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29-5

 一週間が過ぎた頃、コウエン氏が我が事務所を訪れた。離婚はすんなりと成立したらしい。奥様は「お金は不要です」と慰謝料を断ったとのこと。それでも彼は「支払う」と訴えたそうだけれど、「お互い、これらも頑張って生きましょう」ということで話でまとまったらしい。


「住まいだけは残してきました。どなたかの愛の巣になれば幸いです」


 コウエン氏のその言葉には割り切った感が窺えた。またさっぱりした顔をしているようにも感じられた。


「それじゃあ早速、今夜、くだんのホールを訪れましょうか」

「えっ、今夜、ですか?」

「まごついていたって始まりませんよ。それはわたしの性分ですし、モットーでもあります」

「でも、どうやって会えば……」

「だから、出待ちですよ、出待ち。裏口を張るんです」

「上手くいくでしょうか?」

「腹を括ってください。どう転んでも、それはしょうがないことですから」

「そうですね。わかりました」



 表のネオンが非常に煌びやかな、大きな建物だった。無論、わたしは知っている。パトロールのさいちゅうに何度も前を通りがかったことがあるからだ。


 入店。


 ホールも広い。客の入りは上々。だから、最前列の席は取れない。それでもいくらか握らせれば席を譲ってもらえるだろう。だからわたしはそう進言したのだけれど、コウエン氏は「ここでいいんです」と答えたのだ。隅に座る。


 やがて「出てきました。彼女です」と、コウエン氏は恥ずかしそうに言った。


 キラキラのスパンコールがちりばめられたドレス。少しばかり派手なメイク。半裸の女性は棒に絡みつくようにして鮮やかな技を次々に披露する。ポールダンスは幾度か目にしたことがあるのだけれど、まだ若いと見える彼女は上手だった。


 隣のコウエン氏に目をやる。彼はわたしに見られていることにも気付かない様子で、眩しそうにステージを眺めている。「綺麗ですね」と言うと、「そうなんです。とても綺麗なんです」という返答があった。心を奪われているようだ。


 ダンサーが引き揚げた。わたしは腰を上げるとともに「じゃあ、行きましょうか」と言った。「き、緊張するなあ」とこぼしながら、コウエン氏も立ち上がった。


 ホールを出て、路地に面した裏口へ。しばらく待っていると、ドアから目当ての女性が現れた。茶色いコートを羽織っている。地味な服装だなと感じた。


 建物の陰から路地を覗いているわたしは、「ほらほら、出てきましたよ」とコウエン氏に伝えた。彼は、「メ、メイヤさん、やっぱりやめましょう」などと弱音を吐く。


「腹は括ったんでしょう?」

「で、でも、いざとなると……」

「男気を見せてください」

「それは無理というかなんというか…」

「んもうっ!」


 短気なわたしは情けないことを言うコウエン氏に代わり、女性の前にばっと飛び出した。彼女はびくっと体を跳ねさせ、ビックリしたように目を大きくした。続いて身を引いて見せた。頬の傷も怯えさせるにあたり一役買っていることだろう。


 メイクを落とした彼女は驚くほど幼く見えた。十代なのではないか。まだまだ警戒心はとけないようで、おっかなびっくりといった感じでこちらを見てくる。


「あ、あの、貴女はどちらさまですか……?」

「名乗るほどの者ではありません。ちょっ用事がありまして」

「用事?」


 わたしは首を捻って後方を向き、「コウエンさん、コウエンさん、とっとといらしてください」と声を掛けた。すると、申し訳なさそうに、うつむきながら姿を見せた彼である。


「こちらの男性なんですけれど、貴女のことが好きみたいです」

「えっ」

「メ、メイヤさん。いくらなんでもいきなりすぎます」

「いいえ。ここは率直にずばっと言わないと」


 女性は「そうなん、ですか……」と下を向いた。恥ずかしそうな気配はない。照れ臭そうな様子もない。突然、コウエン氏が「あ、あ、あのっ!」と、どもりながら声を発した。思わずといった感じで、「は、はいっ!」と彼女は返事をした。


「お、お若いんですね。歳はおいくつなんですか?」

「十八です」

「十八ですか……」

「あの」

「は、はいっ」

「本当に私のことが好きなんですか?」

「それはまあ、そうでして……」

「いつもホールの隅でご覧になっていますよね?」

「えっ、お気付きだったんですか?」

「ステージからは客席が良く見えるんです」

「そうなんですか……」

「はい」


 女性、もといまだまだ少女だなと評価を改めつつ、わたしは内心「あちゃあ」と思った。歳の差は歴然だ。こりゃダメかもなあと頭を掻きむしりたくもなる。なんとも可愛らしい少女に、冴えないコウエン氏は釣り合わないなあとも感じさせられた。だけど、例えばわたしとマオさんだって一回りも違う。諦めるのはまだ早いだろう。


「そ、そ、それでも好きです。好きなんです」


 コウエン氏のまっすぐな告白に対し、少女はようやく頬を緩めて見せた。


「お気持ちはとても嬉しいです。だけど、今、私は誰ともお付き合いするつもりはないんです」

「な、何か理由があるんですか?」

「肺の病気を患って、父が入院しているんです」


 わたしは「なるほど」と唸った。要するに、少女は入院費用を捻出するために派手なメイクをして、露出の多いドレスを着て、ダンサーをやっているのだ。日中、商店に勤めるより、夜の仕事の方がだいぶん高給である。生真面目そうな少女だ。ひょっとしたら、昼間も働きに出ているのかもしれない。


 コウエン氏は「そういうことだったんですか……」と沈んだ声を出した。「そういうことなんです……」と少女は苦笑じみた表情を浮かべた。


「でも、良かったです。好きと言っていただけて。勇気が出てきました」

「なんのお力にもなれず、申し訳ない」

「ですから、そんなことありませんよ」

「最後にその、握手をしていただいても……?」


 少女は快くそれに応じた。そして言った。


「最後だなんて言わないでください。できることなら、またこうしてお会いしたいです。その時には、何か美味しいものを奢ってくださいね?」


 悪戯っぽい少女の顔、口調。すると、ようやく緊張もほぐれたようで、「なんでも御馳走しますよ」とコウエン氏は笑ったのだった。


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