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「お疲れ様です、カイザー副団長」
突然現れたカイザーに、ヘルミーナは驚いて目を丸くする。その横で、パウロがカイザーに向かって挨拶をした。ヘルミーナも倣って頭を下げるも、心臓が可笑しく脈打っていた。
すると、カイザーは周囲に人がいないのを確認してから近づいてきた。ゴホン、とした咳払いは、何か誤魔化したいことでもあったのだろうか。
「あー……パウロ副団長、あとは私が代わるから戻って大丈夫だ」
「予定より早いようですが」
「実践訓練がその予定より早く終わっただけだ」
本日の魔物を使った実践訓練では、第一騎士団が指南役を務めていた。新人の騎士達が、第一騎士団の実力を間近で見ることが出来ると嬉しそうに話していたのを思い出す。
先日、非公式ながらも魔物の討伐を見学していたヘルミーナは、彼らが興奮してしまう気持ちが良く分かった。
魔物をいとも簡単に制圧してしまう姿は本当に格好良かった。
ヘルミーナは一人、納得したように頷いていると、カイザーが目の前にやって来た。
「ミーナ嬢、ロベルト先生から上がっても良いとの伝言をもらってきた」
「そうでしたか。教えてくださってありがとうございます」
手持ち無沙汰になっても、上司であるロベルトが戻って来るまで待つ予定だったヘルミーナは肩の力を抜いた。
上がって良いということは、もう治癒する怪我人がいないということだ。やはり普段の訓練と違って、魔物を使った実戦となると変に緊張してしまう。おかげで体のあちこちが凝ってしまった。
「皆さん無事で良かったです」
「ミーナ嬢がいるおかげで新人の騎士も安心して戦えた。もう少し訓練すれば魔物の討伐に連れていくことも出来る」
最高の褒め言葉だ。ヘルミーナは緩みそうになる口元を堪え、スカートを握り締めた。
最近は感謝されることが増え、お礼の言葉は素直に受け入れるようになったものの、この褒め言葉だけはまだまだ慣れなかった。
それでも嬉しいことに変わりない。ヘルミーナははにかむように笑った。ただ、上手く笑えていなかったのか、ヘルミーナの顔を見るなりカイザーは視線を逸らした。……そういうこともある。
「それではパウロさん、本日はありがとうございました」
「ミーナ様もお疲れ様でした。ゆっくりお休み下さい」
ヘルミーナは一日中護衛を務めてくれたパウロにお礼を伝え、カイザーと共に病室を出た。
廊下に出れば宿舎に戻る騎士達と鉢合わせ、それぞれ挨拶をしていった。誰もが明るい表情をしていた。それが嬉しかった。
今朝は窓の外からメイド達の話し声が聞こえてきて、つい耳を澄ませてしまうと、騎士団の雰囲気が明るくなって過ごしやすくなったと笑い合っていた。命を落とす騎士や、怪我で退団していく騎士も少なくなったと聞いて、ヘルミーナの心も弾んだ。
廊下を進んでいくと徐々に人の気配が消え、誰もいなくなった廊下をカイザーと並んで歩いていた。転移装置を日常的に使っているのは騎士の中でも上層部だけだ。
すると、カイザーは思い出したように口を開いた。
「そういえば以前、ミーナ嬢が私の父上に頼んでいた魔道具師の件だけど、紹介しようと思っていた方が体調を崩してしまって。もう暫く待ってくれないだろうか?」
「急いではないので私の方は構いませんが、それよりその方は大丈夫でしょうか? 治療が必要でしたら」
「それは問題ない! ……あまり人付き合いが好きではない方だから」
公爵家の子息でも畏まる相手というのは気になったが、ヘルミーナは敢えて訊ねなかった。後になって、この時しっかり聞いておけば良かったと後悔することになる。
ヘルミーナが素直に聞き入れるとカイザーは安堵したような表情を見せた。カイザーは気持ちが顔に出るタイプだ。
あの日、第一騎士団のマティアスと一緒にいるヘルミーナを見て、彼は双眸に激しい怒りを含ませながら現れた。理由は分からなかった。
もしかしたら、カイザーの上司であるマティアスを連れ回してしまったせいで、迷惑を掛けてしまったのかもしれない。どちらも忙しい身だ。
ヘルミーナの護衛は現在、カイザー、パウロ、リック、ランスの四人の騎士が交代で行ってくれていた。
一度だけ護衛そのものを断ろうとしたのだが、そんなことをしたら騎士団内で暴動が起きますよ、と専属侍女のメアリに言われたことがある。念の為、騎士団総長のレイブロン公爵にも伝えてもらったが、これ以上私の悩み事を増やさないでくれ、という返事が届き、聞き入れてもらえなかった。
騎士団とは良い関係を築きたいと思っていたヘルミーナにとっては複雑だ。
それでなくても先日、第二騎士団の団長を始めとする騎士達がヘルミーナの元を訪ねてきて大騒ぎになった。彼らは皆、ヘルミーナと同じウォルバート一族だった。
とくに第二騎士団の団長はヘルミーナとも面識のある貴族の子息で、言葉を交わしたのは数えるぐらいだが、彼の名は何度も耳にしたことがあった。
そんな彼らが一同に集まり、ヘルミーナに許しを乞いに来たのだ。
ヘルミーナは、同じ一族なら誰でも知っている「お荷物令嬢」として有名だった。
彼らの中には、英雄のお荷物になっているヘルミーナに嫌悪感を抱いた者もいたはずだ。一緒になって文句を言っていた者もいるかもしれない。噂で流れてくる情報しか、ヘルミーナという女を知らなかったのだから。
実際、直接会って話したことのある人は一人もいなかった。そんな彼らに悪く思われていたかと思うと切なくなる。その一方で、彼らを責めることは出来なかった。悪いのは彼らではない。
見れば、謝りに来たのは第二騎士団の騎士ばかりだった。第二騎士団は水属性の者達が多く、だから国王夫妻が赴いたウォルバート一族の地方遠征に同行することになったのだ。そして彼らは怪我を負いながらも、一族が住む村で魔物の討伐をしてきてくれた。
個人的な感情を含めても彼らには感謝しかない。
それに何度も「恩人になんてことを……っ」と謝られて、怒りや虚しさという気持ちは無くなってしまった。胸のすく思いに、ヘルミーナは彼らの謝罪を受け入れた。
こうやって「お荷物令嬢」だけじゃない自分を知ってもらえたら、周囲からの目も変わっていってくれるのかもしれない。
「ミーナ嬢、宮殿に戻ろう」
「はい!」
ミーナ、と呼ばれることが日常となり、少しずつ過去が過去となっていくのを感じる。婚約者に呼ばれていた「ミーナ」という愛称が、特別ではなくなってきたのだ。
だから、今も婚約者であるエーリッヒが婚約解消を拒んでいると聞かされても、心が揺れ動くことはなかった。
渡された手紙に、ずっと欲しかった言葉が綴られていても……。




