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訪ねて来た男性はまだ若い。二十半ばから後半といった見た目である。背は低く、痩せ型。頼りない印象を受ける。例によって頬の傷については、ぎょっとした目を向けられた。わたしは気にすることなく来客用のソファに彼を促し、コーヒーを淹れた。消えゆくような小さな声で、「ありがとうございます……」と謝辞を述べられた。
「ご依頼ですか?」
「ええ。その、ご相談してもよろしいでしょうか……?」
「相談にのるだけなら出来ます。ですけど、お力になれるかどうかはわかりません」
「貴女はプロではないんですか?」
「プロだからこそ、正直に申し上げているんです」
「そうですか……」
「はい」
「あの……」
「なんでしょう?」
「好きな女性がいまして…」
「でしたら、想いを告げれば済む話だと思いますけれど」
「簡単におっしゃいますね」
男性の表情は、苦笑を帯びたものになった。
「何か告白できない理由でもあるんですか?」
「彼女は遠い世界にいるんです。私の手の届かないところに……」
「華やかな職にでも就いていらっしゃるんですか?」
「はい。大きなホールでポールダンスをやっていて……」
「へぇ。ポールダンス」
ポールダンサーを生業としている女性が華やかな世界にいると言えるのだろうか。そのへん、ちょっと疑問だけれど、依頼人はとにかく大人しそうな男なのだ。カタギ中のカタギに見える。だから、彼が手の届かないところにいると言うのも、わからない話ではない。
「だけど、告白すること自体は不可能なことじゃないでしょう?」
「そうかもしれませんけれど……」
「個人的に会ったことは一度もない?」
「はい」
「じゃあ、出待ちしてみるとか」
「嫌われたらどうしようと思うから、そんな勇気もなくって……」
「嫌われるも何もありませんよ。相手は貴方のことすらろくに知らないんでしょう?」
「そうですね。でも、毎日、訪れるようにはしています」
「毎日ですか? それじゃあお金がかかって大変では?」
「そうなんですけれど、どうしようもないというか……」
「まあ、お金を何につぎ込もうが貴方の勝手ではありますね」
「でも、女房には迷惑をかけています」
「えっ、奥様がいらっしゃるんですか?」
「まあ、はい…」
「だとすると、あまりに不誠実ではありませんか」
わたしはぷんすか怒った。
「その通りです。でも、本当のことを伝えないのは、それこそ不誠実ではないかと考えまして……」
「事実を話したんですね?」
「はい…」
「奥様の反応は?」
「いつも泣きます……」
「止むを得ないでしょうね」
「そうですよね……」
「貴方に見捨てられてしまったら、奥様は出戻りになってしまう。そのつらさは理解できますか?」
「勿論です」
「でも、もう引き返せないんですね?」
「引き返せないところまで来てしまっていると思います」
「わかりました。とりあえず、まずは奥様に会わせていただけますか?」
「女房に、ですか?」
「いつも泣いていらっしゃるんでしょう? 奥様の想いが確かなのだとすれば、わたしは何があっても貴方を説得しなければなりません」
「無理だと思いますけれど……」
「貴方のお名前は?」
「コウエンと申します」
わたしは腰を上げ、ソファの脇に立った。「では、コウエンさん、ちょっとこっちにいらしてください」と呼び掛けた。
「な、なんでしょうか?」
「いいから、来てください」
コウエン氏が目の前に立った。わたしはそこらの男性より背が高い。だから、彼のことも見下ろす格好になった。
「目を閉じてください」
「えっ」
「開けたままでいたければ、それで結構です」
わたしはコウエン氏の頬を平手で引っぱたいたのだった。




