書籍2巻刊行記念SS「カレントに向かう馬車の中で」
王城を出発した馬車はレイブロン領に向かっていた。
ウォルバート領にある水の都カレントに向かうには、レイブロン領にある転移装置から移動したほうが早いからだ。
ヘルミーナは久々の遠出に、妙に胸が高鳴って落ち着かなかった。
目的地が思い出の地なら尚更だ。
「ヘルミーナ様、馬車酔いはされていませんか?」
「大丈夫です。メアリも何かあれば言ってくださいね」
王宮が用意してくれた馬車は、紋章こそ入っていないものの、普段使っている家門の馬車より快適だ。中は広く、上質なシートについ体を委ねてしまいたくなる。御者も手練れの者だ。これなら長旅も問題ない。
ただ、問題が起きたところで、ヘルミーナにはどんな病気や怪我も治癒できる魔法がある。馬車酔いだって簡単に治せてしまう。
しかし、メアリは「そんな贅沢な治療は頼みません」と遠慮されてしまった。
「でも、メアリに何かあっては困ります。馬車酔いでなくても、肌荒れや目の下のくまにも利きます!」
「それこそ贅沢ですっ!」
友人の体を気遣ったつもりなのに、なぜか「貴女も一本どうですか!?」と押し売りのような形になってしまい、メアリは全力で拒否してきた。
そのやり取りを目の前で見ていたリックとランスは、必死で笑いを堪えている。ランスに限っては我慢しきれず声を出して笑っていた。
「てか、ミーナちゃん。それって実証済みってことだよね?」
「あ……ええっと……」
事実、その通りである。
ただ、はっきりと認めるには貴重な神聖魔法をそんなことに使っていたと思われそうで、返答に困った。ちらりとリックを見れば、何とも言えない表情を浮かべている。手助けは期待できない。
そこどころか、リックは思い出したように背筋を伸ばし、居住まいを正すと真剣な表情で訊ねてきた。
「それは別として──まさか、ご自身の体に傷をつくってまで、神聖魔法を試すような真似はされていませんよね……? うちの騎士団総長や副団長がとても気にされていたので」
遠回しに、ヘルミーナならやり兼ねないと言われているようで複雑だ。ここははっきりと否定するのが正しい。
だが、肝心のヘルミーナは「はい、それは……してないです」と、なんとも歯切れの悪い返事をしてしまい、リック、ランス、メアリの三人は揃って額に手を当てた。
「ミーナちゃん、ここは正直に白状しよう!」
「ほっ、本当です! ただ、子供の頃にできた傷が無くなっただけで……」
神聖魔法のかかった魔法水を普通の水と間違えて飲んでしまい、目の下のくまどころか古傷まで癒え、素肌も一日中磨かれたような仕上がりになってしまったのである。
とくに、子供の頃にできた傷は一生治らないと思っていた。おかげで、母親の小言がひとつ減りそうだ。
「お転婆だったものね。伯爵夫人が嘆いてたよ」
「……ランス、私のお母様を口説いてないですよね?」
「んー……俺ってどこにいっても女性を夢中にさせちゃうからね」
やはり危険だ。この魔性は、年齢に関係なく女性なら誰にでも愛嬌を振りまいて虜にしてしまう。母性本能をくすぐるタイプだけに、年上女性の懐へ入るのは天才的だ。
当然、無垢で純粋な少女は簡単に魅了されてしまう。ヘルミーナの妹がすっかりランスに心奪われ、ランスと結婚したいと言ってきたときは全力で止めた。
話がそれてしまったが、ヘルミーナはリックたちから「今後も絶対にそのようなことはしないで下さい」と、釘を刺された。信用してもらえてないのが少しだけ切ない。
四人を乗せた馬車はレイブロン領に続く道を走っていた。レンガが敷き詰められた舗道は、馬車も揺れないで過ごしやすかった。
「それより、他の皆さんも来たがっていましたね」
外の景色を眺めていたヘルミーナはふと漏らした。
今回の旅は息抜きも兼ねているが、本来の目的は別にある。水の都カレントに取り残された騎士たちを治癒し、光属性の存在を広めていくことだ。どちらも重要かつ、慎重に行わなければいけない。
そこで、ヘルミーナの護衛騎士や、派遣される騎士団の選出には時間を要した。加えて、多くの者がカレント行きを希望したのである。そこには、ヘルミーナが良く知る人物もいた。
「いいの、いいの。……他の騎士はさておき、団長や副団長なんて出番多かったし、俺なんて削られまくったんだから」
「何の話をしているんですか、ランス?」
「ん? ひとりごと❤」
一度ぐらい真面目な会話がしたいと思うが、リックとメアリの呆れた様子を見るに、それは無理だと悟る。反対に、どんな悩み事も受け流してしまう性格だからこそ、ランスにだけ相談する女性や後輩も多いのだという。
無駄に緊張しているときは、軽く笑い飛ばしてくれそうで気持ちが楽になりそうだ。
「そういえば、今年入団した騎士様たちがマティアス様に同行されると聞きました」
後輩という単語で浮かんできた新人騎士のことを思い出して、ヘルミーナはランスとリックに伝えた。
マティアス率いる遠征部隊は、カレントに派遣される騎士団から民の関心を逸らすため、魔物討伐へ赴くことになっていた。そこには新人の騎士たちも参加し、初めての討伐遠征になるという。
本来なら第一騎士団に所属しなければ、第一騎士団団長であるマティアスの指揮下に置かれることはないのだが、今回は特別らしい。新人騎士が浮き立って喜んでいた。
しかし、リックとランスは何かに怯えた様子で顔をひきつらせた。
「……新人の騎士たちには、同情します」
「入団していきなり異端種の魔物に殺されそうになるわ、初っ端からマティアス団長と遠征なんて。今年の新人騎士はついてなさすぎるっ!」
予想と反して嘆く二人に、ヘルミーナは目を丸くした。
新人騎士にとっては嬉しいことも、経験者である先輩騎士は違うようだ。顔色を悪くするリックと、頭を抱えて呻くランスに、隣のメアリに意見を求めればさっと目を逸らされた。
「で、でも、新人の騎士様にとって良い経験になるかと!」
「もし、人間を襲わない魔物の王がいるとしたらマティアス団長のことだと思うね」
「新人たちが、心に深い傷を負わないか心配です……」
楽しい旅路のはすが急に重苦しい雰囲気になり、ヘルミーナは慌てて他の話題を探す。
ちょうどその時、外を見ていたメアリが「レイブロン領に入りました。転移装置がある街までもうすぐですよ」と教えてくれた。
ヘルミーナ以外は、レイブロン一族である三人にとって慣れ親しんだ場所だ。
「今度はレイブロン領もゆっくり見て回りたいです」
「その時は俺が案内してあげるよ」
「ランスだけでは心配なので私も同行します」
「ランスとお兄様だけでは心配なので私もご一緒します」
ヘルミーナの呟きに、三人がこぞって反応する。
その様子に思わず笑いが漏れた。
すると、先程までの空気が一変し、馬車の中は再び賑やかな声が響き、和やかな雰囲気に包まれた。
ヘルミーナ、ランス、リックの仲良しトリオが好きです。
ミーナちゃんとランスに振り回される苦労人リック。
ただカイザーとマティアスとミーナちゃんだったら、保護者はミーナちゃん。




