18.『時には子供のように』 18-1
わたしが以前、母と住んでいたアパートの一室は空き家のままであるらしい。期せずしてその旨を知った。いつも外回りで顔を出している『不動産屋』の主人から、ある日、唐突にそう聞かされたのである。
母と暮らしていた時間、わたしはとても幸せを感じていた。だけど、『人売り屋』の手にかかり、彼女は突然、どこか遠くにいってしまった。彼らのコネクションは数多あって、だからもう二度と会えることなんてないのだろう。
かつての実家を一度、訪れてみようと考えた。別にセンチになったわけではない。ノスタルジーに駆られたというわけでもない。とにかく一度、訪ねてみようと思っただけなのである。
場所は、さびれた路地に面した粗末なアパート。コンクリートの壁には黄ばみが目立つ。三階の部屋の戸を開けた瞬間、埃っぽさに見舞われ、けぷこんけぷこんと咳が出た。
室内にはもう、何も残されていなかった。ダイニングテーブルも、小ぶりなソファセットも何もなかった。リビングはとても狭くなったように感じられた。私の背丈が伸びたせいだろう。
この部屋には、以前、父の姿もあった。もう十五年も前のことである。彼が行方をくらました時、わたしはまだ四つやそこらだった。だから、顔すら覚えていない。それでいいのだと思う。下手に記憶していたら、ひょっとしたらだけれど、時折、悲しくなってしまうかもしれないから。
父がまだ家族だった頃に、母はパートで『花屋』に勤め出した。給料はけして高くはないけれど楽しい職場だと言っていた。それは覚えている。
父がいなくなってからの母は、生活費を得るために、『花屋』の他に、夜の仕事も始めた。
当時、まだ幼子だったわたしには、当然、夜の仕事と言われてもピンとこなかったのだけれど、昼間は『花屋』で働き、夜は夜でいないわけだから、わたしはいつも一人ぼっちだった。寂しさのあまり、よく泣いてしまったものだ。
やがて成長し、母の夜の仕事がなんであるか、見当がつくようになった。悲しいことだけれど、やっぱり『娼館』に勤めているのだろうと確信せざるを得なかった。だけど母はいっさい、そうであることを口にしなかった。娼婦である自分を認めたくなかったのかもしれない。娘であるわたしに余計な心配を掛けたくなかったのかもしれない。仮に正直に「『娼館』で働いているの」と言われたら、その折にはひどく落ち込み、わたしはとても悲しんだことだろう。
年齢を重ねるうちに、少しでも家計を助けられないかと考えるようになった。何か稼ぎを得なければならないと思うようになった。どんな仕事でもいい。とにかく母の負担を軽減してあげたかった。だけど、母はそんな必要はないと答えた。「貴女を育てるのはわたしの義務だから」と言った。その言葉は素直に嬉しかったのだけれど、いつまで経っても母に甘えていることについては、少なからず罪悪感のようなものを覚えた。
母はまだ、どこかで生きながらえているのかもしれない。父だってそうだ。だけどわたし達三人の運命が交わることなんて、未来永劫、あるはずがない。それくらい、バラバラになってしまった。それくらい、家族として壊れてしまった。
それでも、わたしという個の独立性を維持することだけは出来た。ひとえに、マオさんのおかげだ。彼に出会っていなければ、わたしは単なる人格破綻者として闇に落ちていたことだろう。




