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「二重属性になっても魔力が二倍になることはありませんが、両方同時に使用すると二重に減っていくというのは厄介ですね」
定期的に行っている授業で、モリスはヘルミーナの纏めた書類に目を通しながら口を開いた。厄介、と言いながらも書類を見つめる目は鋭く光っている。
魔法関連で新しい発見をした時のモリスは、表情に出さないものの、子供のようにはしゃいで見えた。その顔を見るのが密かな楽しみだ。船を見上げる父親と同じ顔をしていた。
「初めの頃は水魔法と一緒でなければ神聖魔法を使うことが出来なかったので、掛け合わせたものになっていましたが、近頃は訓練のおかげで魔力の切り替えも出来るようになり、元となる水は最初から用意することにしました」
「……なるほど。聖女様も儀式には聖杯に水を入れて、そこに神聖魔法を掛けることで治療薬を作っていたと言われています。水そのものに力はなかったかと思われます」
「今回使用した水もごく普通の飲み水です。効果は、水魔法と一緒に出すより高いことが分かりました」
「それだけ神聖魔法の精度が上がったということでしょう」
ヘルミーナは何度も書き直した書類をモリスに手渡した。内容は訓練の内容と効果、またその時どれだけの魔力を使ったか、回復にはどれだけの時間を要したかなどを事細かに記している。
「コップ一杯分の水に掛ける神聖魔法をそれぞれ低、中、高と三つに分けたのですね。とても解りやすいです。まず低い神聖魔法が掛けられた魔法水の効果は、切り傷や打撲を治癒し、中間は骨折や古傷を治し、そして最も効果の大きい魔法水は……あらゆる病気や怪我を完治させるものだと。これは誰かが実際に飲まれたのですか?」
「実は……ロベルト先生が、実験台になって下さいました。効果があやふやなものを患者に飲ませるわけにはいかないと、自ら飲まれて効果を教えていただきました」
「医者であるベーメ男爵が確かめたものですから、まず間違いないでしょう。少し羨ましく思いますが」
「あの、でしたらモリス先生も……」
「いいえ、私は遠慮しておきます。元気になり過ぎると、仕事が増えるだけですから」
まるで「仕事が増やされる」と言いたげな言葉を聞いて、ヘルミーナは口を閉じた。
国の宰相として多忙な毎日を送っているモリスは、この授業の時間が唯一の息抜きだと漏らしたことがある。しかし、モリスが滞在する時間は徐々に短くなっていき、負担を掛けているんじゃないかと不安になっていた。いくら本人が「ヘルミーナ様はお気になさらず」と言っても心配だ。もし、モリスが過労で倒れることがあったら、全力で治療するつもりだ。
「因みに魔法水は、一日どのぐらい作れますか?」
「低い魔法水は一日二十本から三十本、中間は十数本程度、高いものになると二本ぐらいが限界かと」
「それでは全ての魔力を出し切ったとして、回復するにはどのぐらいの時間が必要だと思われますか?」
「私は魔力が少ないので、全ての回復でしたら一日あれば可能かと思います」
「一日ですか……。その間は水魔法も使えなくなってしまうというわけですね」
魔力を貯めておける器が一つである以上、神聖魔法で魔力を使い果たしてしまうと必然的に水魔法も使えなくなってしまう。つまり、何かあった場合身を守る術がなくなってしまうということだ。
ヘルミーナが頷くと、モリスは考えるようにして自分の顎を触った。
「二重属性の仕組みと、神聖魔法の効果については分かりました。まだまだ調査は必要ですが、一先ずヘルミーナ様の負担を考えて、一日に使用する魔力の量を決めた方が宜しいでしょう」
「……そう、ですね」
もし、もっと自分に魔力があったなら。無限に使える魔力があれば、こんな問題に頭を悩ませることもなかっただろう。何より「お荷物の婚約者」になることもなかった。
何度も、何度もヘルミーナを苦しませてきた問題。それがまた大きな壁となって立ちはだかってきた。ヘルミーナは両手を見下ろして、ひ弱な自分に溜め息をついていた。
★ ★
──負担を減らして効率を上げる方法か……。
モリスの授業の後、ヘルミーナは少ない魔力で如何に魔法水を作っていくか、騎士の治療を行っていくかを考えていた。しかし、一晩経っても良い方法は思い浮かばなかった。
聖女の記述が載っている書物を読み漁ったが、彼女がどうやって多くの民を助けたのか、具体的な方法は書かれていなかった。どれも「奇跡」や「祝福」という言葉で表され、肝心なことは何も分からなかった。
魔力を限界まで使って、翌日寝込んでいては意味がない。魔力を気にすることなく神聖魔法を施すことができれば、より多くの人を救うことが出来るのに。
でも、きっと良い方法があるはずだ。そんな確信がある。それなのに、その方法が思い浮かばない。いや、何か忘れているような気がしてならなかった。
「……さん、ミーナさん!」
「え、あ……」
がらんとした病室で作業をしていたヘルミーナは、呼び掛けられてハッと我に返った。視線を上げたところに、男性騎士が困り顔でヘルミーナを見つめている。
何が……と思って視線を下げると、そこにはピカピカに輝いた腕があった。打撲で青くなっていた怪我は綺麗さっぱり完治し、男性の肌は赤子のような仕上がりになっていた。神聖魔法の掛けすぎだ。
「ご、ごめんなさいっ!」
ヘルミーナは騎士から手を離して謝った。必要以上に魔力を使ってしまった。騎士は「治療してくださり、ありがとうございました」とお礼を言って、病室から出て行った。
「大丈夫ですか?」
「はい、平気です……」
椅子に座って呆然としていると護衛のリックが近づいてきた。余計な心配を掛けてしまったようだ。ヘルミーナは締まりのない顔を両手で揉み、肩の力を抜いた。
魔物の討伐で怪我を負っていた第二騎士団の治療は先程の彼で終わった。他にも訓練で怪我をした騎士の治療も行っていたが、それも完了している。おかげで病室の患者は誰もいなくなった。
ただ、気掛かりなこともある。騎士の話では、まだ重症を負った騎士が王都に戻って来れず、向こうに留まっていると聞いた。
魔法水を届けてもらうことも考えたが、ベッドから起き上がることも出来なかった騎士がいきなり完治して動けるようになれば大きな騒ぎになるだろう。光属性の存在が明るみになれば、ヘルミーナの力を求めて多くの人が殺到するかもしれない。そうなった時、全員を治すことは難しい。かと言って、誰かを選ぶことも出来なかった。
ヘルミーナは焦る自身に、落ち着くように言い聞かせた。魔力の量になると、どうしても気落ちしてしまう。折角、騎士達からの感謝も素直に受け入れられるようになったのに。もっと胸を張らなければ。
その時、病室に近づいてくる足音が聞こえて顔を上げた。
「ミーナ、今いいか?」
「どうかしましたか、ロベルト先生」
現れたのは朝から席を外していたロベルトだ。
ヘルミーナの魔法水を飲んでからか、十歳は若返って見える。何でも女性の騎士がロベルトを見るなり、一体どんな魔法を使ったのかと殺到したらしい。美容にも効果があると知れば、今度は女性騎士が病室に列を成しそうだ、と嘆息するロベルトに、ヘルミーナは口を結んだ。すでに、それは試したことがあるとは言えなかった。
「今日なんだが、演練場で大規模な訓練が行われる。緊急事態に備えて医者の要請があった。念のため君も一緒に付いてきてくれ」
「分かりました」
魔物を使った訓練ではないことを教えられて安堵したが、騎士同士の訓練を見るのはこれが初めてだ。
ヘルミーナは上の空だった気持ちを入れ替えて、一度も足を踏み入れたことのない騎士団の演練場に向かった。




