36
今日は全員救えた。でも、次は分からない。
ヘルミーナが持ってきた魔法水は、前もって準備していたものだ。もし、何も持たずあの場に立っていたら全員助けられたかどうか。運が悪ければ魔力切れを起こして、最後の一人まで助けられなかっただろう。
──婚約者の足を引っ張るお荷物令嬢。
自分の力不足を感じると、いつも浮かんできてしまう言葉に嫌気が差す。過去は振り返らず、前だけを見ようと決めたのに。ヘルミーナは握り締めて皺になったドレスを手で払った。
「それで、これが怪我人を治療した魔法水か」
しんみりしてしまったところで、レイブロン公爵が空気を変えるように、持っていた青い瓶をテーブルに置いた。中身は空のようだ。すると、控えていたリックが「他の空瓶は集めておきましたので、後程お渡しに参ります」と言ってきた。さすが頼れる男である。
「中身が入っているものはまだ残っているか?」
「はい、あります」
ヘルミーナはすぐに持ってきたバッグから、未使用の青い瓶をレイブロン公爵に手渡した。大きな掌に載せると、小さな瓶がより小さく見える。
受け取ったレイブロン公爵は、僅かに重さの違う瓶を人差し指と親指で摘むと掲げて目を細めた。
「なぜ、わざわざ中身の色も見えない青い瓶に入れたんだ? 透明な瓶に入れた方が、医者もそこまで疑わなかっただろうに」
「それは……」
ヘルミーナはそこで不自然にも言葉を切ってしまった。おかげで、前にいる騎士達が「それは?」と首を傾げてくる。
言えないわけじゃない。ただ、言いづらい。
「……中身がちょっと特殊で」
「なるほど。誰かグラスを持ってきてくれ」
言葉を濁すヘルミーナに、レイブロン公爵は自分の目で確かめた方が早いと気づいたようだ。彼がグラスを要求すると、リックが素早くグラスを取りに行って戻ってきた。
用意されたのはとてもシンプルなワイングラスだった。受け取ったレイブロン公爵は、早速青い瓶のコルクを抜いて中の魔法水を注ぎ込んだ。
コト、と音を立ててテーブルに置かれたグラスは、中身の液体が全く見えなかった。しかし、グラスの中を光の粒子がキラキラと舞っていた。
「……結構光ってるよね?」
「少量でこの輝きか」
「一本だけならまだしも、これだけの物を透明な瓶で用意するとなると周囲にも気づかれてしまいますね」
ランス、カイザー、リックがソファーの後ろから覗き込むようにグラスを眺めてくる。一方、マティアスは胸元の辺りを気にしながら無言でグラスを見つめていた。
彼らの驚きは尤もだが、本当の理由は別なところにある。中身を知られてしまったヘルミーナは親指同士を擦り合わせながら素直に白状した。
「ですから、その……この魔法水の、如何にもというのが恥ずかしくて……っ」
これぞまさしく神聖魔法で作られた魔法水! と言った具合に輝いている治療薬など、あまりに恥ずかしくて渡すのも躊躇してしまう。出所がバレてしまえば、ラベルなどが貼られてなくてもヘルミーナの名前が刻まれているようなものだ。それは人目を避けてきたヘルミーナにとって、非常に悩ましい問題だった。
耳まで真っ赤になりながら正直に打ち明けると、目の前で真剣に聞いていたレイブロン公爵は突然吹き出した。
「く……っ、あははは! そうかそうか、お嬢さんはまた随分と謙虚なんだな」
執務室に大きな笑い声が響き渡る。思いっ切り笑われたヘルミーナは羞恥から更に顔を染め、肩を窄めた。そんなに笑うことないのに。と、思っても相手は一族の長だ。笑いが収まるのを大人しく待つしかない。
「笑い過ぎです、父上」
「アルバン総長、ヘルミーナ様に失礼です」
そこへ見兼ねたカイザーとマティアスがレイブロン公爵を止めてくれた。
二人から叱咤されたレイブロン公爵は片目に涙を浮かべながら、手を挙げてきた。
「いやぁ、すまんすまん。なかなか可愛らしいお嬢さんだと思ってな。これだけ凄い魔法水が作れるのに、目立つことはしたくないと。貴族でありながら、実に貴族らしくない。売ればこれ一本で相当な金額になるだろうに」
「あ、あの……売るつもりは、ありません」
「だが、無償で提供するわけにもいかんだろ。これは君が貴重な魔力を絞り出して作ったものだ。何も報酬を得ずに渡せば、それだけのものになってしまうぞ?」
無償で渡せば魔法水の価値を自ら下げてしまうことになる。価値あるものには、それに見合うだけの値段を付けるべきだ、と貴族らしい考え方にヘルミーナは答えに困った。
でも、値段をつけてしまえば平民には手の届かないものになってしまう。ヘルミーナの敬愛する聖女は、平民にも平等に力を使っていた。彼女のようになるには、無償で多くの人に行き渡るようにしたいと考えていたのだ。
──この魔力を、王国のために使うと決めたから。
すると、レイブロン公爵は「まぁ、君次第だがな。その件に関しては王太子殿下とじっくり話し合った方が良いだろう」と助言してくれた。彼の言葉がなければ、ヘルミーナは誰彼構わず治療を必要とする人全員に神聖魔法を施そうとしていただろう。
だが、今回の事件で分かったことがある。予め用意していた魔法水がなければ全員を助けることができなかった。魔法水も無限ではない。言われた通り、もう一度考え直したほうが良さそうだ。ヘルミーナはきっかけを与えてくれたレイブロン公爵に感謝し、小さく頷いた。
「それで話を戻すが……。こちらとしては金貨一万枚、もしくは我が公爵家が所有するダイヤモンド鉱山を譲り渡そう。私にこの一杯を売ってくれないか?」
「そっ、そんな、いただけませんっ!」
話し合った方が良いと言ってくれたそばから、莫大な金額を提示して買おうとしてくるレイブロン公爵に、ヘルミーナは驚きのあまりワイングラスを彼から引き離した。
このたった一口が、金貨の山か、ダイヤモンドの山になる。どちらもお断りだ。どうして火属性の一族はこうもせっかちなんだろう。カイザーといい、レイブロン公爵といい、少しはこちら側にも心の余裕を持たせてほしい。
「ヘルミーナ嬢、その程度じゃ公爵家は潰れないよ」
「どちらにしろ私には多すぎます! 効果もまだ分からないのに、報酬をいただくことはできませんっ」
「それもそうだな。どうやら君を困らせてしまったようだ。だが、効果はどうであれ買わせてもらう以上、支払うのは当然だ。勿論、騎士団を救ってくれた報酬も別で支払おう」
何もいらない、とは言えない雰囲気にヘルミーナは一度出しかけた言葉を呑み込んだ。ここで遠慮すれば、逆に公爵家や騎士団の立場に傷をつけてしまうかもしれない。ヘルミーナは少し考えた後、レイブロン公爵に顔を向けた。
「……分かりました。どうしても報酬をということであれば、公爵様の伝手を使わせていただくことは可能でしょうか?」
「ふむ、私の伝手か。因みにどんな繋がりを望んでいるんだ?」
「実は腕の良い魔道具師を探しています。この青い瓶に詰めていく作業がとても大変だったので、何か作ってもらうことはできないかと考えておりまして」
正直、一人でコツコツ青い瓶に詰めていく作業はかなり大変だった。三日間で王宮に向かう準備をしつつ、平行して小さなコップから瓶に詰め替える作業を延々とやっていたのだから。さすがのヘルミーナも、小さな瓶に直接魔法水を入れるだけのコントロールは持ち合わせていなかった。それに光属性のことは秘密にしているため、誰の手も借りられず結局昨日は徹夜してしまった。
ヘルミーナは思い出して溜め息を漏らしたが、周りからは子供を応援する親のような視線を向けられた。レイブロン公爵に至っては肩を震わせ、必死で笑いを堪えている。我慢するならいっそ声に出して笑ってほしかった。
「あー、ゴホン。君の要求は承知した。では、後で私の知人を紹介してやろう。なかなか癖のあるやつだが、お嬢さんなら問題ないだろう」
「ありがとうございます」
報酬が決まったところで、ヘルミーナはグラスをレイブロン公爵に手渡した。光は先程より強まり、縁の部分まで光の粒が踊っている。
レイブロン公爵はグラスを持ち、それを一気に飲み干した。
肉眼で見ることはできないが、口に流れ込んだ魔法水は体内を巡り至るところの傷を修復してくれるはずだ。
「父上、いかがですか?」
「……これは、また」
最初に訊ねたのは息子のカイザーだった。彼は、グラスを見下ろしたまま動かなくなった父親を心配そうに窺う。ヘルミーナ達も同様に、レイブロン公爵の様子を見守っていた。
誰のところにも緊張が走ると、レイブロン公爵はいきなり左目にしていた眼帯を外した。
そこには深く抉られたような傷跡が残っていた。
ヘルミーナは思わず口を押さえてしまったが、その痛々しい傷跡に光の粒が集まると傷は徐々に小さくなっていった。あ、と声を漏らした時には、レイブロン公爵の顔から傷らしい傷は見事に消えていた。しかし、癒えたのは傷だけではなかったようだ。
「……まさか、目の傷が治るだけじゃなく視力まで戻るとは。これが光属性だけが持つ神聖魔法か」
信じられない顔で見つめてくる両目には、覚えのある穏やかで優しい瞳が揺れていた。
──ああ、良かった。
ヘルミーナは魔法水の効果を己の目に焼き付け、傷の癒えたレイブロン公爵に向かってふにゃりと顔を崩した。そして、王国のために戦い続けてきてくれた騎士の傷が癒えたことを心から喜んだ。




