25-2
片っ端から路地を洗う。シーアンは見当たらない。まあ、そう簡単に見付けられるとは考えていない。偶然出くわすなんて可能性も極めて低いとしか言いようがない。そうでなくとも、ひょっとしたら、彼女はすでに街を出たのかもしれない。誰だって射殺されたりブタバコでくさいメシを食わされたりするのは御免だろう。
わたしは「ふーむ」と腕を組み、足を止めた。この街の地理には誰よりも精通しているつもりではあるものの、通ったことがない胡同がないこともない。路地についても同じことが言える。これからはもっとつぶさにあちこち歩いてみるのもアリかもしれない。『開花路』で番長を気取りたいなら尚更のことだ。
日が沈む時間帯に。
今日も一日、いい天気だった。曇り空が多い街にあって、日が差す好天が続くのは珍しい。洗濯物もよく乾いたことだろう。おぉ、これって主婦みたいな思考だなと思った。
とある胡同に行き当たった。東西の口を、警察官らが封鎖している。商店のニンゲンは店の中に引っ込んでいるようだ。何事だろうと思い近付く。一人の警官に身分を伝えると、「はい。ミン刑事から周知されています。ガブリエルソンさんというかたが現れるようなら通すようにと」との返答があった。成り立てといった感じの坊やである。ちょっとかわいい。彼は「僕はテイシュウといいます」と名乗った。公僕なのだから、「僕」ではなく「私」という呼称を使うべきなのだけれど、ま、実際に僕ちゃんなんだからかまわないかと思うことにした。
「ここを固めてるってことは、この先に何かをしでかした人物がいるの?」
「はい。すぐそこの路地に逃げ込みました。先は行き止まりです」
「誰なのかは把握出来てる?」
「恐らく、シーアンという女性だと思います」
「あら。どうしてわかるの?」
「警らのニンゲンにはシーアンさんの顔写真が配布されたんですけれど、僕は写真を見るまでもなく、彼女の顔を記憶していたんです。何せ、その、美しいかたなので。職務質問をしようとしました。そしたら、彼女は走って逃げたんです。街中でのことでした」
「それであとを追った?」
「はい。何度も見失いそうになりましたけれど、なんとか追い付くことが出来ました」
「今のところ、何も抵抗はしていないの?」
「いえ。そうでもなくて……」
「というと?」
「路地に追い詰めたまでは良かったんですけれど、即座に発砲してきたんです。先輩がやられました。頭部を撃たれて即死でした」
「迂闊なことね。上の指示を待って慎重に行動すべきなのに」
「迂闊なのは僕も一緒です。先輩と並んで相対しましたから。でも、僕はヒトを撃ったことがないので、手はがたがたと震えていましたけど」
「どうして貴方は殺されなかったのかしら」
「坊やは殺さないわよと言われたんです」
「そこで路地から出て応援を要請した」
「はい」
「突っ掛かってこられたら、どうしようもなかったと思う?」
「はい。公安のヒトに僕なんかが、敵うわけがありません」
「シーアンが逃走するのは可能だったというわけね?」
「当然、そうなります」
「だったら、どうして逃げようとしなかったのかしら」
「それはわかりませんけれど……」
「まあ、いいわ。直接、話を聞いてみればわかることだから」
「後ろから支援しましょうか?」
「必要ないわ。わたし一人でなんとかする。とにかく待っていなさい。身柄は引き渡してあげるから」
わたしは銃を手にして建物の陰に身を隠しつつ、問題の路地の様子を窺った。向こうにも右方にも左方にも建物の壁。確かに袋小路だ。逃げ道はない。
女が地面に尻を置き、片方の膝を抱えていた。茶色いスーツ姿。カモフラージュするために、以前着ていた黒服から着替えたのだろうか。のんきに口笛を吹いている。『ニュルンベルクのマイスタージンガー』だ。どれだけいい曲だろうがクラシックファンとは、いい縁にはなれない。経験則である。
わたしは銃を懐のホルスターにおさめつつ路地に出て、歩みを進めた。
「誰?」
「貴方と一度だけお目にかかったことがある探偵よ」
「ああ、そうか。そんなヒトもいたわね。確かメイヤさん」
「イエス。シーアンさん、ヒトを殺めるのは楽しかった?」
「楽しくなかった。私は彼の境地には立てないようよ」
「彼って狼のことね?」
「それ以外にいないでしょう?」
「どうして逃げようとしないの?」
「ここが私の行き止まりだろうって、なんとなく悟ったから」
「そもそも街を出ることだってできたはず」
「この街に愛着があるのよ。私が生まれたところだから」
「会いたかったの? 狼に」
「今でも会いたいわ。会ってみたい。ところで、気付いてる?」
「何が言いたいの?」
「狼はヒトを手にかけた殺人犯。そしてマオは殺すために彼を追っている。殺人なんてね、こなした件数が物を言うわけじゃないの。要するに、マオも犯罪に手を染めようとしているってこと。そこに疑問符を打てる?」
「わたしは例え彼が人殺しだとしても愛するわ」
「それは自己矛盾だって感じない?」
「矛盾でしょうね。だけど、わたしはそれでもいいって思ってる。殺人犯が行く先は間違いなく地獄。わたしもやがてはそこに落ちる。だけど、彼と一緒なら、そう悪い話でもないわ」
「メイヤさん、貴女には骨がある」
「すっかすかのニンゲンであるなんて御免よ」
「やろう、最後に」
「いいわよ。途中で泣きを入れるなんてゆるさないから」
前進し、接近し、「シュッ」という鋭い息とともに右のハイキック。それを受け止め、シーアンはにぃと笑った。続けざまに左、右、パンチ。その連撃をよけて見せた。なるほど。やっぱり、やるみたいだ。
シーアンは距離を取ると、左の手のひらを前に向けた。右の拳は腰の位置。
「貴女が使うのは、合気の類だと思っていたけれど」
「私は空手もやるのよ」
「だからといって、退く理由にはならない」
「掛かってくる?」
「勿論っ!」
突き進み、右のミドルを放った。左手でバシッと叩き落された。少し驚いた。見誤っていた。細身であるにも関わらず、想像以上にパワーがある。返す刀で左のミドル。右の脇に抱えられた。「軽率ね」と言って、シーアンは口元を緩めた。押し倒された。すかさずアキレス腱固めを決められる。舌を打つ。しくじった。悲鳴を上げるに値する強い痛みが足首から全身へと広がる。逃れようにもロープはない。ルールのない喧嘩なのだ。タップしたところでゆるしてなどもらえないのだ。
「くっ……」
「諦めなさいな、メイヤさん。動けなくしたところで、きちんと殺してあげるから」
背に腹は変えられない。本当に美学に反することだけれど、わたしは上半身を起こすと、懐から抜き出した銃をシーアンに向け、弾丸を放った。拘束が解かれる。
腰を上げ、わたしは、二歩、三歩と、ぴょんぴょんと退いた。銃の照準はシーアンに合わせたまま。彼女は「痛い……」とこぼし、撃たれた左の肩を押さえながら、ゆっくりと立ち上がった。
「ごめんなさいね。銃なんか持ち出したりして」
「それもアリよ。なんでもアリなのが、この世の理」
「銃を抜いてしまった以上、もう引き返せないわ」
「ええ。そうね」
シーアンが左の脇に手を突っ込み、銃口を向けてきた。次の瞬間、「伏せてくださいっ!」という大声が響き渡った。坊やの声だ。咄嗟にわたしは身を低くし、頭を抱えつつ地面にサッとうつ伏せになった。パンパンパンパンという乾いた銃声。複数のニンゲンが撃っているものと思われる。
やがて銃の連続音が止んだ。顔を挙げてシーアンのほうに目をやると、彼女は仰向けに倒れていた。
ふーっと長い息をつき、呼吸を整えてからわたしは立ち上がった。見ると、シーアンの上半身にはいくつも穴が空いていた。とめどない出血。口の端からも血をこぼしている。坊やには援護なんて必要ないと言ったのに。
シーアンは微笑んだ。
「この場で行き止まりって言ったけど、それは間違いだったかも。思っていたより鉄砲って痛いのね」
「貴女の強さ、確かに心に刻んだわ」
「ふふ。メイヤさんったら、クサいことを言うのね」
「もっと違った生き方があったはずなのに」
「それでも私は、狼になりたかった」
「どうして?」
「美しいからよ」
「貴女だってイイ女よ?」
「そういった評価が幸せには繋がらないってこと」
「楽しませてくれてありがとう」
「どういたしまして」
その日の夜、病院への搬送中にシーアンが死んだと、ミン刑事から事務所に連絡があった。わたしとシーアン。お互いに何かが少し違っていれば、友人になれたかもしれい。ゆえに残念さを覚えたのだった。




