38.『”狼”の帰還』 38-1
誰かとの擦れ違いざま、「やあ」と声を掛けられた。途端、ぞくっとして、背筋を冷たいものが滑り落ちた。
しばらく立ち止まったまま、動けずにいたけれど、それではいけないと振り返った。白い長髪をポニーテルに結い、真っ白なロングコートを着た男は、その派手さに似つかわしくなく、驚くほど街に溶け込んでいた。愛想のいい主人から肉まんを受け取り、こちらに背を向け、歩きゆく。
わたしは「待ちなさい!」と声を上げ、紛れもない、間違えようもない”狼”に銃を向けた。驚いたであろう市民らは脇にどき、ばっと道がひらける。
彼は、”狼”は、ゆっくりと振り返った。場違いなほど無防備に、無邪気に、肉まんを頬張っている。
「君の姿に見覚えがあるから、やあと挨拶をした。何か不満かな?」
その声、食えない台詞を聞いて、なおさら背筋がぞくっとした。本物だ。見紛うはずもない。やっぱり”狼”だ。
「撃てばいい。命中するとは言わないけれど」
トリガーを引こうにも、右の人差し指が震える。撃ちたい。撃ってやりたい。だけど、指は思った通りに動かなくて。
「名前は? 聞いたような覚えがある。だけど、忘れてしまったよ」
「メイヤよ。メイヤ・ガブリエルソン」
「そうだ、そうだ。メイヤだったね」
「この街に戻っていたのね」
「君のご主人様、マオは元気かな?」
「元気よ。おかげさまで」
「強いね。やっぱり、強い言葉を吐くんだね」
「殺してあげる。いいえ。殺してやる。そしたらもう、マオさんが貴方を追う必要はなくなるんだから」
「でもね、宿命なんだよ」
「宿命?」
「そう、宿命だ。僕と彼との出会いは、誰にも邪魔することは出来ない」
「いずれ、戦うの?」
「その時はもう近い。いい加減、僕は彼を殺したい」
「そう考えるのは、どうして?」
「理屈じゃないんだ。だから君にはわからないよ」
「手を上げて」
「断るよ」
「お願い。手を上げて」
「お願いされると弱いな。だけど僕は止まらない。彼を殺るまで止まらない」
”狼”は去りゆく。身を翻し、きっとやっぱり肉まんを頬張りながら、向こうへと歩いてゆくのだ。
脚が、がたがたと震えていることに初めて気が付いた。立っていられなくなって、へたり込んだ。涙が溢れた。わーんわーんと大声を上げて泣きたくなった。認めるしかない。とてつもないスケール感だ。まるで格が違う。
両手で構えていた拳銃を落とし、わたしは顔を両手で覆った。
何故だろう。
ううん、その理由はわかっている。
とにかく涙が止まらなかった。
止めないとと思っていても、止まらなかった。




