38-2
事務所に戻った。デスクについて新聞を読んでいたマオさんが、顔を寄越してきた。
「やあ、おかえり、メイヤ君。ぐすぐす鼻を鳴らして、どうしたんだい? 何かあったのかい?」
「言いたくありません」
「それでも言ってほしい。とても気になるから」
「嫌です」
「言いなさい」
「でも……」
「言いなさい」
「”狼”を、見ました。対峙しました……」
「なるほど。だけど察するに、撃てなかったようだね。それはどうしてだかわかるかい?」
「怖かったからです。恐ろしかったからです……」
「正しい感じ方だ」
マオさんは畳んだ新聞をデスクに置いた。
「やはり彼はこの街に戻ってきていたか」
「ひょっとして、朗報、ですか……?」
「そりゃあね。私は彼を追うために生きているんだから」
「そんなことありません!」
わたしは声を荒げた。
「マオさんはわたしと愛し合うために生きているんです!」
「クサいことを言ってくれるね」
「だって!」
「大きな声を出すのはやめなさい」
「だけど!」
「やめなさい」
「怖い声を出さないでくださいよぅ……」
「ごめんね。ただ、やはり朗報だ」
「やっぱり、動かれるんですか……?」
「誰にも彼を殺らせはしない。私が殺めてこそ、初めてこの物語は完結するんだ」
「……考え過ぎです」
「そんなことはあり得ない」
ジリリリリとデスクの上の黒電話が唸りって、マオさんは速やかに受話器を手にした。
「ええ。ええ、はい。ええ。承知しました。わざわざ連絡していただき、ありがとうございます」
受話器を戻したマオさんである。
「誰からですか……?」
「ミン刑事からだ。女性の死体があがったらしい。場所はアパートの一室。喉元を掻っ切られて、部屋の真ん中に転がっていたそうだ」
「”狼”の仕業だと?」
「なんとも言えないね。今更、彼が、ヒトを殺したがっているようには思えない。それでも殺したのだとすると」
「だとすると……?」
「それは単なるヒマつぶしだ」
「そんな理由でヒトを殺すんですか?」
「何せ、”狼”だからね。彼は常にヒトの考えの斜め上をゆく」
「現場に?」
「ああ。向かってみよう。正直、その必要性は皆無だとも考えるんだけれど」
「マオさん、わたし……」
「うん?」
「わたしは、その……」
近付いてきたマオさんが、わたしの頭をくしゃくしゃと撫でた。
「何も気に病むことはない」
「ですけど、わたしは、どうしても、マオさんを守りたくて……」
「その言い分は的外れだよ。守る立場にいるのは、私なんだからね。まあ、正直に言うと、そんな真似をすることも、そんなことに気を配ることも、もはや不要なんだけど」
「”狼”の狙いは、あくまでも……」
「そうだ。ターゲットは私しかいない」
「怖いです……」
「それはもうわかったよ」
「違います。万一にもマオさんを失ってしまうことになったらって思うと、わたしは……」
「顔を上げなさい。私は精一杯、頑張るつもりだから」




