陰謀《ワナ》が渦巻く、策略《ウソ》が飛び交う( Ⅱ )
コルネリウス達が避暑地に旅立った翌日──。
レメイン王国国王ハインリッヒ・オールトン・レメインは、自国に駐在している隣国シーアスの大使ゴードン・マスバーレ伯爵と……《太陽宮》の第四応接室にて密談を行っていた。
「それで? わざわざ秘密裏の会談を求めた目的はなんだ? マスバーレ卿」
前置きも何もない言葉に、ゴードンは驚いたように目を見開く。
しかし、本題に入れるならばなんだって構わなかったのだろう。彼は真剣な面持ちで……口を開いた。
「……我がシーアス王国の国王レイフォード・フォン・アーシスの御落胤が、どうやらレメイン王国にいらっしゃるようなのです」
「…………なんだと……!?」
「もしやしたら、レメイン国王もお会いしたことがあるかもしれませんね。我が王の容姿を覚えておりますか? 銀髪の──……」
「!!」
隣国同士だ。国のみだけでなく、国王同士もそれなりに交流がある。ゆえにハインリッヒは隣国の王の容姿を知っていた。
そして、隣国の王に似た容姿を持った娘を。ハインリッヒは報告で聞いていた。
「まさか……」
「貴国の王太子──コルネリウス殿下と学園にて親しくしている女生徒こそが、我が王の御落胤である可能性が高いのです」
「!!」
学園内での火遊びは所詮、一時のことだからと目溢ししていたが。まさかその火遊びの相手が、隣国の王の娘である可能性が高いとは……!
「…………確かめる術は」
「勿論、ございます」
ゴードンは懐から卵型の魔道具を取り出す。
表面にシーアス王国の国章が刻まれていることから、シーアス王家が代々受け継いでいる魔道具なのでは? とハインリッヒは驚いたように目を見開いた。
「ご想像の通り、シーアス王家の血を判別する特殊な魔道具です。こちらに魔力を込めていただき……起動すれば、彼の方は王家の血を引いているという証になるのです」
「…………成る程な。つまり、直ぐにでもフィオナ嬢が落胤かどうかの確認を行いと」
「流石、賢王と名高いレメイン国王。お話が早い」
ハインリッヒは小さく溜息を零す。
若干のタイミングの悪さに、頭が痛くなるような気がして仕方がなかった。
「……はっきり言おう。直ぐに、というのは無理だ」
「!? 何故!」
「タイミングが悪い。彼女は我が息子に誘われて丁度昨日、避暑地に向かってしまったのだ」
「なっ……!」
ゴードンもまさかと思ったのだろう。あまりのタイミングの悪さに、言葉を失くす。
「……流石に貴殿がメーユに向かうのは、無理がある」
基本的に、駐在大使は駐在国の許可なしに、大使館のある王都から移動してはならないという規則がある。それは王家の目が届かないところで駐在大使に何か──誘拐や、国交関係を悪化させるために狙われるなど──あったら、国際問題へと発展しかねないからである。
それに……シーアス王国の大使がわざわざ国に許可を得てまでメーユに向かうとなると、目立ち過ぎる。こうして秘密裏の会談を要請してくるぐらいなのだ。シーアス王国側としてはこの事を、現時点では公にしたくはないのだと察せられた。
「……ゆえに貴殿に与えられる選択肢は二つ。避暑地から帰ってきて直ぐにフィオナ嬢と顔合わせをするか。夏季後期になれば我が妃もメーユに向かうことになっているため……王妃に言伝を頼み、帰還を促すかのどちらかだ」
レメイン王国では、夏季期間中の社交は避暑地メーユで行われる。
しかし、王弟の管轄とはいえ……彼の地は王都よりも警備が十全ではないことは否めない。そのため、国王は王都に残り……夏季の社交は王妃と王太子に代わりを任せるという風習となっていた。万が一のことがあっても、国王と王太子が共倒れしないようにするためでもある。
そういう理由から。ハインリッヒ本人が避暑地に行かない以上、約半月後にメーユに向かう予定の王妃に事を頼むしかなくなる。
しかし、予想通り……あまり御落胤を知る人が増えるのは望んでいないらしい。ゴードンは苦渋の決断と言わんばかりの表情で、首を横に振った。
「いえ……ご帰還を、お待ちします。ですがフィオナ様がお帰りになられたのならば。直ぐに連絡を頂戴いただけますか?」
「あぁ、約束しよう。大使館に……いや、マスバーレ伯爵に直接がいいか? とにもかくにも、息子らが帰還次第、直ぐに連絡を入れることとしよう」
「ご配慮、感謝いたします。国王陛下」
こうして、国王と隣国の大使は密約を交わした。
しかし、この時の二人は知らない──。
この約束は思っていたよりも遥かに早く、果たされることになると。
──最後の竜によって仕組まれた罠が、効果を発揮し始める。
◇◇◇◇◇
再び、隠し通路を使って《蒼穹宮》に戻ったコルネリウスは、国王の指示通りにフィオナだけを連れて第四応接室に向かった。
それから数分後──国王付きの護衛に案内されて、ある人物がその場を訪れた。
「ご挨拶申し上げます、コルネリウス王太子殿下」
「貴殿は……確か、シーアス王国の駐在大使殿?」
「覚えておいででしたか。えぇ、ゴードン・マスバーレでございます」
白金色の髪を後ろで括り、海色の瞳を細めた男は、隣国であるシーアス王国から来ている駐在大使だった。
コルネリウスも何度か、夜会で挨拶をしたことがある。
「何故、貴殿が?」
「大変申し訳ないのですが……本日、御用があって参りましたのはそちらの女性──フィオナ様に、なのですよ。殿下」
「わ、私ですか……!?」
ゴードンの視線が不安そうな顔をしながらソファに座るフィオナに向けられる。
コルネリウスとしても、何故、他の側近達を差し置いてフィオナと共にと、国王から直々に命じられだと、疑問を抱いていた。
その理由は、大使が彼女に会うことを望んでいたからだったらしい。
しかし──……。
(会うことを求めた〝理由〟はなんだ?)
コルネリウスは疑うような視線をゴードンに向ける。
だが、案外その答えは直ぐに明らかになるのだった。
「フィオナ様」
ゴードンが不安そうにしているフィオナの前に、跪いた。彼は懐に手を入れ、卵型の魔道具を取り出す。
表面に浮かんだ紋章──王太子として周辺諸国のことを学んでいたコルネリウスはそれに見覚えがあり、息を呑む。
「失礼ながら、この魔道具に魔力を流してもらえないでしょうか?」
「…………え?」
「どうか、お願い、いたします」
恭しく差し出された魔道具を見つめ、フィオナは困ったような顔をした。しかし、彼の懇願するような面持ちに覚悟を決めたのだろう。
魔道具に手を翳して、魔力を込める。
すると──……。
──ぶわりっ……!!
「きゃっ……!」
「なっ……!?」
卵型の魔道具から、冷たい風が溢れた。部屋中に、氷の結晶が舞っていた。
キラキラと輝くその光景はとても幻想的だが……この現象こそが重要な意味を示しているのではないかと。隣国シーアスの国章が刻まれた魔道具を目にしたコルネリウスは、そう思わずにはいられない。
そしてその予想は、見事なぐらいに的中していた。
「あぁ……あぁっ……! やはり、間違いなかった……! この魔道具は〝王家の血〟を引かれる御方にしか発動できぬ魔道具なのですっ……!」
「…………!?」
「間違いありませんっ……! 貴女様は我が国──シーアス王国が国王、レイフォード・フォン・アーシス国王陛下の御息女様でございますっ……!」
「な、なんだとっ……!?」
思わず声を荒げてしまうコルネリウス。だが、それも仕方のないことだろう。
平民だと思っていた少女が。親しくしていた彼女が隣国の王女であったというのだ。これが驚かずにいられるはずがない。
「わ、私が……王女……?」
コルネリウスですらこうなのだから、当の本人は更に驚いたことだろう。呆然と、信じられないことを耳にしたと言わんばかりの態度で、固まってしまっている。
「えぇ、間違いありません……! フィオナ王女殿下。我が王がまだ王子であった頃に……陛下は一人の女性とお付き合いなさっておられました。陛下がこの世で唯一、心から愛された御方です。……ですが、急遽陛下は王位に継がれることとなり……。陰謀渦巻く魔窟殿に彼女を連れていくなどできるはずもなく、泣く泣く別れることになったそうです。──彼女の名は、フェリーシャ」
「!! その名前は……お母さんの……!」
「当時、殿下の母君は陛下が高貴な生まれであることは察していても、王族であることは存じ上げなかったそうです。陛下自身もお話にならなかったそうですし、御母堂様もお聞きにならなかったと。……そして彼女は……陛下が自分のために別れを選ばれたことを理解し、ご自身が陛下の子を妊娠していることを黙って別れに応じたのでしょう。貴女様と、陛下のことを思われて……」
「そ、そんな……! お母さんはっ……そんなこと! 今まで一度も、話してくれなかったのに……!」
二人の会話を聞いていたコルネリウスは、何故フィオナが今の今まで平民として暮らしていたのか理解した。
彼女の母親は懸念したのだろう。自分と腹の子が、隣国の王レイフォード陛下の足枷になってしまうことを。
そして……下手をしたら、自分だけではなく腹の子さえも狙われるような事態が起こるかもしれないと。
だから何も言わず。今まで明かすこともなく。ここまできたのだろう。
それは、懸命な判断だった。正しい選択だった。
なんせ隣国アーシスは長子継承制。女児であれど長子──第一子であれば王位を継ぐことができるのだ。もし、昔の時点でフィオナの存在が知れ渡っていたら……彼女はきっと、ここにはいない。消されていても、おかしくはない。
「で、でもなんでっ……急に私のことを……!」
色々と考え込んでいたコルネリウスは、フィオナから大使に向けて放たれた問いかけを聞いて、ハッとする。
そうだ。何故、今なのか? どうやって、隣国の大使はフィオナのことを知ったのか? それは当然の疑問だった。むしろ真っ先に聞くべきことだったのかもしれない。
そんなフィオナからの問いに、ゴードンは素直に答える。
「少し前に開かれた芸術の月での夜会をお覚えで?」
「は、はい……」
「その時、我がシーアス王国からレメイン王国に嫁いだ夫人が殿下をお目にしたのですよ。彼女は、殿下がとても陛下に似てらっしゃることに疑惑を抱いたそうです。そして諸々と調査した結果──貴女様に辿り着いたという訳です、フィオナ殿下」
「そ、そうなんですね……」
「えぇ。そして……こうして直ぐにフィオナ殿下にお会いできるように願い出ましたのは、よろしくない噂を耳にしたからです」
ガラリと、ゴードンの纏う空気が張り詰める。
只ならな様子に、コルネリウスとフィオナは息を詰める。
「よろしくない、噂だと……?」
「えぇ。これは、貴方様も無関係ではありません──コルネリウス王太子殿下」
「「…………!?」」
「コルネリウス王太子殿下の婚約者──ケイトリン・マジェット公爵令嬢。彼女が、フィオナ殿下の殺害を企んでいるという情報を入手しました」
「「なっ……!?」」
「ゆえに、早急に殿下を保護すべく……レメイン国王陛下に無理を言って、この場を設けていただいたのですよ」
まさか……まさか。もう既にアーシスの方にも、ケイトリンの企みが伝わっていただなんて。
思いもよらなくて、言葉を失う。
「勿論、コルネリウス王太子殿下が関わっていないことも存じ上げておりますし、レメイン王国の関与も疑ってはありません。全て、マジェット公爵令嬢の独断だと判明しておりますので」
「そ、そうか……」
「えぇ。けれど、我らの姫君を今だに狙っているのは紛うことなき事実。…………今後、貴方様は如何様になさるおつもりか。お聞きしても構いませんか? コルネリウス王太子殿下」
「っ……!」
圧の込められた、見定めるような視線だった。
ここで選択肢を間違ったら致命的なことになると、コルネリウスの本能が警鐘を鳴らす。
だが、これは好機でもあった。
フィオナがこのタイミングで王女であると明らかになったのはきっと、女神の思し召しなのだろう。
今こそ、ケイトリンを断罪すべき時なのだと──……。
「…………本来の予定を切り上げて避暑地から戻ったのは。ケイトリンが放った刺客に襲われたからなのだ、大使よ」
「……!」
「その場にはフィオナだけではない。わたしも共にいた。つまり、ケイトリンは貴国の王女だけでなく……この国の王太子すらも害そうとしたのだ。ゆえに、ケイトリンは既に罪人である」
隣国の王女だけではなく自国の。自分が仕える王族すら害そうとしたとなれば、その罪の深さは計り知れない。
──極刑に値する、大罪だ。
「しかし、あの女は狡賢い。確固たる証拠を示さねば知らぬ存ぜぬで押し通すだろう。そのため、我々はあの女を断罪するために動いている。言い逃れなどさせぬよう物証を集めてから…………ケイトリンを、処刑する」
「!? ま、待ってくださいっ……! コルネリウス様っ!」
コルネリウスの言葉を聞いて瞬間、フィオナが顔面蒼白になりながら立ち上がった。
彼女は微かにその身体を震わせながら……彼に問いかける。
「な、何故! 処刑なんて……なんで、そんなことを……」
「……何故?」
「確かに、ケイトリン様は私達を殺そうとしました! でも、私達は実際には死んでませんっ……! なのに、ケイトリンを処刑にするなんてっ……お願いです、止めてくださいっ……!」
…………そんなことを曰うフィオナに、コルネリウスは可哀想なモノを見る目を向けた。
きっと今の今まで平民として暮らしてきたから分からないのだろう。ケイトリンはもう、手遅れであることを。
「フィオナ。実際にあの女は刺客を放ったじゃないか。我々が助かったのは運が良かったに過ぎない。それに……王族を害そうとした時点で充分、極刑に値する罪なのだよ」
「そ、そんな……!」
「…………心優しいフィオナは、自分が見知った人間が処刑されるということが、受け入れられないのだろうな。だが、安心してくれ。後のことはわたしがやる」
「…………」
断固とした声音で告げるコルネリウスの姿に。言葉を失くしたフィオナは力なく、ソファに座り込んだ。
ゴードンの方に視線を送ると、彼もコルネリウスと同じ意見であるらしく。ケイトリンの処刑という言葉に、満足げな笑みを浮かべている。
コルネリウスは改めて、フィオナの方に向き直った。
彼女は呆然と、固まってしまっている。どうやらまだ、明かされた真実を受け止めきれていないらしい。
これ以上は限界そうだと、コルネリウスは感じ取らずにはいられなかった。
「……今のフィオナには、これ以上の話は手一杯のようだな。ひとまず、今日の話はここまでにしよう。……マスバーレ大使」
「はい」
「彼女の身の置き場はどうする? シーアス王国の駐在大使館にするか。それとも身の安全を考えて、このまま宮殿に置くか」
「…………ふむ。そう、ですね。わたしとしましては是非、大使館にお招きしたいところではありますが。急に貴女様の臣下ですと名乗ったところで信頼できるかどうかはまた別の話でしょう。ゆえに、フィオナ殿下が信頼できる方のお側にいた方が、殿下自身のためになるかと」
「ならば、このまま宮殿にいてもらおう。この国で一番、この場所ほど警備が厳重な場所はないだろうからな」
そう、フィオナを置き去りにして話し合う彼らは知らなかった。
この世界のどこにも、安全な場所なんてないということに──……。
現に、この部屋には彼らが気づぬ……気づくはずもない〝侵入者〟が、いる。
(…………ふは……ははははっ!)
姿を魔法で隠して……部屋の片隅に立って全ての会話を盗み聞きしていた彼は、嗤う。
生じ始めている〝亀裂〟に気づかぬ、愚かな人間達を。
(これは面白くなりそうだな。是非、そのまま育ててくれ。その胸に抱いている──……〝不信感〟を)
そう、心の中で〝そいつ〟を鼓舞しながら……彼は静かにその場を後にした。




