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27.『フェイ先生の涙』 27-1

 ある日の正午過ぎ、フェイ先生から呼び出しを受けた。多分、十二時から十三時までは昼休み、すなわち休診時間なのだろうと考えた。実際その通りで、『フェイ・クリニック』を訪れると、待ち合いの場には誰もいなかった。


「フェイ先生、メイヤです」


 そう呼び掛けると、「入っていいぞ」という、ぶっきらぼうな声がした。ビニール製の水色のカーテンを開ける。彼女は今日も値が張りそうな革張りの回転椅子に座り、デスクの上に置かれたノートにぐちゃぐちゃと円を描いていた。


「まあ、座れ」


 わたしは患者用の丸椅子に促された。


「こんにちは」

「ああ」

「フェイ先生から電話を受けると、今でもドキッとしてしまいます」

「おまえは私が苦手なのか?」

「そこまでは言いませんけれど」


 フェイ先生はぐちゃぐちゃと円を描くのをやめると、ふーっと深い吐息をつき、「まいったものだよ」と口にした。


「やっぱり何かお困りごとが?」

「昔の男に言い寄られている」

「昔の男、ですか」

「意外か?」

「正直言って、そうです」

「まだ若い時分、わたしはことのほか性に関して奔放だった」

「そうなんですか?」

「ああ、そうだ。イイ男だというだけで付き合った。見た目が優れているというだけで体を重ね合った。愚かしい話だろう?」

「まあ、わたしからするとそうですね」

「貞操を守り続けるのもどうかとは思うんだがな」

「ほっといてください。それで、ご用件の具体的な内容は?」

「その昔の男のうちの一人が、最近になってここを訪れるようになった」

「先述されたように、復縁を迫ってくるということですね?」

「ああ、そうだ」

「わかる話です。フェイ先生はお美しいですから」

「私自身、過去の男に興味はない。ぶっちゃけてしまうとな、マオに抱かれるようになって、価値観が変わったんだよ」

「そう聞かされると、ちょっと嫉妬してしまいますけれど」

「マオのヤツは滅茶苦茶セックスが上手いんだぞ?」

「やめてください。もっと妬いてしまいますから」

「とにかくだ。その男を私から引っぺがしてもらいたい」

「それほど不愉快な手合いなんですか?」

「ああ。今の私にとっては煩わしくてしょうがない。何度もキツく断っているんだが、それでもやっこさんはまだ私に好かれていると思っている。本当に馬鹿な話だ」

「フェイ先生からの依頼とあれば、承るしかありませんね」

「ほぅ。随分と物分かりがいいな」

「次はいつ、来院してくるんですか?」

「明日だ。朝一でやってくる」

「ですけど、そもそも会うのを拒否すれば済むのでは?」

「会わなければ大声で騒ぎ出すんだ」

「ホント、迷惑な話ですね」

「しかし正直に言うと、私は少し、怯えている」

「わたしなら相手に言い聞かせることが可能だと思われているということですか?」

「おまえがどれだけ腕が立つニンゲンに育ったのか、詳しくは知らん。それでも、おまえならなんとかしてくれるように思うんだ」

「手前味噌な物言いながら、強靭ではあるつもりです。よほどのことがない限りは、そのへんの男性には負けません」

「言っていいか?」

「なんでしょう」

「マオなら引き受けてくれたと思うんだ。ヤツの心の中に、私が入り込む余地はないとしてもな」

「入り込む余地がなかったとは考えません。マオさんはフェイ先生のことを大切にされている。それは間違いありませんよ」

「そう言ってもらえると、まあ、嬉しいな」

「明朝、また伺います」

「そうして欲しい。通常業務には、なるべく穴を空けたくないとも伝えておこう」

「生真面目なことですね」

「私は私なりに、患者のことは大切にしたいのさ」


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