《最後の竜》の復讐劇( Ⅱ )
メーユが夜に包まれるほんの少し前──。
「ヒュー……ヒュー……」
仲間達が暮らしていた隠れ里に人間達を案内してしまった猫獣人の青年──マナトは……至る所を殴られ、蹴られ、穢されて、ボロボロに変わり果てた姿で。
今にも死にそうになりながら、ベッドの上に崩れ倒れていた。
隠れ里への襲撃が成功してしまい、仲間達が捕まってしまった後──マナトは用済みとなった。
他の奴隷達と同じように繁殖に使ったり、素材を得るために弑ることも考えられたようだが……王弟の私兵達が奴隷の身柄を褒美として授かりたいとコルティオに申し出たために、彼は私兵達の共有奴隷として下げ渡されることになってしまったのだ。
…………共有奴隷とはその言葉のまま、私兵団の団員全員で所有する奴隷だ。
所有物であるからこそ、奴隷には何をしてもいい。暴力を振るってストレスを発散してもいいし、〝そういう〟使い方をして欲を満たすのも許される。逆に、雄であるからこそ責任を取らなくて済むと……専ら、そういう目的で使われることが多かった。
身体が頑丈な獣人であったというのも、マナトの扱いが悪くなる方向に働いた。なんせ力の強い私兵達が、多少乱暴に扱っても壊れないのだ。娼婦と違って気を使わなくて道具は、私兵団の欲を満たすのに都合が良いのだ。
ゆえにその日からマナトは、私兵達の暴力的な欲の受け皿として、酷使されていた。
しかしそれも──……今日、この時まで。
『暴れろ』
「…………ぁ」
傷つけられた身体に力が湧き上がった。
距離を超えて伝わってくる竜の激情が、マナトを包み込む。
『殺せ』
「う、ぐ、ぅぅぅ……! ぐるぅぅぅぅっ……!」
それは、亜人達の王の命令だった。本能が従えと、叫ぶ。
けれど、今の自分では駄目だった。心が壊れかけている自分では、心が弱り切ってしまっている自分では。その命令を遂行することができない。
『蹂躙せよ!!』
ならば、竜の狂気に身を任せてしまおう。理性を手放して、後のことは猫獣人としての本能に任せてしまおう。
そしてそれは、マナトの心を守る手段としても有効だった。この残酷過ぎる現実から逃避する手段として使えた。
──マナトの意識は深い眠りにつき……新しい人格が、産まれ落ちる。
「…………にゃあ♪」
猫のように鳴いた彼は、にっこりと笑った。ぴょんっとベッドから起き上がり、そのまま部屋から出て行こうとするが身体が上手く動かない。
何故だろうと首を傾げて……自身の首に嵌められていた《隷属の首輪》が身体の自由を奪っているのだと気づき、煩わしそうな顔をする。
「ふぐぅっ……!」
彼は首輪を掴むや否や、思いっきり手に力を込めた。身体能力が高い獣人の、〝本気の〟力だ。
多少時間はかかったがそれでも、彼の握力に耐え切れず……魔道具が壊れる。バキッッと砕けて、呆気なく、自由になる。
「にゃあ!」
彼は壊れた首輪を床に叩きつけてから、元気よく立ち上がった。
重い鉄の扉を鋭く伸びた爪で木っ端微塵にして、外に出る。
ゆらゆらと尻尾を揺らしながら。ふらふらと身体を揺らしながら、廊下を進む。
──ぴくりっ。
猫耳が廊下を曲がった向こうから聞こえる声を拾った。声は二人分。聞こえる距離はどんどん近づいてきている。このままいけば、曲がり角で丁度遭遇することになるだろう。
「……でよぉ」
「ははっ…………」
彼は息を潜めた。
無防備に近づいてくる獲物を確実に狩るために。気配を殺して、力を込める。
そして──……。
──ザシュッ!!
「…………?」
「…………!!」
男達の首筋が、掻き斬られる。頸動脈に当たったらしく、噴水のように血が噴き出す。
バタバタッ……と崩れ落ちる人間達。
どくどくと廊下に広がっていく血溜まりで、彼は楽しそうにバシャバシャと飛び跳ねて遊ぶ。
「♪」
「おーい、お前ら! 忘れ──……ひっ!?」
そんな風に遊んでいたら、男達二人がやって来た方から追加の獲物がやって来た。
獲物が騒ぐ。大声で仲間を呼んでいる。私兵団の拠点が慌ただしくなる。バタバタと足音が聞こえた。何人も、何十人も、ここに向かって来ている。
あぁ、なんて運が良い。こちらから行かなくても、向こうから来てくれるなんて。
「にゃにゃ♪」
窓の外が夜に包まれた。窓越しの夜を背に、彼は嗤う。
そこにはもう、人間に嬲られるだけだった猫獣人はいない。
狂気に堕ちた猫の惨殺が、始まる──。
◇◇◇◇
その時──レメイン王国国王ハインリッヒは、王太子コルネリウスと隣国の王女であることが判明したフィオナの関係を含めた今後の付き合いの調整を行うため、秘密裏にシーアス大使館を訪れていた。
本来ならばゴードンの方を王宮に来させるべきなのだが……フィオナの身分が公になっていないこと。また、王宮というどこに目と耳があるか分からない──警戒はしていても、他国の諜報が紛れ込んでいる可能性は捨て切れない──場所に、隣国の大使を呼び出せば何かあると疑われることは必須。ゆえに、ハインリッヒの方が秘密裏に大使館を訪れた方が情報が漏れにくいだろうということもあって、こうして足を運んでいたのだが……。
まさにそれこそが不運であったと、そう言いざるを得なかった。
──ドンッ、ドンドンドンドンッッ!!
「!? 何事だっ!?」
シーアス大使館の応接室にいたハインリッヒは、唐突に響いた爆発音に立ち上がる。
慌てて窓辺に駆け寄れば、王都の至る所から上がる黒煙。
「まさか……テロか!?」
王宮にいれば直ぐに王都で起きている異変の情報が入っただろうに……生憎とここは隣国の大使館。このままここにいても、対応が出来るはずもない。
ハインリッヒはタイミングの悪さに舌打ちを溢しながら、直ぐに王宮に戻ることにする。
「すまないが、話は後だ! 急を要する!」
「は、はいっ……! こちらへどうぞ!」
流石のゴードンもこの状況下では、国王を引き留めるようなことはしなかった。二人は早歩きで大使館の裏口に向かう。
裏口にはお忍び用の馬車が停まって待っていたが……王都の混乱を想定すると、馬車での移動は危険だと思われた。つまり、とっとと一人で帰還する方が速い。
「今は時間が惜しい。わたしは先行して帰還するゆえ、お前は後から帰って来い!」
「は、はいっ……! 畏まりましたっ……」
ハインリッヒは御者にそう命じてから、身体強化の魔法を発動させる。これで通常よりも遥かに速く走れる。そこに風の魔法を使って強化をかける。
「《風よ! 風よ! 風よ! 暴風の攻め手よ! 我が脚に宿りて、我と共に一陣の風となれ! シルフィ・ダッシュ!》」
ふわりと緑色の光が集まり、両脚に風の力が宿った。ハインリッヒはグッと脚に力を込めると……次の瞬間には弾丸のように飛び出して、シーアス大使館を後にする。
(一体、何がっ……!)
風のように駆け抜けながら、周りの状況を見渡した。
レメイン王国の王都は王宮を中心に貴族街、商業区域、平民街、貧民街と続き……王都全体を囲む第一の防壁。商業区画と貴族街を隔てる第二の防壁、王宮を囲う第三の防壁が建てられている。
今回の襲撃による爆発は主に、王都の外周側……つまり、商業区域や平民街、貧民街で起こっているらしい。貧民街は木造の建物が多い。火の周りが早くて被害が大きくなる可能性が高い。
他国の大使館もあるのは、貴族街がある区画に当たる。この区画は平民街・貧民街よりも黒煙が上がっている本数が少ない気がした。第二の防壁のおかげで貴族街に入れる入り口が決められてしまっているからか──防壁を超えるには、東門か西門を潜らなくてはならない。また、この門では出入りする者が記録される。当然、この防壁には戦争の際には敵を拒むための防波堤の役目がある──つまり、簡単には王都の中心に入らないし、不審な人物がいれば目立ってしまう──ため、爆発物を仕込むことが難しかったのだろう。
そして、最後。王都の中心部──王宮には、黒煙が上がっている様子はない。今のところ、王宮は王都で唯一無事なようだった。
……だがそれも、時間の問題。
「(とにかく……! 早く王宮に戻り、事態の収集をつけねば──……)…………!?」
そんなことを考えていた最中──目の前に飛んできた塊に、ハインリッヒの脚が思わず止まる。
「っ……!?」
息を呑んだ。目を見開いて、言葉を失った。
それは……女の、死体だった。胴体の半分を、何かに噛みちぎられたような……貴族らしい服を纏った若い女の──……。
「うぐぅっ……!?」
ハインリッヒは込み上げてきた吐き気を堪えきれず、その場で思いっきり吐いてしまう。
それほどまでに無惨な姿だった。なんだかんだと王族として、温室育ちであった国王は……残酷な光景に耐性がない。間近に〝死〟を感じたこともなかった。
だから……実質初めて体験するその〝死〟の恐ろしさに。ハインリッヒは身体を震わせずにはいられない。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
「グルゥゥゥウ……」
「!!」
しかし、恐怖に震えている暇もない。獣の唸り声が聞こえて、顔を上げる。
通りの曲がり道から現れたのは、大きな獣だった。成人男性の二回り……いや、三回りぐらい大きいだろうか? 普通ならあり得ないサイズの灰色狼が、そこにいた。
「なっ……!!」
ハインリッヒは無意識に後ずさる。
鋭い牙が覗く口元は真っ赤に染まっている。状況から見て、この貴族女性を殺したのはこの巨大狼に間違いないだろう。
戦わねば、逃げなければと、思うのに。その狂気に染まった獣の姿に気圧されてしまって、脚が動かない。
「ぁ、ぁ……」
「グルゥゥゥウ……」
「っっ……!」
──目が、合ってしまった。獲物として認識されてしまったと、悟ってしまった。
獣の顔だというのに、その顔が醜悪な笑みを浮かべたことが分かった。愚かな人間を嘲笑うような、そんな笑みを──……。
「………………ぁ」
そこで、ハインリッヒの意識は途切れる。
──死を、迎える。
「アォォォォォォォン……!」
国王に頭から噛みつき、その命を喰らった狼獣人は遠くまで響き渡る遠吠えをあげる。
それから、新たな獲物を見つけるために王都を彷徨う。
きっとその狼獣人には分かっていない。自覚がない。
今、自分が喰らったのが……この国で一番、偉い立場にいた人間であったことを。
狼獣人にとっては国王という肩書きを持っていた人間も、ただの餌にしか過ぎなかった。
こうして、レメイン王国の国王は呆気なく死んだ。
誰にも知られることもなく……その命を終わらせたのだった。




