11-2
翌日。
午前中の外回りと昼食を終え、事務所に戻った。ボルサリーノをデスクに置いた次の瞬間、黒電話が唸りを上げた。
受話器を取ると、「メイヤっ、メイヤっ!」と叫び声が聞こえた。
「イタンね。どうしたの?」
「母ちゃんが、母ちゃんが!」
「お母様がどうしたの?」
「メイヤ、メイヤ!」
「わかった。すぐに向かうわ」
わたしはボルサリーノをかぶり直して、事務所を出た。
イタンの家は『貝剥き屋』をやっている。文字通り、剥いた貝をさばく商売である。トタン屋根が表にせり出している店舗兼住居を訪れると、彼の「母ちゃん! 母ちゃん!」という悲鳴に近い呼び声が聞こえてきた。店主はいない。配達に出掛けているのだと思われる。
奥の間を覗いた。
下半身を動かすことができないイタンが、前のめりに倒れている女性のそばに寄り添っていた。「母ちゃん! 母ちゃん!」と大きな声を発しながら、彼女の上半身を揺すっている。
わたしは二人の間に割って入り、母親の首の脈を確かめた。ない。もう死んでいる。
「母ちゃん! 母ちゃん!」
「イタン。静かにしなさい。亡くなっているわ」
「母ちゃん、母ちゃん!」
「イタンっ」
イタンの左の頬を、わたしは平手でぶった。とめどなく涙をこぼしていた彼の目がかこちらを向く。
「わぁんっ、わあぁぁぁんっ!」
イタンは幼子のような泣き声を放ちながら、膝立ちになり、しがみついてきた。うん、うんとうなずきつつ、わたしは彼のことを抱き止める。
「母ちゃんが、母ちゃんがぁっ!」
「うん」
「メイヤぁ、メイヤぁぁっ!」
「うん。わかっているわ」
わたしはそう言いつつ、右手でイタンの背を上から下へと撫でたのだった。
イタンの父親が医者から話を聞かされている間、わたしは廊下で、車椅子に座っている彼の隣に立っていた。
「お母様は最近、目が眩むとか頭痛がするとか言っていなかった?」
「聞いた覚えがねーけど……」
「だったら、急性の心不全かしら」
「心不全……?」
「ええ。文字通り、心臓が突然、機能不全を起こしてしまうの」
「俺、間違ってたよな。まずは救急車を呼ぶべきだったのに……」
「呼んでいても助からなかった。そういうことなのよ」
「なんか、ごめん……」
「何が?」
「迷惑かけちまって、ごめん……」
「いいのよ。むしろ、嬉しいわ。頼ってもらえていたようで」
わたしはしゃがんで、イタンの背を抱いた。彼も強く抱き返してくる。
「メイヤぁ、メイヤぁぁっ」
「うん」
「こんなの、あんまりだよぅ。ひどすぎるよぅ……」
「うん。そうだね」
「俺、これからどうしていけばいいんだよぅ……」
「前を向きなさい」
「そんなの、無理だよぅ……」
「いいから、言うことを聞きなさい。わたしは貴方のことを見放したりしないから」
「……本当に?」
「ええ。安心しなさい」
「苦しいよぅ。悔しいよぅ……」
「そうね。でも、我慢しなさい、頑張りなさい」
「メイヤぁ、メイヤぁぁ……」
わたしの白いブラウスの肩は、彼の涙と鼻水とで濡れた。




