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神聖魔法の訓練に、暫く騎士団の病室で治療させてもらえないか──。
その話はモリスからルドルフに、そしてルドルフから騎士団総長のレイブロン公爵に伝えられた。レイブロン公爵は「ヘルミーナ嬢は私を破滅させたいらしい」と、笑いながら快諾してくれたようだ。
許しを得たルドルフは直ちに騎士団の逼迫した医療体制と人員不足に目をつけ、予算会議で騎士団の人員確保と予算の追加を訴えた。大臣の中には渋る者もいたが、国王陛下の視察に同行した第二騎士団の惨状を語ると、会議室は静まり返った。もし、ここで「騎士の鍛えが足りないからだ」などと口を滑らせれば、討伐を指揮した王妃への侮辱にもなる。
おかげで、騎士団には見舞金や予算の追加に加え、人員確保の要望が聞き入れられた。
一方、何も知らずに報告を受けたヘルミーナは、働けるようになったことに喜んだ。宮殿での生活は悪くなかったが、いつまでも客人に対すような高待遇に居た堪れなくなってきたところだ。……決して体重が気になったからではない。
騎士団には、増員された使用人に紛れて出入りすることになった。同じく、専属侍女のメアリも一緒に付いてきてくれるという。とても心強い。主従関係ではあるものの、同年代の友人を失ってしまったヘルミーナにとって、メアリは友人のように気兼ねなく喋れる相手だった。彼女のおかげで慣れない生活でも充実感を覚えるようになり、何より笑顔でいる時間が増えた。
勿論、光属性の魔法訓練もしっかり行っている。授業がない日は魔法水を作ったり、庭に出て花壇や庭に神聖魔法を掛けて経過を観察したりしている。周囲を窺うことなく、魔法の訓練が出来るのは良かった。うっかり頑張り過ぎると、庭師が大忙しで草を刈っては、増え続ける花壇の花を別の鉢に植え替えてくれていた。
そうやって周りのサポートもあり、以前より二重属性の切り替えるコツを掴んできた。初めて騎士団の宿舎に案内された時より成長しているはずだ。
ヘルミーナはメアリと共に支給された使用人の服装に着替え、移動装置を使って騎士団の場所に飛んだ。
騎士団の宿舎に移動すると、すぐにランスが出迎えてくれた。ランスは「エプロン姿も素敵だね」と言ってくれたが、臙脂色のワンピースに白いエプロンをしている使用人の姿は見慣れているだろうに、褒めないと気が済まないようだ。そういう病気なのかもしれない。
ヘルミーナとメアリは配属先の病室に向かった。途中、廊下ですれ違った騎士が「あ」と声を漏らしては、軽く会釈してきてくれた。
ランスが連れて来てくれたのは病室ではなく、医者や看護婦が過ごす当直室だった。室内はお世辞にも綺麗とは言えないほど散らかっており、ごちゃごちゃになっている。人手不足と言われていた理由が良く分かった。横にいたメアリが「仕事には困らなそう」と呟くのが聞こえた。
しかし、住めば都と言われるだけあって慣れてしまえば、この環境も気にならないのかもしれない。白衣が掛けっぱなしの黒いソファーに、見覚えのある医者が座っていた。ロベルトだ。
彼は今しがた起きたといった感じで大きな欠伸を溢し、ヘルミーナ達に気づくとソファーから立ち上がった。
「ご機嫌よ……いいえ、本日よりロベルト先生の助手として働くことになったミーナです。宜しくお願い致します」
騎士団の使用人はいくつかの班に分かれていたが、とくに病室の人手不足は深刻で人の出入りが多かった。それだけに、ヘルミーナとメアリは簡単に病室の配属が決まったのである。子爵令嬢のメアリはそのままリックの妹として入り、ヘルミーナは身分を偽って平民の娘として雇用されることになった。ミーナ、と名乗ったのもそのためだ。
すると、ロベルトはヘルミーナの前に立って小さく頷いた。
「話は聞いている。まあ、どちらかと言えば俺の方が助手になるだろうがな」
「いいえ! 先生の的確で素早い治療があるからこそ患者の方々も無事でいられるのです。至らないこともあるかと思いますが、患者一人一人と向き合う先生の姿を見ながら頑張ります」
「……お嬢さんと話していると、自分が恥ずかしくなってくるな」
「え、どういう……」
「いいや、なんでもない。こちらこそ宜しく頼む」
一瞬、額を押さえたロベルトはすぐに顔を上げて右手を差し出してきた。
ヘルミーナはロベルトの握手に笑顔で応じた。レイブロン公爵とはまた違った手だ。けれど、どちらもそれぞれの道を極めた証が刻まれている。
「早速で悪いんだが、実は数日前に討伐から戻ってきた第二騎士団の騎士達が酷い怪我でな。ある程度の治療はしたんだが……少しばかり状態が良くない」
「魔法水は前回ほどではありませんが、作ってきました。ただ、ご迷惑でなければ重症の方は私が直接治療したいと思います」
「迷惑なものか。それじゃ付いて来てくれ」
白衣を着て戻ってきたロベルトは、すでに医者の顔に戻っていた。
ヘルミーナは当然、ここに使用人として働きに来たわけではない。騎士達の治療にやって来たのだ。彼らが一日でも早く復帰出来るように。ただ、そこにはまだ使いこなせていない光属性の魔力を訓練するためでもあった。神聖魔法の効果も調べる必要がある。
騎士の人を実験台にしてしまうようで後ろめたさはあったが、レイブロン公爵は「むしろ感謝したいのはこちらの方だ」と言ってくれた。だから、その気持ちに少しでも報いるために、ヘルミーナはロベルトの背中に付いて行った。
隣の病室に足を踏み入れるほど、ベッドの上は怪我をした騎士で埋まっていた。ただ、前回の事故から比べると怪我人は治療された後で、落ち着いていた。
「重症患者は左側のベッドだ。右側は比較的軽症の患者だ。他にも怪我人はいるが、入院する程度じゃない奴は通ってもらっている」
「承知しました。では、メアリ……さん、は軽症の方に青い瓶を。私は重症の方から順番に治療していきます」
「俺は何を手伝えばいい?」
「ロベルト先生には、患者の方の症状を教えていただきたいです」
「ああ、分かった」
メアリは目礼して、ランスと共に青い瓶を配り始めた。ヘルミーナが宮殿で作っていた魔法水である。瓶のラベルにはそれぞれ魔力の高低を記しており、メアリには効果を確認するように伝えていた。
ヘルミーナは瓶を確認しながら患者に配る様子を見てから、自らも重症患者の元に向かった。
「この患者は左腕と左脚の骨折だ」
「……ありがとうございます」
端のベッドに着くと、ロベルトが患者の症状を教えてくれた。怪我の部分はすでに包帯が巻かれ、処置されている。前回とは違って、血の臭いもしない。それでも騎士にとっては致命的な怪我だ。
ヘルミーナは患者の男性に向かい「手に触れますね」と断ってから、彼の右手に手を重ねた。そうすることで、より相手の状態を把握し、的確に魔法を掛けることが出来る。
モリスの話では、二重属性は属性が増えても魔力が二倍になることはないと言っていた。ヘルミーナの魔力はあまり多くない。一度に放出してしまうと、すぐに魔力が枯渇してしまう。そうならないために、患者の怪我の具合に応じて魔法を使っていく方法を決めた。
目を閉じて掌に魔力を込めると、淡い光が漏れる。男性が得体の知れない現象にビクッとしたが、次第に信じられないものでも見たような表情に変わっていった。
「──いかがですか?」
「あ、ああ……。痛みが、消えた」
「ロベルト先生、包帯を取っても宜しいですか?」
「それは俺がやろう」
医療関連の書物にも目を通しているが、実際やってみるのでは大違いだ。ロベルトが反対側に立って患者の包帯と添え木を外していく。すると、男性はますます驚いた顔で、自分の左腕を動かし始めた。
「……っ、動く、折れてた腕がっ。あ、脚も……っ」
「良かったです。他に違和感はありませんか?」
「ないです、全く! なぜ、こんなことが……っ」
奇跡だ、と口にした騎士の言葉に周囲はざわついた。折れていた腕と脚が突然完治すれば、誰だってすぐには信じられないだろう。けれど、嬉しいことは自然と受け入れやすい。感動して涙ぐむ男性の顔を見てしまうと、こちらまで泣きそうになってしまった。
ヘルミーナは緩みそうになる感情をぐっと堪え、男性のお礼を受け取ってから次のベッドに移った。
そうやって次の患者も魔法で治療を施すと、感動のあまり抱きつかれそうになった。その時は「はいはーい。ミーナちゃんへのお触りは禁止ー」と、ランスが間に入って阻止してくれた。
左側のベッドにいた患者をすべて治療した後、ヘルミーナはメアリと合流した。魔法水の効果を聞けば、一人だけ完全には回復しなかったようだ。と言っても、肩を噛み千切られた痕が僅かに塞がらなかった程度だったが、ヘルミーナは残りの魔力を使ってその男性騎士も完璧に治した。
仕事をやり終えたヘルミーナは大きく息を吐いた。これなら病室に入れなかった軽症の騎士も、数日後には全員治癒出来そうだ。ホッとしたところで、名前を呼ばれた気がして振り返った。
「ヘルミーナ嬢はここにいるか?」
「カイザー様?」
随分懐かしい声が聞こえたかと思えば、全身ボロボロになったカイザーが現れた。
明らかについ先程まで戦っていたという様子に、事故のことを鮮明に思い出して息を呑んだ。まさか、また魔物が? あの日の恐怖が蘇って立ち尽くしてしまう。しかし、そこにランスが近づいてきた。
「大丈夫だよ、ミーナちゃん。二人共、魔物の討伐から帰ってきただけだから」
「……魔物の、討伐?」
一度ランスの方を見上げたヘルミーナは、またすぐに出入口へ視線をやった。確かにそこには二人、カイザーとマティアスが立っていた。二人は使用人の姿をしたヘルミーナに気づくと、あっという間に距離を詰めてきた。一瞬だった。
「ヘルミーナ様、なぜそのような格好を……」
「まさかルドに働かされて……?」
「ち、違います! 私が騎士団の病室で神聖魔法の訓練をしたいと言ったので!」
背筋が凍るような殺気を感じて、ヘルミーナは首を振った。ランスの話からすると二人は魔物の討伐に出ていて、帰ってきたばかりのようだ。だから知らなかったのだ。ヘルミーナが、危険を顧みず討伐に出掛けていた二人を知らなかったように。
マティアスはカイザーほどボロボロになっていなかったが、それでも団服が汚れていた。彼らがどんな環境で戦ってきたのか分からない。けれど、無事に戻ってきてくれた。ヘルミーナは肩の力を抜いて、安堵の息を吐いた。
「……お二人とも無事で、良かったです。──お帰りなさい」
安心して顔が綻ぶ。そのまま二人に向かって言うと、カイザーは小刻みに震えだし、涙まで浮かべている。マティアスはじっとヘルミーナを凝視して動かなくなってしまった。違和感だらけの二人に「どうかしましたか……?」と訊ねたが、返事はなかった。ランスは「気にしなくていいよ」と言っていたが、本当に大丈夫だろうか。
同じく一部始終を見ていた騎士たちは察した様子で頷き、メアリはやれやれと肩を竦めていた。一人オロオロするヘルミーナの所へロベルトがやって来ると「ほら、関係ない奴らはもう出て行け」と、騎士団が誇る最強の二人を簡単に廊下へ追い出してしまった。
すると、病室には自然と笑い声が広がった。その笑いは次々に伝染し、悲しみに暮れる者は誰もいなくなっていた。




