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32-2

 何が起きたのか、また何が起きているのかは、皆目、見当がつかないのだけれど、事務所にはすんなり戻れた。蛍光灯をつけ、ポールハンガーにジャケットを掛けつつ、ミカミに対して「座って」と伝えた。「ほな、遠慮なく」と言い、客人用の二人掛けに、どっかりと腰をおろした彼である。


「メイヤちゃん、コーヒー、淹れてくれるかあ?」

「はいはい。わかってるわよ」


 とまで答えたところで、「あれ? わたしはどうしてミカミに対して優しいのかしら?」という疑問に駆られた。むぅと口を尖らせる。まあ、彼のように豪胆な男は嫌いじゃないけれど。かといって、マオさんとは比べようもないのだけれど。


「おぉ、イケるやんけ」

「インスタントよ」

「べっぴんさんに出されると、なんでも美味いっちゅうこっちゃ」

「ああ、そう、ありがとう。で、話って何?」


 ミカミは両肘をそれぞれの膝につき、前屈みになった。見たことがない真剣な表情をしている。灯りに照らされ、両の耳たぶに付けているボディピアスがぎらりと瞬いた。


「何から話したもんかね」

「シーケンシャルに話して」

「そうさせてもらおか。実はな、一週間前に、『フー』のトップがすげ替えに遭ったんやわ」

「そうなの?」

「ああ。以前は好々爺が元締めやったんやが、クーデターが起きてな。その若造が執行部はおろか、何から何まで牛耳ってしもたんや」

「その若造とやらの名は?」

「ジュン・サクライ。日系さんらしいわ」

「アンタんとこの組織、すなわち『グウェイ・レン』はどうしたの?」

「っちゅうと?」

「そのサクライとやらに尻尾を振るのかって訊いているの」

「お生憎様。『虎』の直参からは、とっとと抜けさせてもろたわ」

「抜けた? それで良かったの?」

「執行部に入れてやるかわりに、上納金を、倍、納めろっちゅうんや。阿保抜かせって話や。何が悲しくて、ワシともあろうニンゲンが、若造相手にデカい金をこしらえたらなあかんねん」

「今度は貴方がクーデターを起こしてやれば?」

「無理やな。現実的に見て、向こうさんとこっちの戦力差は大きいさかい」

「それで、わたしが逃げ回らなくちゃならなかったのは、どういうこと?」

「サクライはどんな小さな芽でも刈り取るつもりらしくてな。シノギの邪魔するニンゲンかて、ターゲットやってことや」

「わたしの名は売れちゃってるってことね?」

「裏社会ではメイヤちゃんって、それなりに有名なんやぞ? せやさかい、狙われるのも当然や」

「そう言う貴方のほうこそ危ないんじゃないの? 親を裏切って、ただで済むわけがないでしょう?」

「それは止むを得んわな。せやけど、気に食わんもんは気に食わん。前に言うたやろ? ワシは自由でありたいこそ極道になったって。その信念だけは変わらんし、曲げようもないわ」

「自衛をはかるためにも、おとものニンゲンくらいつけるべきだと思うけど」

「んなもん、要らん要らん。なんちゅうたかて、俺は、ミカミ・カズヤなんやさかいな」

「よくわからない理屈ね」


 ミカミはソファにのけぞると、両腕を背もたれの上に広げた。偉そうな態度だけれど、それほど不快感は覚えない。彼の立ち居振る舞いにはスケールの大きさがある。その肝の太さは、やっぱり好みだ。


「で、どないする、メイヤちゃん。はっきり言って、この事務所も近いうちに危険地帯になってまうぞ?」

「だからといって、誰かの世話になるのは、ごめんだわ」

「まあ、メイヤちゃんなら、そないなふうに言うとはおもてたがな。とはいえや。鉄砲持ってわんさか来られたら、防ぎようがないやろう?」

「そうね。その点は認める。人海戦術を用いられたら、どうにもならない」

「せやからやな、ウチにこぉへんかって提案したいわけや」

「極道になれっていうの?」

「そうやない。当面の避難場所として、ウチの事務所を選んだらどうやって話や」

「うーん……」

「悩んだところで始まらん。たまにはヒトに甘えるのもアリやと思うで?」

「わかったわ。しばらくは、アンタのとこの下っ端に弾よけになってもらうことにする。で、いくら払えばいいの?」

「俺とメイヤちゃんの仲やないか。金取ろうなんておもてへんわ」

「今から向かったほうがいい?」

「そらそうや。いつ攻め込まれるかわからんさかいな」

「了解。じゃあ、行きましょうか」

「夜遅くに、すまんな」

「貴方が謝ることじゃないわよ」


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