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ヘルミーナの笑顔を見て、王妃は「誤解が解けて良かったわ」と喜んだ。寿命が縮んだ気がする。もし誤解が解けなかったら、今頃魔物のように切り刻まれていたかもしれない。
因みに、この元凶が王太子のルドルフにあると知った時は膝から崩れ落ちた。
わだかまりが無くなったことで、王妃は穏やかな口調で話し掛けてきた。大半は王妃が質問してきてヘルミーナが答えていくスタイルだったが、訊かれたのは家族や領地のことで言葉に詰まることはなかった。
しかし、ウォルバート一族が誇る水の都カレントの話になったとき、王妃はやや表情を曇らせた。
「カレントには行ったことがあるわ。美しい港町で、他国との交易も盛んに行われているわね」
「はい! 大通りの市場はいつも賑わっていて、朝早く水揚げされた魚が並べられ、異国の衣類や装飾品が置かれています」
「随分、詳しいのね」
「父に良く連れて行っていただきました」
子供の頃、カレントの港はヘルミーナの遊び場だった。多くの船乗りたちと仲良くなり、父が携わった貿易船や漁船などにも乗せてもらったことがある。
海から吹いてくる潮風に当たりながら、貴族の娘ということも忘れて他愛ないことで盛り上がった。その瞬間がとても好きだった。
社交界デビューしてからはすっかり遠のいてしまったけれど。ヘルミーナは懐かしむように口元を緩めた。
だが、王妃は「そう……」と視線を落とした。
余計なことまで喋りすぎてしまったかもしれない。ヘルミーナは「話し過ぎてしまい、申し訳ありません」と頭を下げた。けれど、王妃は首を振った。
「違うのよ。むしろ貴女にはまた感謝しなければいけないわね」
「感謝、ですか……?」
「ええ。地方視察から戻ってきた負傷の騎士を貴女が治癒してくれたと聞いているわ。改めてお礼を言うわね」
ありがとう、と口にする王妃に、ヘルミーナは両手を振った。
最初は神聖魔法の訓練のために出入りするようになった騎士団だが、今ではすっかり自分の仕事になりつつある。そのせいか、改まってお礼を言われると不思議な気分だ。それも国の母である王妃から。
ヘルミーナはむず痒くなって赤く染まる顔を下げた。
「……けれど、カレントには今も一緒に戦ってくれた騎士が留まっているわ。わたくしの力が及ばず怪我をさせてしまった者たちが」
「決して王妃様のせいでは……っ」
「いいえ、指揮を取っていたわたくしには責任がある。残った者は二度と騎士に復帰出来ない子たちばかりよ。騎士にとってそれは死にも等しいこと。だから、どうしても貴女の力が必要なの……。ヘルミーナの負担になることは分かっているわ。でも、他の騎士たちと同じく彼らにも慈悲を与えてほしいの」
騎士団に入り浸っているヘルミーナは、王妃の言葉の意味が良く分かった。
騎士であることを誇りに生きてきた者たちが、騎士にとって致命傷の怪我を負ったことで騎士の称号を剥奪され、騎士団を去っていく。──彼らは、魔物から民を守ってくれたのに。仕方ないことだと言われても、納得することが出来なかった。
だからこそ頼まれなくても、ヘルミーナはカレントに残っている騎士も含め、負傷した騎士たちを治癒することに決めていた。
けれど、ヘルミーナが答えるより先に「可能な限りお礼はするわ。貴女が望むものは何でも」と王妃が言ってきた。切羽詰まった様子で訴えてくる王妃に、今日ここへ招待された理由が分かった。王妃が自身の立場も忘れて一人の貴族令嬢に懇願する姿など、決して見られてはいけない。
「心配いりません、王妃様。私はこの力を王国のために使うと決めています。騎士の方々を治癒することで多くの王国の民が救われるなら、私はいつでも力を振るいます」
それが光の神エルネスの意思であると思っている。
敢えて魔力の少ないヘルミーナに光の属性を与えた理由は分からないが、限られた魔力だからこそ使い方を誤ってはいけないのだ。
今度は強い眼差しで王妃を見つめると、王妃はふわりと笑った。
「ありがとう、ヘルミーナ。貴女は本当に素直で、良いお嬢様ね。──他人を疑うことをしない、良くも悪くも欲のない人間だわ」
王妃の口調が冷たくなった瞬間、風もないのに周囲の薔薇や草木が揺れた。背筋にぞわりと寒気が走ったのは、足元に流れてくる冷気のせいだろうか。
笑顔を浮かべつつ目だけは鋭い王妃を見て、ヘルミーナは冷や汗を滲ませた。
「王妃、様……?」
「貴女はその優しさから、騎士でなくても目の前で怪我をしている人がいれば放ってはおけない性格なのでしょうね。でも、貴女がその能力を使えば使うほど、自分の身を危険に晒しているのは分かっていて?」
ここに来てから、能力を使うたびに感謝されることはあっても、叱られたことはなかった。ヘルミーナは何と返したら良いか分からず戸惑った。
一方、王妃は自ら作った和やかな雰囲気を一変させ、厳しい表情でヘルミーナを見つめてきた。
「貴女は王国の騎士団だけではなく、国王陛下や王太子までも味方につけてしまったわ。貴族の中でも伯爵令嬢に過ぎない貴女の後ろに、それだけの人が付いてしまったの。それがどういうことか理解出来るかしら?」
「……それは」
「貴女がもし唯一の光属性であることを公表し、教会や民の心まで奪ってしまえば王国さえ手に入れられるかもしれないわね」
「お待ち下さい! 私は決してそのようなことは……っ」
一瞬、魔法を教えてくれている宰相、モリスの言葉が浮かんできた。
この王国が欲しくはないか、と。ただの冗談だと思っていたのに、ヘルミーナが味方につけてしまった顔ぶれに、王妃は疑っているのだ。
勿論、そんな考えはない。王国を乗っ取るなんて恐ろしい考えだ。王妃の言う通り、自分は地方の伯爵家に生まれた娘に過ぎないのだ。
ヘルミーナは唇を噛み、返答の言葉を模索した。しかし、困惑するヘルミーナへ追い打ちを掛けるように、王妃はさらに続けた。
「あら、考えすぎということはないと思うわ。四大公爵の誰かと手を組んだら謀反だって起こせるわね。だって貴女の神聖魔法があれば死ぬことのない無敵の軍隊が出来るのだから。それにヘルミーナの光属性は、王族が無効化できない属性ですもの」
「────っ」
「ヘルミーナ自身がそれを望まなくても、上の者に命じられれば逆らえないはずよ。今は存在が隠されているから、貴女を利用しようとする者がいないだけ。でも、この力はそう隠し通せるものではないわ。そうなった時、貴女の今の立場だけではどうすることも出来ないでしょうね。当然、貴女が大切にしている家族にも危害が及ぶわ」
王妃の話は決して絵空事ではなかった。ヘルミーナが考えてこなかっただけで。否、考えようとしなかった。この光属性は人を助けるものだけだと思っていたから。
いずれ光属性の能力は世間に漏れるだろう。けれど、多くの人々を救うためには存在を示さなければいけない。その時、今と変わらず平和な場所に立っていられるだろうか。こんな自分でも愛してくれている家族を守りきれるだろうか。
やっと婚約者からの呪縛から離れて自分の道を歩こうと決めたのに、また誰かに従って生きなければいけなくなったら……。
ヘルミーナは震え出す両腕を抱きしめた。
開花した能力がどれほど貴重で、偉大で、恐ろしいものなのか知った気がする。
「いつまでもルドルフが守ってくれるとも限らないわ。……だから、貴女にもある程度の権力は必要だと思うの。四大公爵が好き勝手出来ず、わたくしたちの手が届く場所に身を置いたら安心するのではなくて?」
「────」
「貴女を迎え入れる準備はいつでも出来ているわ」
すると、王妃は柔らかく笑い、白い手を差し出してきた。
考える間も与えられず精神的に追い詰められたヘルミーナは、もはや王妃しか見えていなかった。この人についていけば大丈夫という錯覚に陥っていた。王妃の本心も、望みも何も知らないというのに。
ヘルミーナは持ち上げた右手を、ゆっくり王妃に伸ばした。
しかし、指先が王妃の手に触れる直前、後ろの方が騒がしくなった。「困ります、すぐにお戻り下さい!」と女性の声がしたと思った瞬間、声が掻き消されるほどの突風が吹いた。
ヘルミーナは反射的に振り返り、足音もなく近づいてくる人物を見て目を開いた。
王国騎士団の紋章が入ったマントを揺らし、真紅の団服に身を包んだ騎士が歩いてくる。薄緑色の髪に、青がかった緑色の目をした騎士だった。
「貴方を呼んだ覚えはないのだけれど──マティアス」
「無礼をお許し下さい、王妃様。ヘルミーナ様がこちらにいらっしゃると伺い、お迎えに上がりました」
国王ですら王妃の許可がなければ立ち入ることの出来ない庭園に、第一騎士団団長のマティアスが姿を見せた。
王族からすれば一介の騎士に過ぎない彼が、王妃のプライベートな空間に許可なく足を踏み入れて良いはずがない。この場で首を刎ねられてもおかしくない状況に、ヘルミーナは血の気が引いた。彼が自分のために来てくれたからこそ、焦りと不安で胃がひっくり返りそうだ。
「ルドルフの指示ね。陛下に頼むでもなく、自分で来るわけでもなく、よりによって貴方を送り込んでくるなんて」
「王妃様をしっかり見張っておくようにと、私の父からも言われておりましたので」
そんなヘルミーナを他所に、王妃は落ち着いた口調でマティアスに話し掛けた。言葉に、薔薇よりも鋭い棘を感じたが、それでもマティアスは淡々とした様子で言い返した。
彼らは同じセンブルク一族だ。センブルク公爵家と風の民であるラゴル侯爵家は密接な関係にある。いずれラゴル領主となるマティアスと、センブルク公爵家の長女であった王妃だけに、二人は古い付き合いなのだろう。
ただ、今は王妃と騎士という立場だけに、ヘルミーナはおろおろするばかりだ。
「……わたくしを選ばなかったくせに心配だけはしてくるなんて、今更だと思わない?」
「私には分かりかねますが、西の城壁は常に人手不足ですから」
「嫌な言い方ね。ラゴルの者たちはどうしてそう……もういいわ。ヘルミーナを今すぐ返さなかったら、受け継いできた薔薇の花園がわたくしの代で終わってしまうわね。マティアス、ヘルミーナを彼女の宮殿まで送ってあげなさい」
二人が口を開くたびに周囲の草木が激しく揺れる。しかし、意外にも先に折れたのは王妃だった。
ひらりと手を振ってきた王妃に、マティアスは「王妃様の寛大なお心に感謝致します」と丁寧に頭を下げた。王妃は呆れた顔をしていたが、言ったことを覆すことはなかった。
ガクガクと震えるヘルミーナの前にマティアスの手が差し出された。ヘルミーナは彼の手を取り、なんとか立ち上がることが出来た。
「フレイア王妃様、本日はご招待くださりありがとうございました」
「ええ、また会いましょうね」
片方のスカートを広げて軽く膝を折り、挨拶を済ませたヘルミーナはマティアスと共に薔薇の花園を後にした。
幻想的な庭園から宮殿に入った瞬間、足の力が抜けた。ふらりと傾くヘルミーナに、マティアスが体を支えてくれた。
「ヘルミーナ様、大丈夫ですか?」
「……はい、迎えに来て下さってありがとうございます」
現実に戻ってこられて安心してしまったようだ。それでも王妃に言われた言葉はヘルミーナの胸にしっかり刻まれている。
顔色を悪くするヘルミーナに、マティアスは眉根を寄せた。
「私がもう少し早く迎えに来て差し上げれば。何か酷いことは言われませんでしたか?」
「いいえ、王妃様は……私のことを気遣ってくださいました。厳しい言葉もありましたが、とても役に立つお話をして下さって……」
もし、本当にヘルミーナを使って謀反が起きたとき、騎士団はどうするだろう。今は仲良くしてくれているが、彼らはきっと王族と王城を守るはずだ。
でも彼らには傷を癒す術がない。傷ついて次々に倒れていく彼らを眺めながら、自分は味方の軍隊を治癒することが出来るだろうか。
「ヘルミーナ様?」
「いいえ、なんでもありません。……来て下さって、本当にありがとうございます」
そんなことは絶対にあってはならない。
ヘルミーナはマティアスの団服を強く握り締めた。
彼らを裏切るような真似は決してしない。「お荷物令嬢」と呼ばれるようになってから、初めて自分の居場所だと思える場所を見つけたのだから。
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