62
騎士団の宿舎脇で洗濯紐に白いシーツを掛けていたメイドが、ふと漏らした。
最近、騎士団の雰囲気が変わった、と。それを聞いていた同僚のメイドもまた洗濯物を干しながら、宿舎の建物を見上げて頷いた。
──確かに変わった。
今まで殺伐としていた騎士達の雰囲気が柔らかくなった気がする。おかげで仕事中も息を殺す必要がなくなった。
何より、命を落とす騎士がいなくなった。怪我が原因で退団する騎士も。
騎士の中には、使用人に対しても気さくに接してくれる人がいた。そんな騎士も討伐で帰らぬ人となり、使用人達はその悲しみに耐えきれず仕事を辞めていく者も多かった。それ以来、騎士とは関わらず、仕事と割り切って働いていたが、そのせいで騎士と使用人達の間には微妙な距離が出来ていた。
けれど、それが無くなりつつあった。
挨拶だけ交わしていた騎士が積極的に話しかけてくるようになった。殺風景な廊下には花が生けられた花瓶が飾られるようになり、楽しく談笑する騎士の姿も見かけるようになった。
次第にその光景が当たり前のようになり、使用人達の表情も明るかった。
──こんな日がずっと続けばいいのに。
暖かな日差しが差し込み、干したばかりの洗濯物が気持ちよさそうに揺れていた。
「ミーナさん、怪我人を連れてきましたっ!」
「こちらにお願いします!」
騎士団宿舎の病室、二人の騎士が右脚から血を流した騎士を両脇から支えながら連れてきた。
今日は魔物を使った新人の実戦訓練だ。軽傷者は演練場にいる専属の医者が治療を行っているが、重傷の患者はそのまま病室に運び込まれてくることになっていた。
現在この病室に医者はいない。神官もいない。けれど、それ以上に怪我人を治してしまう奇跡の癒やしがあった。
ミーナ、と呼ばれた女性が忙しく動き回り、運び込まれた怪我人に向かって両手を翳した。すると、怪我の患部が白い光に包まれ、瞬く間に抉られた肉と皮が再生して傷口が塞がっていく。見れば見るほど不思議な光景だ。
全治三ヶ月の怪我を一瞬にして治してしまう魔法も、その魔法を唯一宿した「ヘルミーナ」という女性も。貴族令嬢と聞かされていたのに、彼女は次々に運ばれてくる怪我人を、別け隔てなく治癒していった。
「ミーナさん、次はこっちをお願いします!」
「分かりました!」
薄い水色の髪を揺らして動き回るヘルミーナの顔に、焦りや恐怖は見られなかった。怪我を負った騎士を治癒する真剣な眼差しは、魔物と対峙する勇敢な騎士と遜色ない。彼女もまた戦っているようだった。
そもそも彼女は騎士団所属ではない。唯一の光属性持ちとして覚醒したヘルミーナは、魔法訓練のために騎士団の病室で働いていた。
彼女のおかげで希望を失わずに済んだ騎士は多い。
最初は驚きと感動に浮足立っていた騎士も、時間が経つにつれ彼女への感謝がより深まっていった。
騎士を辞めずに続けられている。
家族や仲間や大切な人と笑っていられる。
心臓が今も鼓動している──普段と変わらない時間を過ごしていると、この白い光の温もりを思い出させずにはいられなかった。
「お疲れ様でした、ミーナ様」
「様はやめてください、パウロさん」
パウロもその一人だ。平民であるパウロは新人を育成する部隊に所属していたが、実戦訓練の最中、魔物の暴走によって瀕死の重傷を負わされ、ヘルミーナによって命を助けられた。
もし命を失っていたら、結婚したばかりの妻を残し、生まれてくる子供の顔すら見ずに終わっていただろう。現在も変わることなく剣を握っていられるのは目の前にいるヘルミーナのおかげだ。
「人がいる場所では気をつけています」
「そういう問題では……」
「マティアス団長もそのようにされているかと」
上の者の名前を出すとヘルミーナは一瞬納得するも、すぐに「パウロさんまで真似する必要はありません!」と口を尖らせた。
パウロは以前と比べて表情が豊かになってきたヘルミーナに笑いを堪え、汚れたシーツを片付けていく彼女の手伝いに加わった。ヘルミーナの護衛をしていることは、他の使用人達に知られてはいけないからだ。
「そういえば第二騎士団の団長と、ウォルバート一族の騎士が謝罪しに来たと聞いたのですが本当ですか?」
「……それは」
第二騎士団は前回、地方の視察に向かう国王夫妻に同行していた。そこで魔物の群れに襲われる村に鉢合わせ、騎士団は魔物の討伐を余儀なくされた。討伐は辛うじて成功したものの怪我人は多く、未だ現地で治療を受けている者もいる。
同じく国王夫妻と共に戻ってきた騎士の中にも、騎士に復帰出来るかどうか分からない程の怪我を負った者もいた。彼らは告げられた現実に絶望し、同じ騎士として掛ける言葉さえ見つからなかった。
そんな中、ヘルミーナが再び騎士団の宿舎に現れた。彼女は身分を偽り、メイドの装いで病室に訪れ、あっという間に怪我人を治してしまった。
怪我を治してもらった騎士は感動に打ち震え、病室は歓喜に包まれたと言う。そう、まさに自分の時と同じように。
奇跡の魔法を惜しみもなく施してくれるヘルミーナの話を聞いて、パウロは居ても立ってもいられなくなった。血が騒いだのは第一騎士団に所属していた以来だ。
か弱いながらも仲間を治癒してくれたヘルミーナに、パウロは自分自身が恥ずかしくなった。戦える力があるなら、前に出て戦うべきなのに。新人を育成することも重要な役割だが、それは他の者でも十分にこなせる。最愛の人を手に入れてから、臆病になってしまっていたのかもしれない。
パウロはすぐに打診されていた現場復帰の話を受け入れ、実力試験を経て第二騎士団の副団長に着任した。打診を悩んでいたのが馬鹿みたいだ。そして最初の任務として、ヘルミーナの護衛を任された。
「私は平民なので貴族同士の問題に口出しすることは出来ません。ですが、ミーナ様の護衛を任された以上、何かあれば遠慮なく──」
「だっ、大丈夫です! 本当に、何もありませんでした!」
パウロの表情が凍えそうなほど冷たいものに変わると、ヘルミーナは両手と首を振って何事もなかったことを必死にアピールしてきた。
ヘルミーナは、パウロが知る傲慢で我儘な貴族令嬢とは全く違っていた。
護衛を引き受けるに当たり、ヘルミーナの事情を聞かされたパウロは、彼女がこれまで受けてきた仕打ちに言いようのない怒りを覚えた。彼女を好き勝手扱ってきた婚約者に対しても、彼女を嘲笑ってきた貴族に対しても。
平民である以上、貴族の問題に手を出すことは出来ない。しかし、少しでも彼女の不安を和らげ、耳を塞いでやることは可能だ。ヘルミーナを守っているのは自分だけではないのだから。
「何かあればすぐに私や団長達に言って下さい。ミーナ様にもしものことがあれば私の妻も悲しみますから」
パウロが妻の話を口にすると、ヘルミーナは嬉しそうに顔を綻ばせた。
パウロの妻は元騎士で、特別任務を任された際にヘルミーナと顔を合わせていた。本来ならそこで終わるはずの関係は、今もパウロを介して手紙のやり取りをしている。羨ましい。いや、羨ましすぎる。
だからこそ、ヘルミーナに何かあれば妻をも悲しませることになるのだ。
「はい、そうします!」
満面の笑みを浮かべて返事をするヘルミーナを見て、パウロもようやく口元を緩めた。
その時、廊下から騒々しい足音が聞こえてきた。
「ミーナ嬢、すまない遅くなった!」
ドアが壊れてしまうんじゃないかという勢いで開いたかと思えば、息を切らした第一騎士団副団長のカイザーが滑り込んできた。
魔物を取り逃がしても、今ほど焦った様子は見せなかっただろう。
パウロは予定より三十分も早く迎えにやって来たカイザーに、やれやれと肩を竦めた。
皆様のおかげで当作品が、第10回ネット小説大賞小説賞を受賞しました!
いいね、評価、お気に入り追加、誤字脱字報告等々、本当にありがとうございます。
それらが活力となり、とても励みになりました。
引き続き連載していきますのでどうぞ宜しくお願いします。




