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「まさか、殿下自ら私とヘルミーナ様を引き合わせてくれるとは思いませんでした」
「私が動かなくても貴方なら勝手に動くだろうと思っただけだよ。ああ、今はモリス先生と呼んだほうがいいかな?」
「どうぞご自由に」
王城にある宰相の執務室──。
その隣にある隠し部屋は、以前まで歴代の宰相が書き溜めてきた王国内に関する重要書類が所狭しと積み上がっていた。しかし、モリスが宰相に着任すると部屋の中は綺麗に片付けられ、書類は全て王宮にある閲覧禁止の書庫に収められた。書類の内容は彼の頭の中──ではなく、書類の情報を読み取って記録しておける魔道具のおかげで、書類に埋もれる時代は終わりを迎えたのだ。それにより彼は隠し部屋を自分専用の研究室にすることが出来た。
そこへ、一時期「生徒」として自由に出入りしていたルドルフは、久しぶりに足を運んでいた。
「ヘルミーナ嬢は、彼女の色から分かるように元は水属性の魔力を持って生まれた。そこに光属性が宿って、今は二つの魔力を所持する二重属性使いだ。これまで専門的に研究してきた先生としては、貴重な調査対象であるヘルミーナ嬢が気になって仕方ないのでは?」
「私を気の触れた人間のように仰るのはやめてください」
「正直に白状したらどうかな? 私だって最初は彼女の存在が信じられなかったよ」
言いながら、ルドルフは長テーブルに置かれた分厚い本を開いた。そこには人体の絵が描かれ、二種類の異なる色筆によって魔力の流れが書き記されていた。
一つは右足から左手に向かって流れ、もう片方は左手から入って右手に流れている。どちらも体内を巡って放出されているが、実際のところこれが正しいのがどうか分かっていない。あくまで仮説を元に作られた書物だ。
すると、モリスはいくつかの本や道具を運んできてはテーブルに並べ始めた。
「……嬉しいのは分かるけれど、彼女に教える時はお手柔らかに頼むよ?」
「分かっておりますとも。私も暫く研究どころではありませんでしたから、こちらもそれなりに準備をしなければなりません」
顔には出さなくても小躍りしそうなほどはしゃいで見えるモリスに、ルドルフは肩を竦めた。
光属性を持った者が現れたというだけでも王国中が大騒ぎになるのに、そこへきて生まれ持った魔力も消えずに残っている二重属性使い。それが、どれほど貴重か。ヘルミーナの存在が明るみになれば研究者達がこぞってやって来るだろう。
だが、彼女は親元を離れたばかりの貴族令嬢で、ここでの生活にも慣れていかなければいけない。それに婚約解消の件や、社交界で受けてきた心の傷もある。暫くはその傷を癒やしながら好きなことだけに目を向けてほしい、という意味合いも込めて王宮に招いたのだが、騎士団での事故は予想外だった。
さらに驚いたことに、ヘルミーナは皆の前で余すことなく力を使ったと言う。密かに神聖魔法を試しているようなことは定期報告で知っていたが、あの惨状の中に自ら飛び込んで治療を施すとは思わなかった。それに、以前よりも魔法の効果が上がっていた。
──なぜ彼女に光属性という「祝福」が与えられたのか。
少しだけ分かったような気がする。
何事にも一生懸命で努力を惜しまず、困っている人を放っておけない性格だからこそ、光の神エルネスは彼女を選んだのかもしれない。ただ、積極的に取り組もうとする姿勢は好ましいが、その一方で自分の居場所を早く見つけなければと必死になる様子も窺えた。
だからこそ急かせたくはなかったが、大人しくしているような性格でもなかった。とりあえず今は、ヘルミーナが孤独を感じない程度に人を派遣し、様子を見ることにした。
それに、悠長にしていられないのはルドルフも同じだ。彼は開いていた本を閉じ、真剣な表情になるとテーブルの一点を見つめた。
「──魔物の動きが以前より活発になってきている。父上には悪いが、暫く地方の視察は控えてもらった方が良いだろう」
「王妃様の具合はいかがですか?」
「魔物の討伐を頑張り過ぎてしまったようだね。怪我をしたわけじゃないから心配はいらないさ。ヘルミーナ嬢が献上してくれた魔法水もあるし」
「私を陛下から引き離すことで、陛下を王宮内に留まらせるように仕向けたのですね」
モリスは細い目をさらに細めて静かに佇むルドルフを見つめた。
次期国王としての風格はあるものの、まだ感情に流されてしまうところがある。自身の計画にヘルミーナを巻き込んだことは後悔していないとはいえ、婚約者のアネッサや親友のカイザーと同等に気遣うところを見ると後ろめたさはあるのだろう。
すると、ルドルフは息をついてテーブルに両手をついた。
「我々王族は、内の敵には強いが外の敵には弱い。誰かの力を借りなければ魔物を倒すことも出来ない。だから、時には力を誇示したくなる時もある。父上が過去にしてしまった行動は許されるものではないが、私は父上の気持ちが痛いほど理解出来る」
「……ええ。陛下はその苦い経験から、討伐が間に合っていない田舎の領地などに足を運び、同行させた騎士たちを討伐隊に加わらせては、多くの民を救って来られました。視察とはいえ二部隊ほどの騎士は連れて行かれますから、戦力としては申し分ないでしょう。そして王妃が自ら討伐の指揮にあたっているのも、陛下のお心を汲んだものかと思われます」
本来、王族は王国の民を守らなければいけない立場なのに、外に出れば民の方が強い。いくら剣術を磨いても、王族が構える剣の矛先にいるのは魔物ではない。王族の敵はいつだって同じ王国の民なのだ。そんな滑稽な話があるだろうか。
王国を維持するために必要なこととはいえ、何世代にも渡って王室は守られてきた。光の神エルネスからの「祝福」を受けし、高貴な血筋。それは決して絶えることなく今日まで続いている。
「果たしてこれが光の神エルネスからの「祝福」なのか。私にはただの呪いにしか──」
「いけません、ルドルフ殿下」
最後まで言い切らない内にモリスが厳しい口調で遮ってきた。ルドルフは悔しそうに唇を噛んだ後、拳を握り締めて肩を震わせた。
どうして「無効化」の能力なのか。
なぜ王族だけは魔物を倒す力を与えられなかったのか。
若いなりにも王室のあり方について悩んでいた時、二重属性を研究しているモリスの存在を知り、ルドルフは彼と共にもう一つの属性を得る方法はないか模索するようになっていた。
だが、あらゆる方法を試しても「無」にしてしまう能力がある以上、他の属性を取り込むことは出来なかった。苦痛を伴う実験であっても諦めきれず、取り憑かれたように研究に没頭していたが、肉体や精神がボロボロになってしまったことで、父親である国王からそれ以上の研究に携わることは禁止され、断念せざるを得なかった。
もしかしたらこれまでの王族の中にも、同じように試みた者がいたのかもしれない。いや、きっといたはずだ。
第一王子のスペアとして、必ず生まれてくる第二王子──彼らはいずれ、王位継承権を放棄して臣下に下るか、同盟を強固なものにするために他国の王室へ婿入りした者もいた。
そんな彼らは貴族や平民達の間から、戦う力を持たない非力な元王族と嘲笑われてきた。王室を離れたことで「祝福」を失った彼らの末路は、いつだって悲惨なものだった。
だから、この先も続いていくだろう「祝福」を受けし者達が、同じことで苦しまずにいられる方法を探し続けている。
「……魔物一匹倒せない王族が、何の役に立つと言うのだ。私は王妃に守られるだけの無能な王にはなりたくない。それ以上に、弟のセシルを……忘れ去られる王族の一人にしたくないんだ……っ」




