96
「──ふざけるなっ! 今回の件は、私の責任だと言っただろ! お前が騎士団を去る理由がどこにあると言うんだ!?」
リック・ボルムは、気性が荒いと言われる火属性の中でも温厚な性格だ。
土属性の母親を持ち、四人兄弟の長男というのも理由のひとつだ。
──だが、しかし。
同時期に騎士団へ入団し、同じ属性の、同じ貴族という間柄、所属もすべて一緒だった親友が、何の相談もなしに「今日で騎士団辞めるわ」と言ってきたら、普段は穏やかな彼も怒鳴らずにはいられなかったようだ。
こんなに声を荒げて人を殴り飛ばしたのは、生まれて初めてだった。
先日の遠征で命を落としかけたリックは、ヘルミーナの覚醒した治癒によって、これまで以上に健康な体になって復帰していた。
もちろん、騎士の立場から退団を考えなかったわけではない。けれど、命を助けてくれた相手に恩返しするには、騎士であり続ける以外思いつかなかったのである。
だから恥を捨て、今まで以上に自らの力を振るおうと決意したのだ。
一方、ランスは重傷を負ったまま、神聖魔法による治癒を拒み、以前と変わらない治療だけ受けて騎士団に顔を出すことはなかった。
しばらく病室のベッドを占領していたランスは、騎士団専属医であるロベルトの小言に耐え切れなくなったのか、自室で大人しく過ごしていた。
リックは何度もランスの元を訪れ、彼を気遣った。
怪我の状態を見れば、ランスも危険な状態だったことが分かる。それでもリックを背負ってヘルミーナの元へ連れて行ってくれた。本当に酷な役目を押し付けてしまった。何度謝っても足りないぐらいだ。
一刻も早く怪我の治癒を受けて復帰してほしかったが、いつもと違う様子のランスに、怪我より精神的ダメージのほうが大きいのだと気づいた。
また同じ頃、寝室に引きこもって誰とも会おうとしないヘルミーナのこともあり、どちらにも責任を感じて見守ることしかできなかったのである。
それから数日──ヘルミーナが良くなったことを耳にして安堵したのもつかの間、ランスの元へ訪れたリックは綺麗さっぱり片付けられた部屋に呆然とした。部屋を間違えたのかと二度見したほどだ。
だが、目の前には革袋を持ったランスが立っていた。ベッドの上には、騎士団の団服が置かれている。
……ずっと上の空で、何か考えているのだろうとは思っていた。だが、それがまさか騎士団を辞める決意をしていたとは思いもしなかった。
家から追い出されるように出てきたランスにとって、騎士団はもうひとつの「家」だった。
ここを出て行ったら帰る場所もないというのに、どこへ行こうというのか。
せめて前もって知らせてくれたら、こんなに怒りが込みあがることはなかった。それとも、親友だと思っていたのは自分だけだったのか。
リックは感情が抑えきれず、床に転がったランスの胸ぐらをつかんだ。
「お前に、あのようなことをさせてしまったのは私なんだ……っ。処罰されなければいけないのは私の方だ!」
「……それは違うよ、リック。俺が、全部悪いんだ。お前の、騎士としての名誉を傷つけ、守らなきゃいけなかったミーナちゃんを危険に晒した……」
「だから、それはお前にそんな選択をさせてしまった私が原因だろ!」
リックの激しい怒りによって部屋全体が揺れ、ガラス窓が音を立てて割れた。
喧嘩といっても無抵抗なランスに、リックが一方的に怒りをぶつけているだけだが、仲裁する者は誰もいなかった。
騒ぎを聞きつけて多くの騎士が駆けつけて来るも、第一騎士団の騎士の衝突に割って入る者はいない。止めに入ったが最後、五体満足でいられる保証がないからだ。
代わりに、団長や副団長を呼びに行けという指示が飛び交った。しかし、その間にも床板がバキバキと音を立て始める。廊下にいた騎士は慌てて避難を呼び掛けた。
その時、集まった騎士たちの間をすり抜けるようにして、一人の少女が二人のいる部屋に飛び込んできた。
瞬間、リックとランスの頭上に大量の水が降ってきた。
「リック、ランス……! 二人とも、喧嘩はダメですっ!」
地響きのような音を立てて揺れていた部屋が、一瞬の内に静まり返る。それと同時に、凛とした涼やかな声が響き渡った。
「ヘルミーナ様……」
「……ミーナちゃん」
廊下にいた騎士たちも突然現れたヘルミーナに、驚きを隠せなかった。
再び会えることを心待ちにしていたが、状況が状況なだけに喜ぶこともできなかった。そこへ、彼女を追ってきたパウロがようやく部屋にたどり着いた。
「まさか、ヘルミーナ様に追い付けないとは……。それにしても、派手にやったな……リック」
「パウロ……なぜ、お前が……」
「今日から復帰された彼女の護衛だ。──しかしまぁ、ランスは無事か……?」
生存を確認するなら、答えは「辛うじて」だ。
胸ぐらをつかんでいたリックの手が離れ、支えを失ったランスの体が傾きかける。そこへ、ヘルミーナが近づいてきてランスの体を支えた。
「……ひとまず、怪我の治療をしましょう」
一人では支えることができず、パウロが手伝ってくれる。ヘルミーナが「リックもお願いします」と声をかければ、彼は大人しく従った。そして四人はそのまま病室に移動した。
部屋には、床に散乱したガラスの破片と、王国騎士団の証である団服だけが残った。




