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31-2

 階段をのぼり、廊下に出ると、我が事務所のインターフォンを鳴らそうとしているミン刑事と鉢合わせになった。彼はこちらを向くなり、「メイヤ、どうしたんだ、その髪……」と目を大きくした。


「切っちゃいました」

「切っちゃいましたって、おまえ……」

「長い髪のほうが好みでしたか?」

「そうは言わん。ただただびっくりしているんだよ」

「似合ってますか?」

「まあな。似合ってるわな」

「クールでしょう?」

「クールだな」

「超クールですか?」


 わたしがそう言うと、ミン刑事は笑った。


「ああ。超クールだよ」



 事務所に通し、ソファについたミン刑事にコーヒーを振る舞った。わたしは彼の正面に座り、取り払ったボルサリーノをテーブルに置いた。


「女は化けるな。髪を切ったってだけで化ける」

「個人的には大人っぽくなったなあと思ってるんですけれど」

「なったよ。つーか、まるでモデルみてーだ」

「パリコレにだって出られますか?」

「俺がデザイナーなら間違いなく起用する」

「身なりに無頓着なミン刑事にそう言われても」

「説得力はないってか?」

「はい」

「ま、そうだわな」

「ところで、仕事の話ですか?」

「そのつもりだったんだが、なんだか、んなもん、どうでもよくなっちまったよ」

「そうおっしゃらずに」


 ぼさぼさの頭をぼりぼりと掻いたミン刑事である。でも、仕事モードの顔はしていない。柔和な表情を浮かべたままだ。


「新聞でもニュースでもやっていたと思うが、一昨日と昨日、殺人事件が起きた」

「新聞でもニュースでも見ました。一昨日と昨日の件とも、アパートで一人暮らしをしていた女性が殺害されたとの話でしたね」

「ああ。喉元を掻っ切られて殺されていた。揃って死亡推定時刻は十九時頃。いずれもベランダのガラス戸が破られていた。ガムテープを貼って音が出ないよう工夫がなされた上でな。不在時を狙って侵入し、部屋で家主の帰りを待ち構えていたものと推測される」

「そして二件とも、窓には赤い手形が残されていた」


 赤い手形。要するに、殺害後、加害者は被害者の血液を付着させた手で窓に触れたということだ。この点は過去、街に恐怖をもたらした殺人犯、すなわち”狼”とあだ名される人物が取った行動と類似している。


 わたしはコーヒーを一口飲み、カップをソーサーに戻した。


「なんでも、手形は手袋を使用した状態で付けられたそうですね」

「ああ。俺達警察はありのままを公表した。これまでに得られた手掛かりと経験則から、”狼”が犯人じゃないと判断したんだ」

「その言い様からすると、どこかからか疑惑の目を向けられているということですね?」

「マスコミから突かれてるよ。やっこさんはやり口を変えただけなんじゃないかってな。市民からもそういった問い合わせが引っ切り無しに寄せられている」

「まあ、彼がこの街で演じた跳梁跋扈はあまりにドラスティックなものでしたからね。人々が不安がるのもわかる話です」

「どうしても漏らせない情報ってのが一つあってだな」

「それってなんですか?」

「二件とも、現場に長い白い髪が落ちていたんだよ。それだきゃリークできない。そんな真似をしちまったら、いよいよこの街は騒がしくなっちまう」

「”狼”が起こした事件の現場に髪の毛が残されているようなことはありませんでしたよね」

「それは偶然だろう。俺はそう思う」

「そもそも、ミン刑事をはじめとする警察のかたがたが、”狼”が犯人だと断定しない根拠はなんですか?」

「それは確認の意味で言っているのか?」

「はい」

「根拠は二つある」

「一つ目は?」

「”狼”なら手袋を使うだなんてまどろっこしい真似は絶対にしない」

「それこそ、経験則からそう言えるわけですね?」

「ああ」

「じゃあ、二つ目は?」

「”狼”がカムバックしたってんなら、マオのヤツがワンセットになってなきゃおかしい」

「そうなりますね」

「マオほどの男が追い掛けているんだ。やっこさんがとちって”狼”に殺されたなんてまず考えられん。今でも血眼になってあとを辿っているはずだ」

「でも、マオさんは一人で”狼”をるつもりでいます」

「戻ってきていたとしても、俺達にゃ顔を見せないってのか?」

「ええ」

「そんな薄情な男かね」

「マオさんならあり得ますよ」


 ミン刑事が腕を組んで長い吐息をついた。気分を入れかえるような仕草に見えた。


「話を今回の二件に戻そう。俺はやはり”狼”の仕業じゃないと踏んでいる」

「なんだかんだ言っても、わたしも同意見ですよ」

「手袋をはめていたとはいえ、手形を残している。そして白い髪。模倣犯であることは言うまでもない」

「それ以外にあり得ないでしょう。ですけど、現時点で手袋の手形と白い髪の毛という手掛かりしかない以上、犯人が男性であるか女性であるかもわからない」

「そういうことだ。そんな暗中模索の中にあって、一つ疑問がある」

「というと?」

「二件とも殺されたのは独り身の女だ。でもって、いずれも不在時に侵入されている。犯人はそういった情報をどこで仕入れたのかね」

「最も有力なのは、被害者は犯人の友人だったという線です」

「だわな。知り合いなら行動パターンを知っていてもおかしくない」

「とはいえ、重要なのは結果であって、手段ではないと思いますけれど」

「それでも疑問については一定の回答を有しておきたいってもんだ」

「そういうことであれば、もう一案、提示しておきますね」

「もう一案?」

「ええ。被害者とは面識がないニンゲンでも、一人暮らしの女性を見付けることは可能なんです。まあ、正確には、高確率で特定できるという言い方が正しいのですけれど」

「私見か?」

「いえ。以前、マオさんから教えていただいたことです」

「やっこさんはどんな見解を述べたんだ?」

「新聞です」

「新聞?」

「はい。どこの家でも新聞はとるでしょう? でも、例外的に取らないであろうニンゲンもいるということです」

「なるほど。独り身だってんなら、そのケースも考えられるわな」

「はい。しかも、その比率は女性のほうが高いように思われます。トーストをかじりながら、朝から新聞を広げる女性なんて、そうそう想像もつかないでしょう?」

「異議はない」

「早朝、朝刊が配達された直後を狙って、アパートの各部屋の郵便受けを確認すれば済むことです。新聞がささっていない部屋を見付けた上で、学校、あるいは仕事に出たであろう頃合いを見計らってまた訪れ、インターフォンを鳴らす」

「確かにその手法なら成功しそうだ。だが、万一、家人が顔を出した場合はどうするんだ?」

「簡単です。それこそ、新聞の勧誘員でも名乗ればいいんです」

「言わずもがな、そうなるか。わかったよ。合点がいった」

「マオさんは誰にでも思い付く手口だろうとおっしゃられていました」

「そうは思えんな。ある程度、頭の回るヤツじゃなけりゃまず無理だ」

「わたしが申し上げられることは以上ですね。犯人逮捕に繋がるような意見は何一つとして挙げられませんでしたけれど」

「それでも、いい勉強にはなったよ」

「とにもかくにも、被疑者をとっつかまえるしかありません。警察が対症療法しかできない組織であろうと、なんとかするしかない。僥倖に出くわすことを祈りましょう」


 ソファから腰を上げたミン刑事は「何かわかったらまた連絡する」と言い、わたしに見送られ、事務所から立ち去ったのだった。


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