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騎士団の病室に行けば、ちょうど廊下へ出てくるところのロベルトと出くわした。ロベルトは、リックとパウロに支えられたランスを見るなり「なんだ、ようやくミーナの治癒を受ける気になったのか」と嘆息した。
ランスは顔を顰めたが、言い返す気力も残っていなかったようだ。
「……どういうことですか?」
二人のやり取りは毎度のことだが、今回ばかりは聞き流すことができなかった。
ヘルミーナが訊ねると、ロベルトは肩を竦め、ランスは何も言わず顔を逸らした。彼がそんな態度を取るのは珍しい。余程後ろめたいことがあるのか。ロベルトの言葉が正しければ、ランスは今も立っているのがやっとの重傷を負っていることになる。
ヘルミーナは唇を固く結び、病室へ入った。
ロベルトはただならぬ雰囲気に「俺は席を外しておいたほうが良さそうだ」と言って、足早に去って行った。
「ランスをこちらへ」
「ミーナちゃん、本当に治癒は必要ないからね……?」
リックとパウロに指示して、ランスをベッドの上に座らせる。その間に椅子を運んできて、ランスの目の前に座った。
よくよく見れば、白いシャツに血が滲んでいた。団服だったら気づかなかったかもしれない。
ヘルミーナは耐え切れず、ランスの腕をつかんで声を張り上げていた。
「これのどこが必要ないと言うのですか!?」
ランスの体から微かに薬品の臭いがする。服の上からでは分からなかったが、つかんだ腕も包帯が巻かれていた。きっと全身がそうなのだろう。
いくらロベルトが優秀な医者だとは言え、今までの治療だけでは相当な痛みと高熱で魘されるはずだ。
ヘルミーナは咄嗟に、ランスの額に手のひらを押し当てた。弟や妹にやる癖がつい出てしまった。触れた額からは、高い体温を感じた。
「……ランスが騎士を辞めるのは、私のせいですか?」
手を離したヘルミーナは、頬を赤く腫らしたランスを見つめて眉尻を下げた。
最初からリックを助けるだけの魔力があれば、事態はそこまで深刻にならなかった。第二次覚醒は起こらなくても、全員が笑って帰還することができた。誰も悩ませることなく、傷つけることなく、これまで通りの日常に戻るはずだった。
けれど、全てが思い通りになるわけではない。十年近く一緒にいても、その関係が壊れることだってある。ある日突然、自分を取り巻く環境が一変することだって。
「それは違うよ! ミーナちゃんが悪いことなんて一つもない! ただ俺が……俺が、弱かったせいなんだ」
「ランス……」
「俺があの時、カイザー副団長の命令を無視しなかったら。もっと強かったら……! リックに庇ってもらうこともなかったし、ミーナちゃんに救いを求めることもなかった。俺にもっと戦う力があったら……っ」
ランスは悔しさを滲ませながら話してくれた。
普段は飄々としている彼が、追い詰められた様子で感情をむき出しにしていた。それだけ、あの時のことが脳裏に焼き付いて離れないのだ。
隣に立つリックとパウロもまた、拳を握り締めて己の不甲斐なさを堪えているように見えた。
「ごめん……ごめんね、ミーナちゃん。俺は騎士として許されないことをしたんだ。守らなきゃいけなかったのに。俺は……騎士の、リックの命を優先してしまった……っ」
ランスは傷だらけの両手を見下ろし、それを握り締めて顔を覆った。
肩を震わせる彼に、リックが「それは、私がっ!」と口を挟んでくる。ヘルミーナはリックに視線を合わせて首を振った。リックは開きかけた口を閉じて、苛立ちを募らせつつも思いとどまってくれた。
ヘルミーナは小さく息をついてから、語りかけるように話した。
「……私は騎士ではないので、ランスたちが本来何を優先しなければいけなかったのか知りません。……ただ、ランスが親友であるリックを助けようとしたことが、間違いだったとは思いません」
「──……」
ランスと出会ったのは、レイブロン公爵家の中庭だった。その時は名前も知らない騎士だった。
次に出会ったのは、ヘルミーナの護衛として屋敷にやって来たときだ。彼はすぐに家族や使用人たちと仲良くなっていた。騎士としては、エーリッヒに襲われそうになったところを助けてくれた。
見た目や言動から軽く思われがちだが、いつだって頼りになる騎士だった。付き合いは短いのに、何度も助けられた。誰よりも友達思いの、情に厚い勇敢な騎士だ。
だから、今度はこちらが助けてあげたい。初めて飛び込んだ騎士団の病室で、孤立するヘルミーナを救ってくれたように。
「それから、これだけは言わせて下さい。──ランスに頼まれなくても、私は同じことをしました」
ヘルミーナはランスの両手をつかみ、彼の顔から引き離した。その手も傷だらけだ。
目を真っ赤にしたランスは、唇を噛んで頭を振った。
「私にとってもリックは大切な友人です。あの時、リックを救えずにいたら私はもっと後悔していました。罪悪感で、今も引きこもっていたかもしれません。だから、ランス……貴方のせいじゃない。勝手なことをしたというなら、それは私も一緒です」
「ミーナちゃん……」
喜びが分かち合えるなら、悔しさや罪悪感だって一緒に背負えるはずだ。同じ馬車に乗った仲間なのだから。絶対に、一人にはしない。
ランスはまだ何か言いかけたが、最後には「……ありがとう」と笑みをこぼした。笑うと、殴られた時に切れた口の端が痛かったようで「イタタッ」と頬を押さえた。
いつもの調子が戻ってきたランスに、ヘルミーナも顔をほころばせた。それから背筋を伸ばし、改めてランスに向き直った。
「そういうわけですから、ランス。治癒はしっかり受けて下さい。──リック、パウロさん、お願いします」
満身創痍なくせに治癒も受けず、ロベルトの手を煩わせるランスに誰だって怒りたくもなる。
リックとパウロに声をかけると、彼らはすぐにランスを取り押さえ、抵抗できないようにしてくれた。
「え、ちょ……なんで!?」
「大人しくしろ、ランス。私がどれだけ心配したと思っているんだ」
両方から肩と腕をつかまれ、ランスは完全に逃げ場を失った。
元から抵抗する気はなかったのかもしれない。それでも、三人にはわだかまりを残してほしくなかった。リックとパウロの顔にも安堵の色が広がっているのを見て、ヘルミーナも胸を撫で下ろした。
あとは、神聖魔法の出番だ。ヘルミーナが満面の笑みを浮かべると、ランスは口元をひきつらせた。
魔力の制御はできたといっても、覚醒してから二度目の治癒だ。早々うまくいくわけではない。
ヘルミーナが両手を翳して体内に魔力を巡らせると、部屋全体に光が溢れた。髪や瞳の色も変わってしまっているだろう。これは今後の課題でもある。ただ、効果の強い神聖魔法に、子供の頃にできた古傷だって消えてしまっているはずだ。
治癒を終えたヘルミーナは「どうですか?」と悪戯っぽく訊ねると、ランスは天井を仰いだ。
「なんか、隅々までイケナイコトされた気分……」
「妙な言い方をするな」
「ヘルミーナ様に失礼だろ」
完璧に完治したランスは胸元で両手を交差させ、まるで生まれ変わった自分の体に感嘆の息を漏らした。すぐさまリックとパウロから小突かれていたが、その二人もヘルミーナの魔力と変貌した姿には驚きを隠せなかったようだ。
「ヘルミーナ様、その姿はすぐに戻るんですか?」
「はい、問題ないです。水属性の魔力を巡らせれば簡単に戻ります」
そう言ってヘルミーナは人差し指を持ち上げて、今度は水属性の魔力を巡らせた。すると、黄金色だった髪と瞳は、元の色に戻った。
覚醒後、属性の切り替えができるようになったのは、マティアスのおかげだ。ただ、水属性の魔力を巡らせるたびに、彼の姿が浮かんでしまって落ち着かなかった。
「本当にありがとう、ミーナちゃん。──ただ、騎士団は出て行くよ」
その瞬間まで、無事に説得できたと思っていた。
しかし、騎士団の団服を脱いだ時点で、ランスはもう決めていたのだ。ヘルミーナは悲鳴に近い声で「ランス!」と叫んだが、彼は両手をあげて言葉を紡いだ。
「ミーナちゃん、落ち着いて。……俺の話も聞いて? 責任を取るためだとか、そういうのもあったんだけど……俺自身の問題でもあるんだよ。どうしても今のままじゃダメなんだ」
先ほどとは真逆で、今度はヘルミーナが説得させられる番だった。
自分に言い聞かせるように話してくるランスに、彼の意思が固いことを知る。それでも救いを求めるように、リックやパウロに視線を向けても、二人はランスを止めなかった。
彼らもまた、知っていたのだ。一度決まった退団は、覆ることがないことを。
耳を塞ぐヘルミーナに、ランスは立ち上がって頭に手を載せてきた。
「もっと鍛えて、今よりカッコいい男になってくるから。いつか、ミーナちゃんが専属の護衛騎士を必要としたとき、その一人になれるように頑張るからさ」
「そんなの、勝手すぎます……っ」
本当なら、強くなりたいという彼の意思を尊重して、背中を押してあげるのが正しいことだと分かっている。
けれど、もうこの騎士団で、赤い団服を纏ったランスの姿を見ることができなくなる。彼が、リックやパウロたちと楽しそうに談笑している姿も、マティアスやカイザーに叱られている光景も、こちらの心まで温かくしてくれる笑顔も。気軽に「ミーナちゃん」と呼んでくれる声さえ、聞けなくなってしまうのだ。
そう思ったら嫌で、嫌で、堪らなくなった……。
「そんな、悲しそうな顔しないで? 再会した時、オレと結婚しても良いかなって思ってもらえるような男になるから……ね?」
涙が溢れてしまわないように天井を見上げるヘルミーナに、ランスは額へ口づけてきた。
駄々をこねる子供を慰めるような口づけだったが、突然のことに目を丸くすると、彼はニイと口の端を持ち上げた。
そこへ見かねたリックとパウロが、ランスを無理やりヘルミーナから引き剥がす。
「見送りはいらないから、ここでバイバイ。きっと、また会えるから!」
引きずられるようにして退散していくランスに、涙も寂しさも引っ込んでしまった。それでも「また会える」という言葉が胸に響く。
ヘルミーナは慌てて「ランスもお元気で! また会いましょう!」と伝えれば、彼は大きく手を振ってくれた。
「まったく、お前というやつは……っ」
「あはは、ミーナちゃんを宜しくね」
「落ち着いたら連絡するんだぞ。お前が無事かどうか皆が心配するからな」
リックとパウロもまた、ランスと別れの挨拶を交わす。とてもシンプルなやり取りだったが、どこにいても途切れることのない絆を強く感じた。
「──つーわけなんで、もたもたしていたら俺が横から搔っ攫っちゃいますからね」
追い出されるようにして病室を出たランスは、廊下で待機していた二人の騎士に声をかけた。
自分たちの起こした騒動で、無理やり引っ張って来られたマティアスとカイザーだ。二人のおかげで、他の騎士たちは離れたところで息を潜めている。
一方、廊下にいた二人には、中での会話は筒抜けだっただろう。気配を消すわけでもなく、見守るように立っていた上司たちに、ランスは緩みそうになる口元を押さえた。
そこへマティアスが近づいてきて、いつもと変わらない様子で淡々と言ってきた。
「ランス、手紙の内容は覚えているな」
「はいはい、大丈夫っすよ。向こうでも上手くやりますって」
入団当初から冷酷非道な騎士だと思っていたが、マティアスの指揮下で命を落とした騎士は一人もいない。誰もが彼の背中を追い、同じ騎士として強い憧れを抱かずにはいられなかった。
その傍らにはカイザーが立ち、部下が傷つけば真っ先に駆けつけて、身を挺して守ってくれた。そんな彼らの下で、騎士の道を歩んでこられたと思ったらこみ上げるものがある。
ランスは最強の騎士たちを前に大きく息を吐き、左胸に拳を当てて口を開いた。
「マティアス団長、カイザー副団長、お世話になりました。王国の騎士として第一騎士団に所属でき、お二人と共に戦えて光栄でした。──心より、感謝致します」
改まって挨拶をしてきたランスに、マティアスとカイザーは僅かに目を開いた。
騎士団で最も愛されていた騎士だけに、ランスとの別れに悲しむ騎士は大勢いるだろう。手のかかる問題児でもあったが、いなくなると思うと寂しいものだ。
マティアスはやれやれと肩を竦め、カイザーはランスの肩に手を置いた。
「ランス、命を粗末にするような真似だけは絶対にするなよ。そして、強くなれ。私ももっと力をつけて強くなるから」
「……副団長は、剣術を磨くより女性に対しての免疫を上げたほうがいいと思うんすけどね」
「この野郎……!」
せっかく労いの言葉をかけたつもりが、逆に励まされてカイザーは顔を真っ赤にしてランスの首に腕を回した。こうやってお互いじゃれ合うのも、これが最後だ。
ランスは泣きそうになるのを笑って誤魔化し、カイザーの腕からすり抜けた。それから二人に頭を下げ、廊下を歩いていけば待っていた他の騎士たちから手荒い挨拶を受けた。
騎士団は大切な「家」だった。
仲の良い親友がいて、背中を預けられる仲間がいて、頼りになる上司がいて、背中を追いかけてくる後輩がいて、皆が家族以上に家族だった。
騎士団の宿舎を出たランスは、どこまでも広がる青空を見上げた。
心残りはあったが、後ろを振り返ることはなかった。
歩き出した足はすでに、次の目的地に向かっていたからだ。ランスはズボンのポケットから白い封筒を取り出し、もう一度手紙の内容を確かめた。
「……マティアス団長からの推薦状かぁ。西の城壁に行ったら、あんな化け物がうじゃうじゃいるのかなー」
想像したら恐ろしくなってぶるっと震えた。しかし、最も危険な魔物討伐の最前線に向かうことを希望したのはランスだった。
──己を鍛えなおすために。
今より強くなって、二度と守らなければいけない人を自らが危険に晒すことのないように……。
彼は思い出の詰まった騎士団に別れを告げ、ラゴル領へと出発した。




