚かになったわけではない。
「私は、私の覚醒した能力で争い事が起こるのを望みません」
なぜ自分だったんだろう、という悩みは尽きない。けれど、光属性の魔法は決して人々が争うために与えられたものではないことだけは分かる。
ヘルミーナは顔を上げて自らの意思を伝えると、ルドルフは「それは私もだよ」と同意してくれた。
「王宮に呼んだ時から、君の待遇については考えていたんだ。四大公爵や教会でも簡単に手の出せない地位を用意してはどうかと、国王にも進言しているところだ。ただ、光属性の魔力が覚醒したのも突然だったし、婚約者のことも片付いてないからね。だから、君にはまず自分自身の変化に慣れてからと思って話すのを控えていた」
ルドルフは、思っていた以上に気遣ってくれていたんだと改めて理解した。意地悪で腹黒い男だけではなかった。
ヘルミーナがお礼を口すると「思っていることが全部顔に出ているよ?」と、満面の笑みで指摘された。
「君がその魔法で民を救いたいと望むなら、いずれ国民には君の存在を知らせる必要がある。だが、今はまだその時ではない。そこで私からの提案だけど、いっそ様々な場所で君の作った魔法水や魔法石で治癒を施してみるのはどうかなと考えたんだ」
ルドルフの提案は、光属性を宿した者が治癒を施しながら、国中を回っているという噂を流すことだった。
魔法水や魔法石を使うなら、ヘルミーナが直接赴かなくても怪我や病気を癒やすことが出来る。つまり効果を知っている者なら誰でも治癒を施すことが出来、人物の特定を防げるというわけだ。
その方法なら身分に関係なく民を癒やし、正体がバレるまでの時間を稼ぐことが可能だ。正体が暴かれるまでに婚約や立場の問題を解決する必要はあるが、猶予が出来ることにヘルミーナは胸を撫で下ろした。
「光属性が使える人物の噂を広める方法は私も賛成です」
先程までとは違い、ヘルミーナは明るい表情でルドルフの提案に応じた。それから思い出したように続けて口を開いた。
「実は、王妃様からカレントに留まっている騎士の方々の治癒を頼まれました。それで、私も一緒に同行させてもらえないかとお願いするつもりでした。他にも、魔物の被害にあった町や村などで治癒をさせていただけないかと思うのですが」
「悪くないと思います。ヘルミーナ様が直接治癒を行えば、それだけ噂に信憑性も増すでしょう」
緊張しながらお願いしてみたが、ヘルミーナの同行はあっさり認められた。当然、素性は隠した上で名乗ることも出来ないが、己の神聖魔法を必要としてくれる人のことを考えると胸が熱くなった。
ただ、ひとつ気がかりなのは、ヘルミーナと行動を共にする騎士団のことだ。ルドルフは自ら説明すると言ってくれたが、会議にはヘルミーナも同席させてもらうことになった。
「レイブロン公爵には申し訳なくなってくるね。気の長い人ではないのに、良く耐えてくれているよ。彼の後を引き継ぐカイザーにも見倣ってほしいぐらいだ」
「それは難しいと思いますよ」
目の前で何気ない会話をする二人に対し、ここは下手に口を出してはいけない気がして、ヘルミーナは聞かなかった振りをした。




