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19.『蹂躙された絵描き』 19-1

 わたしの事務所は殺風景だ。特段、それが不満だというわけではないのだけれど、ふと思い付き、以前、作品を売ってもらった絵描きの青年を訪ねることに決めた。現在、事務所に飾っている二つの絵はいずれも彼から譲り受けたものだ。一つは大人しく香箱座りをしている黒猫の絵で、もう一つは絵描きの恋人だったらしい女性の絵である。


 女性の絵は美しいので、それはそれで気に入っている。でも、黒い猫の絵も愛おしい。どちらが好きかと問われると、甲乙つけがたい。


 絵描きが量産しているのは猫の絵だ。


 不吉な黒い猫の絵など売れるはずもないと彼は話した。だけど、黒かろうがなんだろうが、わたしは彼の作品が好きなのである。


 夕方になって事務所を出た。絵を買ったのは二年以上も前のことだけれど、外回りがてら、絵描きのもとは、ちょくちょく訪れている。そのたび、彼は好感の持てる人懐っこい笑みを向けてくる。わたしはその笑顔が好きだ。ほっと癒やされるぐらいだ。相手にそう感じさせるのは、ちょっとした才能だと思う。


 十分ほど歩いて、とある路地で折れた。するとだ。黒いキャスケットをかぶり、道の端で絵を広げ、今日もささやかな商売をしているはずの絵描きの青年が横たわっている様子が見えた。わたしは駆け足で彼に近付く。誰が手を下したのかはまったくわからないけれど、絵は全部が全部、びりびりに破られていた。


 気を失っていたらしい青年が、「う、うぅ……」と苦しげなうめき声を漏らした。わたしは彼を仰向けにして上半身を抱き上げた。


「どうしたの? いったい、何があったの?」

「男性二人に絡まれました。こんなところで商売をしていいだなんて誰がゆるしたんだって言われました」

「こんなさびれた路地で売っているのに……相手はヤクザみたいだった?」

「どうにもそのようです」


 腹が立った。絵を破られたこともそうだが、なんの罪もないであろう青年が、いわれもない暴力にさらされたことに怒りを覚えた。


「ちくしょう。せっかく買いにきたのに……」

「僕の顔が、えらく気に入らなかったのかもしれません」

「そんなこと、あるもんですか」

「でも、世の中には理不尽なことってあると思うんです」

「貴方は優しすぎるわ。でも、わたしはそんな貴方の猫の絵が欲しいの」

「また描きます。その上でお渡しします」

「それは事後の話。貴方をいたぶったやからは、やっぱりゆるせない」

「ヤクザだろうと言いました。貴女にどんな力があるのかわかりませんけれど、連中なんかと関わって欲しくありません」

「とにかくゆるせないの。絵をないがしろにした男をぎゃふんと言わせてやるわ」

「ですから、そんなこと、やめてください」

「いいから任せておきなさい」


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