34.『姿勢は変わらず』 34-1
朝。事務所にて。
どこでも寝ることが出来るという特技を持っているマオさんは、まだデスクの上に突っ伏して眠っている。やがて目が覚めたようで、まぶたをこすりながら、部屋を見渡したようだった。
「今、コーヒーを淹れますね? トーストも焼いて差し上げます」
「そうしてもらえると非常にありがたいな」
マオさんが客人用の二人掛け腰をおろした。ここに帰ってきてから、彼がソファに座るのは初めてだ。
「うん。ちょうどいい反発だね。深い緑色を選んだことにもセンスの良さが窺える。だけど、値がはったんじゃないのかい?」
「はい。海外から取り寄せてもらったものですから」
わたしはトーストがのった皿をテーブルに置き、それからコーヒーカップも彼の前に差し出した。
「眠いなあ」
「働きすぎたからですよ」
「そうとも言えない。”狼”を追い詰めるにあたっては、空振りばかりだったからね。彼と鬼ごっこをしているわけだけれど、私は鬼をやるには不十分なのかもしれない」
「弱気な台詞ですね」
「そう述べたくもなるんだよ」
「”狼”の件、これからどうされるおつもりなんですか?」
「彼が自由にやっている限り、こちらは受動的に動くしかない。だから、なんらかのかたちで情報がもたらされることを祈るしかない」
トーストをかじったマオさんである。わたしも大きく口を開け、それに倣った。
「ところでマオさん」
「なんだい?」
「提案したいことが二つ、それに報告したいこと一つがあります」
「提案から聞こうか」
「髪を切りにいきませんか」
「賛成だ。汚いくらいに伸びっぱなしだからね。で、次の提案は?」
「玄関の戸に貼り付けてあるプレートを変えようと思うんです。『ガブリエルソン探偵事務所』から『マオ探偵事務所に』に」
「その必要はないよ。実際、幾つも案件をこなしたから、今の君があるんだろう?」
「それはそうかもしれませんけれど」
「私は助手でいい。君が主をやりなさい」
「ちょっとしたプレッシャーを感じます」
「私に必要とされた折には手を貸すよ」
「わかりました。では、最後に報告を」
「うん」
「大切なボルサリーノを失ってしまいました」
「それは止むを得ないことだ。なんてったって君は『虎』の連中にとっつかまってしまったわけだから」
「それはそうですけれど、わたしが捕らえられた場所に落ちている可能性はありませんか?」
「望み薄だね。誰かが拾って、中古品として『帽子屋』に持っていくんじゃないかな。あれは品がいいから」
「帽子がないと画竜点睛を欠きます」
「慣れなさい」




