言、九つ。
* * * * *
馬車が到着した先にあったのは豪邸だった。
伯爵家よりも大きく広い屋敷は赤レンガに白い差し色が入り、屋根は暗い藍色に塗られている。正面には三角屋根の四角い玄関があり、左右対称に建物が伸び、しかし左右の円錐状の塔は二階建てと三階建てで高さが違っていた。そのアンバランスさが豪邸の威圧感を緩めてくれているように見える。
玄関前につけた馬車から降りると老齢の執事が出迎えてくれた。
「招待状の御確認をさせていただきます」
「はい」
カーラさんが取り出した招待状を執事に渡す。
執事はサッと確認するとそれをカーラさんへ返した。
「ようこそ、お越しくださいました。ローブは此方でお預かりしておりますので、御入用の際は声をおかけください。……それでは御案内致します。どうぞ、此方へ」
玄関ホールで脱いだローブを他に控えていたメイドに渡す。
歩き出した執事の後に続いて屋敷の中を歩く。
屋敷は絢爛豪華とまではいかないまでも、かなり豪奢な造りだった。そこかしこに調度品が並び、絵画が飾られ、壁や柱には彫刻が施されている。
今回、お茶会に招かれた先はウィットフォード侯爵家である。
当主のウィットフォード卿は謹厳実直な人柄で女王陛下の信の厚い忠臣だという。
そして今日わたしを招いたのが卿の奥方のウィットフィード侯爵夫人だ。
「いらっしゃい。寒い中、来てくださってありがとう」
案内された場所は大きな窓のあるサロンだった。
室内には至る所に植物が配置され、まるで外でお茶をしているような気分になる。
椅子を立って歩み寄って来る夫人にわたしも歩み寄る。
「セラフィーナ・シヴァ=ソークと申します。こちらこそ、お誘いくださりありがとうございます。この国の礼儀作法はまだ拙いですが、皆様とのお茶会の中で淑女の心構えやお作法などを教えていただけたらと思い、参りました」
「ユミエラ・ユール=デランドよ。小さなお茶会ですもの。そんなに作法に厳しい方はいないから、楽しんで行ってちょうだい。さあさあ、此方へおかけになって?」
ユミエラ・ユール=デランド。ウィットフォード侯爵夫人だ。
花柄のオシャレなドレスを身に纏う。リボンやレースが控えめなのは普段着だからか、元々そういう装飾をあまり好まないのか、どちらにせよ比較的シンプルなドレスはよく似合っていた。
勧められた椅子に座るとわたしと侯爵夫人とは別に二人ほど、女性が席についていた。
一人は私よりかは幾分年上そうな女性、もう一人は侯爵夫人より少し年下だろう女性だ。二人は丸テーブルに並んで座っており、その顔は年齢の差があれど、非常によく似たものだった。
そこに侯爵夫人も加わって四人でテーブルを囲む。
「此方は私の従兄妹のサリーナとその娘のヴィヴィアよ」
「初めましてサリーナ様、ヴィヴィア様、セラフィーナ・シヴァ=ソークと申します。今日はどうぞよろしくお願い致します」
椅子の上なので上半身を浅く傾けて礼の代わりとする。
互いに簡単な挨拶をしながらも目の前の三人を観察させてもらう。
ユミエラ様は美しい女性だが、頬がややこけており、全体的に随分と細身である。恐らく薬の影響で体重が落ちているのだろう。『幸福』が麻薬などと同じ類のものであれば食欲が消えるので妙な痩せ方をするのだ。骨と皮とは言わないが健康的な痩せ方でないのは一目瞭然だ。
次に従兄妹だというサリーナ様。ユミエラ様と同年代か一つ、二つ下だろう。言われてみればユミエラ様にどことなく似ており、こちらもまた細い。むしろサリーナ様の方が痩せていた。身長に対して体の厚みも薄く、腰も細い。
最後にサリーナ様の娘のヴィヴィア様。前の二人に比べると健康的な体型だが、それでも痩せている。頬がこけ始めているところを見るに、薬を使用していたとしても初期段階だろう。年齢はわたしとそう変わらないくらいだ。
なるほど、薬を使っている者だけで固めたお茶会か。
これは完全にわたしを取り込む気でいるな。
世間話をしていると、不意にヴィヴィア様と目が合った。
「セラフィーナ様は髪も肌の色も全く違うわね。異国の方とお聞きしましたけれど、どうしてこの国へいらしたの? 家の事業か何か?」
「ヴィヴィア」
年頃の少女にありがちな好奇心に目を輝かせてヴィヴィア様に問われる。
それをサリーナ様が止めようと窘めたがわたしは首を振って答えた。
「いいえ、わたくしは双子の兄と共に故郷から攫われてこの国へ来たのです。何とか監視の目を潜って逃げ出したところを幸運にもクロード様に保護していただけたのです」
「まあ、そうなの? 大変だったのね」
「そうかもしれません。ですがクロード様はわたくしにも兄にも大変良くしてくださって、体の弱いわたくしがゆっくりと静養出来るようにと色々と計らってくださいました。お蔭でこの国の気候にも慣れ、こうして王都へ戻ることも叶いました」
感謝の気持ちを滲ませた声音で語るとヴィヴィア様の目がキラリと光る。
「アルマン卿のことがお好きなのね」
女性は何歳になっても恋愛事に興味があるものだ。
特に若い時ほど敏感になる。
「……ええ、あれほど良くしていただいて想わずにいられましょうか?」
頬に手を当てて気恥ずかしげに頷く。
丁度わたしの横に座っているヴィヴィア様が椅子ごと体を寄せて来る。
その輝く瞳は恋愛の話がしたい、もっと聞きたいと如実に語っている。
それにユミエラ様とサリーナ様は苦笑しつつも止めなかった。何だかんだ興味があるのか、それともわたしに付け入る余地があるかどうか見極めたいのか。
紅茶を一口飲んで唇と舌を湿らせる。
ココからの演技では舌を噛んだりどもってしまってはダメだ。
「どこまで進んでいらっしゃるの? もう恋仲にはなった?」
「い、いえ、恥ずかしくて想いはまだ伝えておりませんの。でも、クロード様が夜会のためにドレスを贈ってくださるとおっしゃって、その、その夜会でのパートナーとして出て欲しいと……」
両頬を抑えて少し顔を俯ける。
こうすると目尻に差した紅がよく見えて、照れているように見えるだろう。
「まあまあ! それはもうアルマン卿もセラフィーナ様と同じ想いということではございませんか! 貴族で両想いの結婚なんて珍しいもの。とっても素敵だわ!」
それからは「アルマン卿のどこがお好きなの?」「想い始めたのは何時頃?」「そのドレスも贈っていただいたものかしら?」と矢継ぎ早に質問が繰り出される。
それら全てに気恥ずかしいけれど、嬉しさが隠せない様子で答えていく。
時々ユミエラ様やサリーナ様からも聞かれたが、ヴィヴィア様の恋愛に関する質問と違ってこちらの心情を探るようなものだった。困ったことはないか、家族を思い出して辛くはないかという内容なのはどこかで薬について話すタイミングを見計らっているのだろう。
二時間ほど話に花を咲かせていたので、そろそろその機会を与えても不自然ではない。
わたしは少し俯いて目を伏せ、ティーカップを持つ手を下ろす。
「でも、クロード様は言葉に出してはくださらないのです。それに、クロード様は王家の血筋を引く高貴なお方。わたくしのような他国の者との結婚を女王陛下がお許しくださるかどうか……。もしも『釣り合わぬ』と断られたらと思うと、わたくし、不安で……」
声を震わせながら手で顔を覆う。
涙を流すことまではしないが、手の内側で欠伸を零して瞳を潤ませる。
女優のように涙を流すことは出来ないけれど、何時でも好きな時に欠伸を出せるので、涙に潤んだ瞳くらいはわたしでも作ることが出来る。あまりやり過ぎると本当に眠くなってしまうのが難点だが。
俯いたわたしの背をユミエラ様がそっと擦る。
「同じ国の貴族同士でも結婚は色々とありますもの。異国の方ともなれば尚更難しくなりますわね……。アルマン卿もまだお若いのでそこまで考えていらっしゃらないのかもしれないわ」
「そんな……」
慰めているように聞こえるが、その内容はむしろ不安を煽るものだった。
泣きそうな顔を意識して両手から顔を上げれば、痛ましげにわたしを見る三人が視界に映る。
「好いた方と良い雰囲気なのに、言葉にしてもらえないのは女として辛いでしょう。その不安や苦しみをアルマン卿にお伝えすることは出来ませんの?」
サリーナ様が気を利かせて新しい紅茶をメイドに淹れさせてくれた。
その問いかけに首を振る。
「……それで嫌われたらと考えただけで、言い出せなくなってしまうのです……」
「結婚を急かすはしたない女だなんて思われたくないものね」
「はい……。今までは何とか心を落ち着けようと努力していたのですが、近頃はそれも上手くいかず、食事もあまり口に出来なくてクロード様にも御心配をおかけしてしまって申し訳なくて……」
目を閉じると溜まっていた涙がほろりと落ちる。
それに驚き、慌てて涙を拭う仕草をすればヴィヴィア様がそっとわたしの手に触れた。
そうしてわたしの手を自分の両手で包み、引き寄せる。
「とても苦しい思いをしてるのね。ねえ、伯母様、セラフィーナ様にもあれを差し上げては如何かしら?」
――――……来た。
「そうね。セラフィーナさん、ちょっと待っていてくださいな」
そう声をかけ、ユミエラ様が席を立つ。
わたしは涙に潤んだ瞳のまま不思議そうにヴィヴィア様を見上げる。
「あれ、とは……?」
この問いかけに待ってましたと言わんばかりにサリーナ様が少し身を乗り出した。
「お香よ。でもただのお香ではなくて、心を穏やかにしてくれたり、元気にさせてくれる素晴らしいものなの。それに食欲も落ちるから痩せられるのよ」
「もしや、そのお香のお蔭で皆様は細くて美しくいらっしゃるのでしょうか?」
「ええ、そうよ! 気分の落ち込みと言ってもお医者様は薬を出してくださらないけれど、そのお香は焚くだけで不安や苦しみがスッと消えていくから、お医者様要らずだわ!」
サリーナ様だけでなくヴィヴィア様にも力説される。
それはどう聞いても怪しさ満点の薬なのだが、これくらいの時代だと薬物依存の怖さとか分からないんだろうなあ。そもそも薬物という認識すらないかもしれない。
でも貴族女性なら多少、毒物の勉強はしそうな気がする。
お香にして匂いを楽しむという形だから毒とは気付かないか。
そのお香が如何に素晴らしいかという話を聞いているうちにユミエラ様が戻って来た。
手には小さな袋が握られており、席に着くと、わたしのテーブルの前へそれが置かれた。
女性向けの可愛らしい白い花の模様が描かれた小さな巾着は橙色の紐で口が絞られ、どうぞと促されて手を伸ばす。布越しに触れると小さく折り畳まれた薬包紙が幾つか入っているらしい。袋の大きさは手の平に収まる程度のものだ。
「これがそのお香よ!」
ヴィヴィア様に言われ、わたしは戸惑うふりをする。
「よろしいのでしょうか? きっと、とても高価なものなのではありませんか?」
「気にしないで。せっかく親しくなったのに、その相手が悲しみに沈んでいるだなんて私も辛いの。私は息子はいるけれど娘には恵まれなかったから、若い子が苦しむ姿を見ると助けたくなってしまうのよ」
柔らかく微笑まれてわたしも眦を下げて安心した風に笑みを浮かべた。
袋をカーラさんに預けようとしたら止められる。ユミエラ様に「これはお一人の時にこっそり部屋で焚いてちょうだいね。男性には少し甘過ぎて嫌がられる匂いだし、アルマン卿に御心配をかけないためにもこれは秘密よ」と言われて素直に頷き返し、カーラさんが持っていたわたしのバッグに仕舞うと安堵した様子だった。
お香の焚き方や焚く時の量の注意点などを幾つか教えてくれる。
「これは少量でも効果が高いの。だから最初は包み一つ分を焚いてみて、効果が薄ければもう一つ、といった具合に調整してね。一度に沢山使ってはダメよ。香を焚き終わったら部屋の窓を開けて換気しないとアルマン卿に嫌がられるから、絶対に空気は入れ替えるのよ?」
「はい、分かりました。帰ったらさっそく使ってみようと思います」
「ええ、是非。もしもっと欲しくなったら連絡してちょうだいね。その時はお香を売ってくださる方を紹介するわ」
「何から何までありがとうございます。皆様も優しくて、今日ここに来て本当に良かったです」
わたしの言葉に三人は「お茶友達を助けるのは当然だわ」「叔母様は困っている人を放っておけないのよ」「確かにそうね」と口々に言う。
貴族の女性って凄いし、かなり恐ろしいなと思う。
心からわたしを心配してくれている風なのに、それは自分達の利益のための演技なのだ。
何も知らなければ優しく親切な御婦人達にしか見えないだろう。
今日のお茶会はそれで解散となった。
帰り際に「またお手紙を書いてもいいかしら?」とユミエラ様に聞かれて、私は快く「はい、お香の感想もお話ししたいのでわたくしもお手紙を出させていただきます」と答えた。
彼女はそれに満足げに頷き返し、笑顔で「良い一日を」と見送ってくれた。
防寒用のローブを受け取り、カーラさんと共に馬車に乗り込めば、ゆっくりと動き出す。
馬車が屋敷を出て、完全に建物が見えなくなってから息を吐いた。
「女性って怖い……」
「お嬢様もその女性のお一人ですよ」
わたしの呟きにカーラさんが冷静にツッコミを入れてくれた。
あんな風にはわたしは出来ないなあと思いかけ、しかし、よくよく考えてみたら自分だって犯人を誘導尋問することもあれば捜査のためにちょっとばかり人を騙すこともある。
それと彼女達の行動はそう大差ないような気がした。
……やっぱり女性って、わたしを含めて怖い生き物だ。
とりあえず屋敷へ戻ったら伯爵へ報告して、渡されたお香が『幸福』かどうかの確認をしてもらおう。使う訳にはいかないのでその際に少し匂いを嗅いでユミエラ様に手紙を出そう。




