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国王の寵愛を得て、伴侶となる王妃。
彼女たちは代々続く王妃のために建てられたエルローズ宮殿に住まう。薔薇で美しく彩られた庭園の管理も引き継がれることから、その宮殿は薔薇の花園とも呼ばれていた。
ただ、全員が完璧に管理出来ていたわけじゃない。当然、中には花に興味のない王妃や、虫が苦手で植物に近寄らない王妃もいた。その時は専属の庭師に命じて任せておけばいい。景観が保たれれば問題がないと考える王妃も多かった。
一方、熱心に手入れする王妃もいた。土属性だった王妃は土が悪いと土壌から変えるように指示し、水属性だった王妃は手ずから水を撒き、品質改良を手掛ける王妃もいた。
そうやって受け継がれてきた庭園は、今なお見事な薔薇を咲かせていた。
「光の神エルネス様のご加護がありますように。フレイア王妃様にご挨拶申し上げます。テイト伯爵家の長女、ヘルミーナ・テイトと申します」
「良く来てくれたわね、テイト伯爵令嬢」
転移装置でエルローズ宮殿に移動し、出迎えてくれた王妃の専属侍女がヘルミーナを案内してくれた。護衛は連れてきていない。そういう約束だったからだ。
一人だけ招待されたことに、不安を通り越して頭の中が真っ白だ。おかげで、向かう先々で人払いが済んでいることにも気づかなかった。
緑色の髪をした侍女に「こちらでございます」と連れて来られたのは、薔薇の花園にあるガゼボだった。薔薇のアーチをくぐった所に、まるで秘密基地のようにぽつりと建てられたガゼボは白で統一され、洗練された美しさがあった。
王妃の庭園は特別な客人しか通されないと聞く。例え国王でも、王妃の許可がなければ足を踏み入れることは出来ない場所だ。それだけプライベートな所だった。
ヘルミーナは、ガゼボに置かれたカウチソファにゆったりと座る王妃を見つけて思わず足を止めてしまった。
もし、自分に見たままの光景を絵に出来る才能があれば、今すぐに筆を執っていただろう。ヘルミーナの到着を待っていた王妃は、人族の薔薇園に迷い込んだ森の精霊がつかの間の休息を取っているような光景だった。
しばし見惚れてしまうと侍女が咳払いをして現実に引き戻してくれた。
ヘルミーナは慌てて挨拶をすると、王妃は目の前の椅子を勧めてくれた。声まで美しい。すっかり魅了されてしまったヘルミーナは、ふわふわした気分で椅子に座った。ヘルミーナが席に着くとお茶やお菓子が運ばれてきた。その直後、侍女やメイドは風に溶け込むように消えてしまった。
「わたくしの招待に応じてくれて感謝するわ。貴女のおかげで体がすっかり癒えたわ」
「お役に立てて嬉しく思います」
「ヘルミーナ、と呼んでもいいかしら?」
自分の作った魔法薬が王妃の役に立ち、感謝されるだけでなく名前まで呼んでもらえることになり、ヘルミーナは歓喜で心が震えた。何とか「は、はい! 是非お願い致しますっ」と返すことは出来たが、暫くこの喜びに浸っていたかった。
社交界では遠くから眺めることしか出来なかった王妃が、触れられる距離にいる。夢じゃないかどうか頬を抓ってみたかったが、緊張で体がガチガチになっていた。
「ふふ、そんなに緊張なさらないで?」
「────」
無理です、と即答しかけた言葉を必死で呑み込む。口の中から水分がなくなっていた。メイドが淹れてくれたお茶を飲んでもいいだろうか。じっとカップに入った赤い液体を見つめていると、王妃がまた笑った。
「ローズティーよ、遠慮せずお飲みになって」
「い、いただきます……」
震える手でカップを持ち、一口つけると薔薇の香りが口の中に広がった。
この飲み物にはリラックス効果があるのかもしれない。気分が和らぐと、ヘルミーナはようやく王妃に視線を向けることが出来た。
──フレイア王妃は全ての女性の憧れだった。
彼女は風属性の一族を束ねるセンブルク公爵家の長女で、見惚れてしまうほどの美貌を褒める人も多いが、それだけじゃない。彼女が討伐してきた魔物の数は王国の騎士と肩を並べる程だ。
王妃がまだ公女だった頃、センブルク公爵家の私兵を率いて西の城壁に出向き、ラゴル侯爵家と協力して魔物の討伐を行っていた。風の民の血縁者でもある彼女の戦いぶりは嵐のように激しいことで有名だった。魔物を見つければ容赦なく風の刃で切り裂いていく。恐れ知らずの戦姫とも言われていた。
国王が伴侶に彼女を選んだのも頷ける。
浅葱色のドレス姿で一緒にお茶を嗜む王妃からは想像もつかないが。ヘルミーナが「とても美味しいです」と返すと、王妃は黄緑色の目を細めてにっこり微笑んだ。とても魔物を切り刻んでしまう女性には見えない。
お茶で一息ついたところで、王妃はカウチソファに置いていた手の平サイズの箱を取ってヘルミーナの前に差し出してきた。
「お口に合って良かったわ。それから、これはわたくしから貴女に個人的なお礼よ」
「これは……」
渡された箱は青いジュエリーケースだった。受け取るのも躊躇してしまう高級なケースに、ヘルミーナは伸ばしかけた手を一度は引っ込めたが、王妃の強い眼差しに負けて受け取ってしまった。
そのまま手にしたケースを開くと、中には黄金の葉に緑色の宝石がついたブローチが入っていた。
「ブローチの形をした魔道具なの。魔宝石にわたくしの魔力を付与しているわ。ブローチの両脇を押して投げれば屋敷ぐらい簡単に吹き飛ばせるわね」
「や、屋敷を……っ!?」
高価な魔法石に自身の魔力を付与して相手に渡すことは、最上級の信頼の証だ。
地方によっては、娘なら嫁ぐときに渡し、息子であれば成人したときに贈ると聞かされたことがある。他にも親しい友人や恋人の間でも絆を深めるために交換している人はいたが、ヘルミーナはまだ貰ったことがなかった。
婚約者とは縁を切り、仲が良かった友達とは疎遠になり、親元から離れていたヘルミーナにとって、予想外のプレゼントだった。
威力はともかく、身の安全を心配されているようで嬉しかった。
「私などが頂いてしまっても宜しいのでしょうか?」
「貴女のために作らせたのよ。貰ってくれないとわたくしが困ってしまうわ」
そこまで言われてしまうと受け取らないわけにはいかない。ヘルミーナはお礼を言って、開いていたケースを優しく閉じた。
これを社交界のパーティーで着けていったら、多くの令嬢たちに睨まれそうだ。
それなのに、ヘルミーナは王妃から受け取ったブローチを着けてパーティーに参加してみたくなった。以前は人目を気にして目立たないように努めてきたのに、今はどんな酷い言葉を投げつけられても逃げ出さずにいられる気がした。皆のおかげで自信がついたのかもしれない。
自身の成長を感じていると、王妃は「気に入ってくれて良かったわ」と目を細めた。ヘルミーナは慌ててケースを仕舞い、居住まいを正した。
そこから暫く沈黙が続いた。ヘルミーナから口を開くわけにもいかず、お茶を数回ほど口に運んだ。同じく王妃もまたカップを持ち上げて口をつけた。けれど、先程までとは違い妙に思い詰めた表情を浮かべている。何かあったのか訊ねたかったが、ヘルミーナはじっと待つことしか出来なかった。
すると、王妃は悩んだ末に訊ねてきた。
「そういえば貴女のご両親は、テイト伯爵夫妻でお間違いなくて?」
「は、はい……間違いありません……」
「お二人の間から生まれた子供という認識で良いかしら?」
「はい、それは絶対に間違いありません」
これは何の尋問だろうか。
どんな時も堂々としていた王妃が、今は目も合わそうとしない。悪いことをしているわけでもないのに、どちらも落ち着かなかった。
「貴女は母君に似ているのかしら?」
「いいえ、私は良く父に似ていると言われます」
「そう……。それじゃあ、貴女が陛下の隠し子というわけではないのね……?」
「ちっ、違います! いいえ、そんな! 王妃様が疑われることは何も!」
「……そうなのね。それを知って安心したわ」
──安心したのはこちらの方です。
今までのやり取りは一体どういうことだろうか。まさか国王の隠し子と疑われていたのだろうか。王妃の、あまりに深刻そうな質問に一瞬ありもしないことを考えそうになったが、自分の両親に限ってそんなことはない。それだけは自信を持って言える。
ただ、あまりの出来事にお茶の味も忘れてしまいそうだ。
どうしてそんな話になったのか。ヘルミーナは安堵の表情を浮かべる王妃に、作り笑顔を作るのが精一杯だった。




