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16-4

 夜、店が暖簾を掲げる時間帯に、『娼館』を回った。一件、また一件と、しらみつぶしに当たる。そのうち、有力な情報が得られた。政治家先生の娘が振り向きざまに微笑んでいるバストアップの写真を見せると、モヒカン頭をしたバイセクシャルの男性がレジカウンターの向こうで「あら」と声を漏らしたのだ。


「今日、入ったコよ」

「本当に? 今は?」

「奥の部屋で接待するところ」

「ギリだったわね」

「何が?」

「タイミングが、よ」


 わたしは木製の廊下をずかずかと進み、最奥部にある部屋のドアを開けた。真っ先に飛び込んできたのは般若の入れ墨。それを背負っている男はこちらに振り返るなり、「なんだあ、テメーは?」と凄みのある声で言った。角刈り。迫力のある顔つきである。


 部屋の隅で女性が頭を抱え、小さくなって怯えている。確か、ホランさんだったか。ビンゴ。写真の特徴と照らし合わせてみても、ご本人様であることは間違いない。


「そっちの女性の身柄はこっちで引き取る。いいわね?」

「あぁん? いきなり何述べてやがんだ、オメーは」


 強面の男が近付いてきた。にしても、ゴツい。一発でのせるかなと疑問に思いつつも、問答無用、どてっぱらに思い切り右の前蹴りをぶち込んでやった。「ぐはっ!」という濁った声とともに、男は吹っ飛んだ。壁に背中を叩き付けられる。ラッキー。一撃必殺。膝から崩れ落ちてうつ伏せに倒れ、きちんと失神してくれたようだ。


 部屋の端っこで縮こまっているホラン嬢に手を差し出す。


「もう大丈夫よ。お父様のもとまで送り届けてあげるから」

「ほ、本当?」

「怖かったわよね」

「怖かった、です……っ!」


 ホラン嬢が飛び付くようにして首に両腕を巻き付けてきた。よしよしと背中を撫でてやる。自衛の手段を持たない女性からすれば、見知らぬ男と部屋で二人きりになるだなんて、恐怖でしかなかっただろう。


 後方に気配。


 振り返ると男がいた。長い髪はセンター分け。口の周りには整えられたひげ。背はそう高くない。中年だろう。グレーのスーツに真っ赤なネクタイ。両の耳たぶには大振りのボディピアス。なんというか貫禄がある。ただのチンピラとは一線を画した雰囲気がある。阿呆な女にはウケそうな風体でもある。顎を持ち上げ不遜な態度。いきなりにやりと笑って見せた。


 センター分けの男は「ねーちゃん、ちょくら邪魔するでぇ」と言葉を放った。ニッポン語だ。しかもなまりがどぎつい。わたしがのしたゴツい強面の前にしゃがみ込み、男は彼のほおをぴしゃぴしゃと叩いた。「う、うぅ……」と苦しげなうめき声を上げながらも、やっこさんは覚醒したようだ。


「おう、コラ、おまえ、どういうこっちゃ? 俺は女のアソコをいい具合にならしとけ言うたはずやぞ」

「お、親父、そ、それが……」

「それが、なんやっちゅうねんな」

「そ、そこの女に蹴りを食らって……」

「それでのびてたっちゅうんか?」

「は、はい……」

「ッホンダラァッ!」


 般若を背負った男の髪を掴み上げるなり、グレーのスーツの男はその顔面を容赦なく幾度となく右の拳で殴り付けた。涙を流しながら、鼻血と鼻水も垂れ流しながら、墨を入れた男は「すみません、すみませんっ!」と泣きを入れる。


「おーい、おーい、おまえさんよぉ。俺の組織に俺の言うことが聞けん男は要らんのや。そのへん、わかってるかぁ?」

「あ、あぐっ、や、やめてください、お願いします、親父」

「阿保抜かしてんなやぁっ!」


 まだまだガンガンと、般若の男の顔面を殴り付ける。やっこさんが改めて失神したところで、男はゆらーりと立ち上がった。


「ねーちゃん、強いんやなあ。コイツは腐ってもウチの中やと三本の指に入る兵隊なんやぞぉ?」


 わたしはふんと鼻を鳴らした。


「でも、大したことないわね。前蹴り一発で沈んだんだから」

「ねーちゃんは異国の言葉がわかるらしいな」

「多少の心得はあるから。貴方の部下もわかるようね」

「そりゃ、勉強させとるさかいな。笑えるやろ? ヤクザがしこしこ言葉の練習しとんねんぞ?」

「ところで」

「なんや?」

「わたしとしては、ホランさんの身柄をを引き受けたいだけなんだけど」

「ええわ。そないな女、くれたるわ」

「だったら取り引き成立。お互い、もう用事はないってことでいいわね?」

「そうもいかへんな」

「どうして?」

「いやあ、随分と強そうな女に出会えてやな、それがアンタっちゅうわけなんやけど、ヤらへんか、ワシと」

「セックスの話?」

「阿保なこと言いなや。喧嘩の話や。ワシはこぶし振るうのが大好きなんやが、どうにもまともに相手になるヤツがおらなんでなあ。実はねーちゃんを見た瞬間から、ワシのちんけなイチモツはもうとっくに勃起してしもうてるんや。見るからにやりそうやさかいなあ」

「誰なの、貴方は」

「『グゥエイ・レン』って看板掲げさせてもろてるヤクザの親分や。あの悪名高い『フー』の直参なんやが、自由すぎるってんで、煙たがられてるわ。せやけど、自由やないとなあ。面白おかしく生きへんとなあ」

「貴方達がヨウ議員を揺すったの?」

「さあ、どうやったっけかなあ」

「食えない男ね」

「しょうもないことは部下に任せて、それでしまいや。ワシはとにかくゾクゾクするような喧嘩がしたいだけなんや。そこでや、ねーちゃん、せやからや、ねーちゃん、まずは表に出ろや。ぶち食らわしたるさかいなあ」

「ヤクザのボス自ら相手をしてくれるっていうの?」

「そない言うてるんや。何度も言わせんなや。俺はゾクゾクさせてくれるような相手が欲しいんや」

「いいわ。外でやりましょう」

「ふっはは。後悔すなやあ」


 表に出た。「どけや、どけやあ」と言いながら、しっしと手を動かして人払いをしたのは、見るからに危なっかしい『グウェイ・レン』の親分殿だ。その内、モーゼの十戒のように道路がひらけた。


 親分殿は懐から匕首を抜き払った。「ギャッハッハッ! ウハハハハッ!」と馬鹿みたいに笑う。


「貴方、名前は?」

「ミカミ・カズヤっちゅうもんや。どないや? カッコのええ名前やろ?」

「かもしれないわね」

「まあ、んなこたどうでもええさかい、かかってこんかい」

「貴方からかかってくれば?」

「うっさいんじゃボケェ。黙ってかかってこんかい。ボケっとしてんなやあっ!」


 突っ込み、左の膝を腹部に決めることで相手を突き放し、それから右のローをシュッと放った。両方とも呆気なく決まったので、少し拍子抜け。


 だけど、ミカミは倒れないし崩れない。「あーはっはっ!」と爆笑して見せた。


「ええ蹴りや。せやけど、ぶっ倒れてまうほどやないなあ。もっと容赦のうないの打ってこいやあっ!」


 お望み通り、右のハイキック。側頭部にもろに決まった。手応えはあった。けれど、ミカミは「にっひひっ」と笑った。まるで響いていない様子。異常な打たれ強さだ。むしろ、反撃してきた。匕首を真正面から突き出してきて、その動きは気持ちがいいまでにまっすぐだ。平気でヒトを刺せる性格の持ち主なのだろう。


「ギャッハッハッ! ウハハハハハハッ! それでしまいか、ねーちゃんよぉっ!」


 だけど、ハイキックが今になって効果をもたらしたのか、ミカミはがっくりと片膝をついた。


「お、おお、なんやねんな、これ。ちょい効いてしもたいうことか?」

「そうみたいね」

「ワシはヒト殴んのが好きで極道になったんや」

「それはもう聞いたわ。だったら、武器なんて捨てて、かかって来れば?」

「そうさせてもらうわぁっ!」


 ミカミは匕首を放り捨て、突っ掛かってきた。大振りのパンチをかわして、得意のボディブローの連発から右のローキックというコンビネーション。


 にぃというか、にやりというか、とにかくミカミが口元をゆがめて笑ったのが見えた。


 ノーモーションからの左のフックを右の頬をにもろにもらった。久々の痛み、感覚。前蹴りで突き放そうとする。「おっと」と言って、ミカミは飛び退いた。


 女を容赦なく殴り付けた時点で、やる。ちょっと意外だ。組織のボスなんて、下っ端にあれこれ指示を出すだけのくだらない男ばかりだと考えていたから。


「ねーちゃん、どうや? 殴られる感触っていうのは愛おしいやろう?」

「そうね。だけど今日はもうやめにしてくれる。パトカーが来たみたいだし」

「傷持ちのねーちゃんよ、ワシが警察なんぞ怖がってるように見えるかあ?」

「見えないけど、とりあえず退いて。またいつでも相手をしてあげるから」

「ワシはもう、もうイキそうなんや」

「だったら?」

「もうちょい相手せんかいっ!」


 わたしは「あははっ!」と笑った。突っ掛かってきたところに今一度、左の膝を腹部にくれてやり、それから顎先を右の爪先で蹴飛ばしてやった。どっと仰向けに倒れ込んだミカミである。


 パトカーの音が、いよいよ近付いてきた。なのに大の字のミカミは「ギャハハハハッ!」と笑った。「ウハハハハッ!」と阿保みたいに笑った。


「この街もまだまだ捨てたもんやないなあ。ねーちゃん、ごっつ強いなあ。ワシは強い女は大好きやでぇ」

「わかったわ。名刺、要る?」

「名前だけは教えてくれや」

「メイヤよ。メイヤ・ガブリエルソン」

「忘れへんぞぉ、その名前」


 訪れた警察官に両脇を抱えられながら、ミカミは連行された。それでも彼は笑った。天をに向かって、「ウハハハハッ!」と大爆笑したのだった。


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