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「ランス、ちょっといいか?」
パウロは騎士団宿舎の廊下で、目立つ桃色の頭を見つけて呼び止めた。
振り返ったのは元同僚で、今も実力揃いの第一騎士団に所属しているランスだ。騎士団ではムードメーカー的な存在だが、いざという時には頼りになる男である。
「どったの?」
「実はレナが、ヘルミーナ様のドレスを綺麗に洗ったからお返ししたいと言うんだが、お前から渡してもらえないか?」
パウロは申し訳なさそうに伝えた。
彼が大きな事故に巻き込まれて生死をさ迷ったのはつい最近のこと。普通に過ごしている姿を見ると、とても危険な状態にあったとは思えない。だが、あの時は誰もが「助かってほしい」と願いながらもパウロの死を覚悟していた。しかし、その場に偶然居合わせた少女のおかげでパウロは助かった。
「でもあのドレスは返さなくていいって言われたんじゃないの?」
「ああ、処分しても構わないと言われたようなんだが、物が物だろ? 貴族のご令嬢様が着ていたドレスだから、捨てるに捨てられなくてな」
「うーん。でもミーナちゃんは返されても困ると思うけど。汚れは落ちても、記憶までは消えないからさ。返さないほうがいいんじゃないかな?」
突然現れた少女は、魔物の驚異や惨状からは程遠い世界で生きている貴族の娘だった。
傷一つない手、腰まで伸びた艷やかな水色の髪、あどけなさの残る顔。重傷者が運ばれた病室で立っている少女はあまりに異質だった。けれど、少女は魔法水の入った瓶を自ら配って歩き、そして奇跡のような魔法でパウロを死の淵から救った。
パウロは、怪我を負ってからのことは覚えていなかったが、飛び起きた時に傍にいた少女の顔は今でも目に焼き付いている。不安と安堵の混じった儚げな表情をしていた。
まさか、その少女が妻のレナと入れ替わる相手だとは思わなかった。
平民であるパウロは、面倒事に巻き込まれるのを嫌い、騎士以外の貴族と関わるのを避けてきた。一時、第一騎士団に所属していたことで、パウロに接触してこようとしてきた貴族は沢山いた。領地や屋敷の警備強化を図り、騎士団から引き抜こうと考えたのだろう。騎士団の規定に守られていたおかげで大事には至らなかったが、気分の悪くなる話ばかりだった。
だから、貴族の娘と入れ替わって馬車に乗るというレナの任務を快く思っていなかった。それにレナは妊娠していた。夫として心配するのは当然だ。だが、騎士であることを誇りにしていたレナは最後の任務にやる気を見せ、辞退してくれと頼める雰囲気ではなかった。
──結果として、自分が一番心配されてしまったのだが。今になって思えば、何も言わずにいて良かった。少女は命を救ってくれた恩人だ。仲間の怪我も治してくれた。
ヘルミーナという、聖女と同じく光属性を宿した少女に。
「捨てるのが申し訳ないって思うなら、ドレスをリメイクして有効利用してくれたほうがミーナちゃんも喜ぶと思うよ」
「……そうか。分かった、お前に相談して良かったよ」
「女の子のことならランスにお任せってね」
けれど、どんな奇跡を起こしても少女はごく普通の貴族令嬢だった。
緊張の糸が切れたヘルミーナは魔物の恐怖や、人の死に直面する恐ろしさを吐き出していた。
一人、また一人と仲間を見送ってきた騎士にとって胸がすく思いだった。同時に、悲しみや虚しさの感情が麻痺していた騎士には、大事なことを思い出させてくれた。
本当は直接会ってお礼を伝えたかった。でも、彼女は騎士全員が「契示の書」による魔法契約を結ばなければいけないほど高貴な相手だ。自分などが気軽に言葉を交わせる相手ではない。それでも、ヘルミーナへの感謝を忘れたことはなかった。──この先も、ずっと。
「ところで、レナちゃんは元気?」
「……人の妻を気安く呼ぶな。それでなくてもお前との仲が噂されて、俺がどんなに嫉妬……いや、レナが怒っていたか」
「挨拶したぐらいで疑われるのもねぇ。でも、パウロと付き合う前から彼女はパウロ一筋だったし、全然相手にされなかったんだよね」
残念、と肩を落として見せるランスに、パウロは付き合ってから早々にプロポーズして良かったと胸を撫で下ろした。
それでなくてもランスは、気に入った女性がいると積極的にアピールし、肌を重ねるまでが驚くほど早い。……別れるのも早いが。ただ不思議とランスに泣かされたという女性はおらず、別れた後も良い関係を築いているのを見ると上手く付き合っていたのだろう。騎士団の中でも、経験豊富なランスに相談してくる騎士は後を絶たなかった。
「パウロは事故の翌日から仕事に復帰したんだよね?」
「ああ、あれだけ何もなかったように完治してしまったんだ。むしろ古傷も癒えて以前より調子がいい」
「騎士団には戻ってこないの? 第二騎士団の副団長にならないかって打診されたんでしょ」
「なんだ、もう知られているのか。……その件は保留にしてもらっている。第二騎士団は国王陛下の視察に同行して、魔物の討伐から戻ってきたばかりだ。それに、数名の騎士が重傷を負って、まだこちらに戻って来られずにいる。だから焦っているのかもしれないな」
「自力で戻ってきた騎士も酷い怪我だったね」
騎士団で事故があった同時刻、第二騎士団は地方の視察に出向いた国王夫妻の護衛に同行していた。場所はウォルバート一族が所有する領地だったが、栄えている水の都からは遠く離れた山沿いの土地で、道の整備も間に合っていなかった。
とくに山に囲まれた地形は魔物に襲われやすい。すでにいくつかの村が被害に遭っていた。国王は直ちに被害状況を確認し、同行させていた騎士を領地の私兵と合流させて魔物の討伐を命じた。その指揮を取ったのが王妃である。
王妃は自ら魔物の群れに飛び込み、得意の風魔法で多くの魔物の首を切り落としたという。しかし、魔物の数が予想より多く、異端種となる魔物も数体現れて、王妃や騎士は魔力が空っぽになるほど戦い続けたようだ。辛うじて魔物を森の奥へ追いやることが出来たが、勝利と呼べるものではなかった。救いだったのは、誰一人命を奪われなかったということだ。
王都に戻ってきた時、国王と王妃は民に向けて笑顔で手を振り続けていたが、二人の心境がどんなものだったのか側近ですら知ることは出来なかったと話す。
命は助かっても、将来を絶たれた騎士が戻って来ることすら出来ず向こうに留まっている。同じ仲間だからこそ他人事ではなかった。
「ああ……。もしも、またヘルミーナ様のお力を借りることが出来たら、って思ってしまうのは……騎士として情けないな」
「仲間を思う気持ちは皆一緒だよ。でも、それは心の中だけにしてほしいかな。ミーナちゃんの力は、彼女が決めた上で使ってほしいんだよね」
光属性だけが使える神聖魔法。どんな病気や怪我も治癒し、魔物を浄化する力を持つ。ヘルミーナは王族以上に稀有な存在だ。それを身分に関係なく癒やしの力を使ってくれた。
だからこそ、もう一度だけ仲間のためにその力を使ってほしいと欲が出てしまった。けれど、それはやがて要求となり、最後には強要に行き着く恐ろしいものだ。……恩を仇で返す人間にはなりたくない。
パウロは欲を振り払うように首を振ってから口を開いた。
「そういえば最近、マティアス団長とカイザー副団長の姿が見えないな」
「ああ、それねー……。二人とも騎士団の規則を乱した罰で王都にいないんだよ」
「今度は何をしたんだ?」
実力主義者の第一騎士団は剣術や魔法に優れた騎士で構成されているが、内面に関しては一切考慮されていない。性格に難がある者や、癖の強い者がいる。つまり問題児が多い。
これまでにも色々問題を起こしては、総長であるレイブロン公爵の怒りが何度落ちたか分からない。魔物を討伐した数は圧倒的に多いが、それ以上に損害による請求書が束で送られてくるのだ。
「えーと、団長は予定にない護衛をして怒られて、副団長は王族に迷惑をかけたとか何とか。まぁ、二人とも無自覚の興奮状態にあるから仕方ないんだけどね。少し頭を冷やしてこいってことなんだと思うよ」
「それで、どこにいるって?」
「第二騎士団が取り逃がした魔物の残党狩りだよ」
「……まさか二人だけで? 王妃様だって今回の魔物には苦戦されたっていうのに」
王妃と第二騎士団は自分たちの被害状況から、逃げていった魔物は深追いせず討伐を完了して戻ってきた。それは正しい判断だったが、一度人間の味と血の臭いを覚えてしまった魔物はまた同じ場所に戻ってくる。もしくは、別の人間を求めて人里を襲う可能性が高かった。
だから、討伐しきれなかった魔物は領主と相談し、冒険者ギルドと連携して討伐の依頼を出すことが基本だ。ところが、今回は騎士団の最も危険な二人が現地に派遣されたという。
パウロは話を聞いている内に心配になった。今のあの二人で大丈夫なのか、と。ランスもまた窓の外を眺めながら溜め息をついた。
「すぐに戻ってくると思うけど、山が一面焼け野原になってないか心配だよね……」
「そうだな……」




