9-2
お隣さんを訪ねるべく、インターフォンを鳴らした。まもなくして、覗き窓が開いた。ジトッとした視線を向けらているのがわかった。
「誰?」
「探偵です」
「探偵?」
「はい。お隣さんのことについて伺いたくて」
「警察が来てたみたいだけど、やっぱり何かあったわけ?」
「はい。殺人事件です」
「殺人事件なんて大事じゃない。なのにどうして警察じゃなくて、探偵さんなんかが動いているの?」
「色々とありまして。まずは戸を開けてはいただけますか?」
「わかったわよ。しょうがないわね。ちょっと下がってて」
ドアが開いた。顔を覗かせたのは、黒い髪をした結構な美人さんだった。
「入っても?」
「いいわよ。お茶を出すつもりはないけど」
「かまいません。お話にだけ付き合ってください」
女性に導かれ、リビングへ。「座って」と黒光りしているソファにつくよう促された。腰をおろしてみると、心地良い反発があった。それなりに値が張るものなのだろう。
正面の席に腰を下ろした女性は背もたれに体を預けて腕を組み、「ほっぺの傷はどうしたの?」と問い掛けてきた。「しょうもない事象に見舞われたんですよ」とだけ答えておいた。
女性はまるで品定めをするようにして、こちらのことを観察する。わたしがニコッと笑って見せると、彼女の警戒心は、幾分、和らいだように見えた。
「早速、話を聞かせてもらえる?」
「率直に申し上げますね?」
「そうしてちょうだい」
「わたしは、このフロアに住んでいる女性のいずれかが、殺人を犯したのだろうと睨んでいます」
「どうして?」
「ここ三階は、ヤクザの親分の持ち物だそうですね」
「それが何?」
「貴女も親分に囲われている?」
「だから、それが何って訊いてるのよ」
「一種のヒエラルキーのようなものあるのではないかと思いまして」
「ヒエラルキー?」
「はい。囲われている女性には序列みたいなものがある。中でも親分のお気に入りだったのが、被害者女性だったのではないかということです」
「興味深い話ね」
「単なる憶測で話しました。でも、実際、そうだったのではありませんか?」
「話したくないわ」
「そのお答えこそ、真実を示しているように思われるのですけれど」
「ふーん。探偵さんは勘がいいのね」
「状況を整理した上での当然の帰結です」
「ああ。なんだか、もうめんどくさくなってきちゃった」
「めんどくさくなった?」
「ええ。もうどうでもよくなっちゃったわ」
女性は突如として、「こうさーん」と言い、両手を上げた。天井を仰いだのち、改めてこちらに視線を寄越してきた。その表情は諦観しているようであり、あるいは晴れ晴れとしているように映った。
「犯人は私よ。アイヂェンを殺したのは私」
「あっさりお認めになるんですね」
「めんどくさくなったって言ったでしょ」
「被害者女性は、アイヂェンさんというのですね?」
「そんなことすら知らないで調べていたの?」
「名前はあまり重要だとは考えていませんでしたので」
「アイヂェンよ、アイヂェン。そして、私はヤーモンって名前」
「やっぱり、序列はあったんですね?」
「ええ、そうよ。そのトップに君臨しているのが彼女だった」
「それが我慢ならなくて、犯行に及ばれたんですか?」
「だって、理不尽でしょう? 太っている上に不細工な女が、私より重宝されるだなんて」
「そうなのかもしれませんけれど、そんなことを平然と口走ってしまうあたり、わたしは貴女のことを醜く感じます」
「言ってくれるわね」
「本心を述べたまでです」
「私を抱いたあとに、親分さんがぽろっとこぼしたのよ。やっぱりアイヂェンが一番だって。彼女はとっても無垢なニンゲンだった。その上、滅茶苦茶、優しかった。親分は言ったわ。アイヂェンの純粋さは自分を癒やしてくれるって。セックスがぎこちなかったのも、むしろ良かったみたい」
「どうやって押し入ったんですか?」
「押し入ったも何も、一緒にお茶をしたいって言ったら、招き入れてくれたのよ。私達、飼われているニンゲンには仲間意識なんてない。でも、アイヂェンはそうは思っていなかったみたい。同僚と仲良くしたいと考えていたみたい」
「やりきれない話です」
「それでも、私は我慢ならなかったの」
「警察に出頭されますか?」
「そうするつもり。いずれは捕まると考えていたから。遅かれ早かれっていうこと。はなから逃げおおせようだなんて、思っていないのよ。加えて、出頭したほうが、量刑はいくらか軽くなるってものでしょう?」
「その点については、なんとも言えません。それにしても、貴女自身はどうして飼われることを選んだんですか?」
「単純なこと。高給だからよ。昼間に働きに出るより、よっぽど稼ぎになるから」
わたしは「ふーむ」と唸ってから、「ですけど、女性としての尊厳は守るべきだったのでは?」という考えを口にした。
「それは考慮する必要がない。尊厳なんてドブに捨ててしまったほうが正しいわ。油ぎった親分さんに抱かれている時だけ我慢すれば、それなりの稼ぎが得られるわけだから」
「稼ぎを得て、どうするつもりだったんですか?」
「そこまで明かしてやる義理はないわね」
「お話については理解しました」
「貴女も飼ってもらえばいいのに。本当に高給よ? 親分は胸の大きな女が好きみたいだし」
「わたしは今の仕事に誇りを持っています。多額の稼ぎが得られるとしても、わたしはそれに従おうとは思いません」
「強いのね」
「そうあるべきだと考えていますので」
「なんにせよ、警察に連絡して、私をとっつかまえてもらうべきだわ」
「言わずもがな、そうさせていただきます」
「それにしても、変わった探偵さんね。だけど、貴女はとても有能であるような気がするわ」
「恐縮です」




