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三方に分かれていた魔狼牙はそれぞれの場所で攻撃を仕掛けてきたが、騎士の一人が味方から外れた途端、孤立した騎士に向かって三頭同時に襲いかかってきた。
刹那、魔狼牙と騎士の間に炎の壁が現れた。
「一ヶ所に集まれっ!」
カイザーである。彼は孤立した騎士を救うと、騎士たちに指示を飛ばした。騎士たちはカイザーの命令に従い、ちょうど演練場の中央に集まった。
獲物を逃した魔狼牙は悔しそうに唸ったが、緋色の双眸は不気味なほど爛々と輝いている。
「魔狼牙は見境なく攻撃を仕掛けてくるが、攻撃力が低いだけあって獲物を絞って狙ってくる。だが、ルドルフ殿下の剣は明らかに避けているようだ」
「本当に凄い魔物除けだよ」
「でもこれじゃ試し斬りできないっすねー」
カイザーに助けられた騎士はそのままルドルフの身を守るように、二人の近くに立った。ランスである。彼はへらりと笑うと、助けてくれたカイザーに礼を言った。
「副団長のおかげで助かったすわ! 前髪は焦げちゃいましたけど」
「御託はいいから、魔狼牙の統率状況を教えろ」
自ら囮になってわざと魔狼牙に襲われたランスは、こんな状況でも楽しげだ。本来、三頭の魔狼牙ぐらいなら彼一人でも倒せてしまうのだが、本日の実践訓練ではルドルフのサポート役に徹していた。
「了解っす。まず三頭の内、ボスになったのは尻尾が一番長いヤツですね。他の二頭は同格で、ボスの命令に忠実に動いているみたいっす。あと、なんか嫌な予感がするんでボスは早めに消滅させた方がいいですねー」
ランスは知り得た情報をカイザーとルドルフに報告した。
知能がないと思われていた魔物も、強い者に従う習性は持ち合わせているようだ。ただ、全てがそういうわけではないため、その時、その場所で正確な情報を素早く知ることが重要視されている。
無謀ではあったが、ランスは鋭い洞察力と観察力を発揮して貴重な情報を持ってきてくれた。確実に守ってくれる仲間がいるからこそ、大胆な行動に移すことが出来るのだろう。勿論、自身の能力も必要だ。
魔物に囲まれても余裕でいられる騎士達に、ルドルフは羨ましくなった。
「だからと言ってボスを狙っても他の二頭が邪魔をしてくるだろう」
「そうなんすよねー。それじゃ目障りなんで二頭はさっさと退場させちゃいます?」
「そうしよう。特にあの二頭は殿下の剣を恐れて近づいて来ない。ボスは私達が殺るから、他の二頭を頼む」
ここでは第一騎士団副隊長のカイザーが司令塔だ。他の騎士達も聞き逃すまいと彼の指示に耳を傾ける。それでも魔物への注意は怠らない。
カイザーが近くにいた別の騎士に目配せすると、その騎士は両手を突き出して水魔法を飛ばした。
瞬間、魔狼牙は攻撃が当たらないように飛び退いたが、ボス以外の二頭に向かって騎士が集中し、尻尾の長いボスは二頭から無理やり引き離された。
「ルド!」
「問題ない!」
他の騎士から遅れること数秒。地面を蹴った二人は他の二頭から離れるボスの魔狼牙との距離を縮めた。
先に鞘から剣を抜いたカイザーは、そのまま魔狼牙に向かって攻撃する。しかし、魔狼牙は反射的に後ろに飛び退き、カイザーの剣をかわした。──その時、カイザーの背後からルドルフが飛び出して剣を振り上げた。
グリップから剣先に向かって光の帯びた剣に、魔狼牙は一瞬怯んだ。それでも素早さを活かしてルドルフの剣から逃れる。だが、剣の切っ先が腹部の毛を掠めた。
「チッ、あと少しだったのに!」
ルドルフは手応えのない剣に舌打ちするも、深追いせず一旦立ち止まった。その隣にカイザーが駆け込んでくる。
「惜しかったな。でも剣の効果は十分あったようだ」
カイザーに言われて仕留め損なった魔狼牙を注意深く見れば、腹部の毛並みが蒸発するように黒い煙を上げて焼け焦げていた。
やはり全ての魔物が恐れるだけのことはある。光属性の効果は絶大だ。ボスの魔狼牙はルドルフの剣に向かって低く唸るも、敢えて一定の距離を保っていた。
そこに、後方から獣の低い鳴き声が聞こえて視線だけを向けた。
「あちらは終わったようだね」
「ああ、無事に済んで良かった。残るは──」
ランスを始めとする他の騎士達が二頭の魔狼牙を消滅させるのを確認し、ルドルフとカイザーは再び残り一頭となった魔狼牙を見た。
仲間を失った魔狼牙はボスという立場も失い、怒りに震えた様子で大きく唸った。その直前、鼻を高く持ち上げて遠吠えをすると体や赤い毛並みに変化があった。体は一回り大きくなり、赤い毛が黒色に変わっていく。先程負った火傷の跡も綺麗になくなっていた。
「やはり異端種だったか! 完全に覚醒し切っていないところを見ると不完全な異端種かもしれないが、次の覚醒が来ないとも限らないっ」
「ならば、次で確実に仕留めよう!」
突然の異端種の覚醒に、演練場の空気は一転した。
前回の事故でトラウマを植え付けられ、騎士団を去らなければいけなくなった新人騎士がいる。魔法契約によって事故の詳細や退団の理由を語ることは禁じられているが、彼自身も思い出したくない記憶になっただろう。命こそ助かったものも、無力さを嫌というほど思い知らされたのだから。
それでも乗り越えなければいけない壁だ。現在、演練場にいる騎士達は皆そうやって幾度の辛い記憶を抱えながらも騎士団に残った猛者達だ。異端種の出現に緊張は走ったが、随分落ち着いていた。
「挟み撃ちにしよう!」
「カイザーに扱かれてきた成果を見せられる時が来たよ!」
ルドルフは異端種の魔狼牙に臆すことなく、カイザーと共に魔狼牙を演練場の端に追い詰めていく。その間に数回攻撃を仕掛け様子を窺った。魔狼牙は覚醒して力もスピードも数倍上がっていたが、ルドルフの持つ剣だけは避けていた。
カイザーは魔狼牙に攻撃しつつ先回りして退路を断つと、魔狼牙に向かって火の魔法を放った。延長上にルドルフの姿を捉えたが、無効化を持つ彼に火の魔法は効かない。
「ルドルフ、今だ!」
カイザーの火魔法を避けた魔狼牙だが、一瞬だけ足を止めてしまったことが命取りになった。
火を突き破るようにして背後から現れたルドルフが、魔狼牙に向かって刃を振り下ろした。
「──君には感謝するよ。歴史が変わる瞬間の立役者になってくれたんだ」
これまで魔物が死の間際で見た景色の中で、白金の髪が映ったことはない。王族が魔物を倒した記録もない。王国の歴史上、今日が初めてだ。
ルドルフは握り締めた剣で魔狼牙の首を切断した。絶命した魔狼牙はルドルフの足元で静かに灰となって消えていった。
演練場に静寂が訪れると、聞こえてくるのは自分の荒い息遣いだけだった。ルドルフは空を仰ぎ、防壁が解除されていくのを見つめた。
長年の夢が叶ったというのに、不思議と何も出てこない。
言葉も、表情も、思いも……。
頭が真っ白になって実感が湧いてこなかった。
しかし、振り返るより先に飛び込んできたカイザーに肩を抱かれ、演練場に響き渡る歓声が耳に届き始めた頃、ルドルフはようやく表情を綻ばせた。




