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29-2

 訪ねて来た男性はまだ若い。二十半ばから後半といった見た目である。背は低く、痩せ型。頼りない印象を受ける。例によって頬の傷については、ぎょっとした目を向けられた。わたしは気にすることなく来客用のソファに彼を促し、コーヒーを淹れた。消えゆくような小さな声で、「ありがとうございます……」と謝辞を述べられた。


「ご依頼ですか?」

「ええ。その、ご相談してもよろしいでしょうか……?」

「相談にのるだけなら出来ます。ですけど、お力になれるかどうかはわかりません」

「貴女はプロではないんですか?」

「プロだからこそ、正直に申し上げているんです」

「そうですか……」

「はい」

「あの……」

「なんでしょう?」

「好きな女性がいまして…」

「でしたら、想いを告げれば済む話だと思いますけれど」

「簡単におっしゃいますね」


 男性の表情は、苦笑を帯びたものになった。


「何か告白できない理由でもあるんですか?」

「彼女は遠い世界にいるんです。私の手の届かないところに……」

「華やかな職にでも就いていらっしゃるんですか?」

「はい。大きなホールでポールダンスをやっていて……」

「へぇ。ポールダンス」


 ポールダンサーを生業としている女性が華やかな世界にいると言えるのだろうか。そのへん、ちょっと疑問だけれど、依頼人はとにかく大人しそうな男なのだ。カタギ中のカタギに見える。だから、彼が手の届かないところにいると言うのも、わからない話ではない。


「だけど、告白すること自体は不可能なことじゃないでしょう?」

「そうかもしれませんけれど……」

「個人的に会ったことは一度もない?」

「はい」

「じゃあ、出待ちしてみるとか」

「嫌われたらどうしようと思うから、そんな勇気もなくって……」

「嫌われるも何もありませんよ。相手は貴方のことすらろくに知らないんでしょう?」

「そうですね。でも、毎日、訪れるようにはしています」

「毎日ですか? それじゃあお金がかかって大変では?」

「そうなんですけれど、どうしようもないというか……」

「まあ、お金を何につぎ込もうが貴方の勝手ではありますね」

「でも、女房には迷惑をかけています」

「えっ、奥様がいらっしゃるんですか?」

「まあ、はい…」

「だとすると、あまりに不誠実ではありませんか」


 わたしはぷんすか怒った。


「その通りです。でも、本当のことを伝えないのは、それこそ不誠実ではないかと考えまして……」

「事実を話したんですね?」

「はい…」

「奥様の反応は?」

「いつも泣きます……」

「止むを得ないでしょうね」

「そうですよね……」

「貴方に見捨てられてしまったら、奥様は出戻りになってしまう。そのつらさは理解できますか?」

「勿論です」

「でも、もう引き返せないんですね?」

「引き返せないところまで来てしまっていると思います」

「わかりました。とりあえず、まずは奥様に会わせていただけますか?」

「女房に、ですか?」

「いつも泣いていらっしゃるんでしょう? 奥様の想いが確かなのだとすれば、わたしは何があっても貴方を説得しなければなりません」

「無理だと思いますけれど……」

「貴方のお名前は?」

「コウエンと申します」


 わたしは腰を上げ、ソファの脇に立った。「では、コウエンさん、ちょっとこっちにいらしてください」と呼び掛けた。


「な、なんでしょうか?」

「いいから、来てください」


 コウエン氏が目の前に立った。わたしはそこらの男性より背が高い。だから、彼のことも見下ろす格好になった。


「目を閉じてください」

「えっ」

「開けたままでいたければ、それで結構です」


 わたしはコウエン氏の頬を平手で引っぱたいたのだった。


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