言、五つ。
* * * * *
その翌日から早速、淑女教育は始まった。
宣言通り、帰宅後すぐに女家庭教師のカーラさんとアランさんを呼び出した伯爵は話し合ってその日のうちに二ヵ月の淑女教育スケジュールは出来上がった。
基本的に近侍の仕事はあるが、午前中や午後の時間で伯爵が書斎にこもっている間、わたしはカーラさんの下でみっちり勉強する。食事の作法などはこの間習ったもので充分らしいが、ほぼ一から他は教わらないといけない。
すぐにドレスを生み出すことは出来ないので初日にドレスの採寸をした。リーニアス殿下が「口の堅い者が良いだろう」と城のお針子達を派遣してくれたのだが、どこの世界の何時の時代でも女性はオシャレに興味があって、そして城のお針子達は人一倍それが強かった。
ベティさんが用意したワンピースに着替えて化粧もしてもらって会ったのだけれど、わたしを見た瞬間に目の色が変わった。まるで新しい玩具を見つけたみたいな目付きだった。
伯爵はお針子達に二、三言告げるとそそくさと部屋を出て行く。
せっかく着たワンピースは脱がされ、ついでに肌着も脱がされて採寸が始まる。
数人がかりで腕だの首回りだの胸だの腰だの、もう測っていない場所などないのではないかというくらい色んな場所を測定されて、自分ですら知らなかった数値が他人に知られていくのは微妙な気分だ。
しかもその間に顔に様々な色合いの布を当てて似合う色を吟味される。
「セラフィーナ様は御希望の色などはございますか?」
淑女教育中のわたしは『セラフィーナ』なのでお針子達にもそう紹介されていた。
布を顔に当てていたお針子の一人に問われ、考える。
夜会という場に合う色なんて分からない。
困ったわたしにカーラさんが側に来た。
「お嬢様は異国の御出身で、この国の社交には今回初めて出席されます。本来十六歳のデビュタントでは白を纏うのですが、お嬢様の年齢ではそれも少々厳しいかと。……基本的には高位の方々と重ならなければお好きな色を着ていけますよ」
その説明に暫し考える。
わたしは十八歳なのでデビュタントの子達と同じ白を着るのは浮きそうだ。
外見が若く見えるからセーフだとしても気持ち的には落ち着かない。
こういう時、元の世界で読んだ本はどう書かれていたっけ?
――――……ああ、そうだ、思い出した!
「……あの、クロード様の瞳に似た色はありますか?」
確か相手の色を身に纏うんだ。伯爵は灰色がかった銀髪にくすんだブルーグレーの瞳。だからドレスは瞳に近い色のものにして、装飾品はシルバー系のもので統一すれば相手の色になる。
とりあえず瞳の色に合わせたいと言えば、何故かお針子達が一瞬動きを止めた。
そして何故か物凄く目をキラキラと輝かせた。
「まあまあ、パートナーの色のドレスですって! 素敵!」
「確かアルマン卿の瞳は青系統でしたね! 此方の見本から最も近いと思う色をお選びください!」
「青でしたらフリルやレースは白で清楚に整えるのがよろしいでしょう!!」
ズズイと身を乗り出されて一歩下がろうとしたけれど、採寸中のお針子に「動かないでください」と注意されてしまい、身を引くことも出来ない。
するとお針子の中でもやや年嵩の女性が他のお針子達を押し戻す。
正直ホッとした。何かよく分からないけど怖かった。
「他に御要望はございますか? ドレスの型や装飾品などは如何なさいますか?」
「え? ええっと、露出を少なくして欲しいです。それとこの国のドレスを着るのは初めてなので出来れば動きやすいものにしていただけたら……。装飾品もクロード様の髪の色に合わせられたらと思っています」
「……それは素敵なドレスになりそうですね」
にっこりと年嵩の女性が微笑み、他のお針子達の目がキラリと光る。
……あれ? 全然安心出来ない雰囲気なのは何でだろう?
採寸が終わり、紅茶を飲みながら今度は流行りのドレスのデッサンを見せてもらう。今はフリルやレース、リボンを柄物の布地に盛るのが流行りらしく、どのドレスもフリル・レース・リボンの三大オンパレードである。柄が目に痛い。
何枚ものデッサンを何度も見返し、カーラさんやお針子と話し、一つのデザインに決める。
ただしわたしの要望でフリルやレース、リボンはかなり減らしてもらう。
でもそれは表面上というか、ドレスのスカート部分のごってり感をやめてもらうだけで、やや灰色がかったくすんだ青い生地は無地だが上半身には同色で光沢のある糸によって薔薇の刺繍がされ、袖は肘まで、腰はキュッと絞り、そこから一度左右の布をふんわりかけるように下へ落とす。そのふんわりくしゅくしゅとした部分でボリュームを作ることでスカート部分の膨らみを抑えるそうだ。それに後ろの長い裾は持ち上げて二箇所ほど留めるので更に動きやすさは増す。その生地の下には真っ白なフリルが覗き、首元は同じ布地と白いレースのチョーカー、両手首もチョーカーと揃いのものを。ドレスの胸元とチョーカーには同じ布地とやはり白のレースで作った薔薇のコサージュもつく。それに肌の露出も肩から胸元のデコルテ部分と肘から先だけだ。
今の流行りで見れば控えめで地味な部類だ。
「お嬢様のお顔立ちと肌色はこの国では珍しいですから、これくらい地味でも目立つでしょう」
「ええ、ええ、その通りです。それにこの色合いなら他の方とも重ならず、きっとセラフィーナ様のお肌にもお似合いですよ」
人によっては露出を高くするそうだが、わたしはこれくらいで充分だ。
採寸を始めてから四時間ほど経って、昼食を軽食で済ませた頃に漸く、カーラさんと年嵩の針子からやっと許可をもらえた。
わたしは精神的な疲れもあっただろうが、二人に「他の奥方や御令嬢は数日かけて決められることも珍しくありません」と言われて絶句した。ドレス一枚にどれだけ悩むんだ。
装飾品はドレスがある程度出来上がってからという話でその日は終わった。
しかしその後に淑女教育でめちゃくちゃ姿勢を正された。
まずカーラさんが子供の頃に着ていたというドレスを実家より持って来ており、それに着替える。
普段着だからか夜会用に見せてもらったデッサンよりもフリルやレース、リボンは少なく、スカート部分の膨らみも小さく活動的な衣装だろう。
まず、下着からダメ出しされた。まあ、男性モノだからね。
下着はドロワーズ――膝くらいまでのズボン型のもの――に半袖のシュミーズとステイズ――コルセットのことだ――。貴族の女性のステイズは後ろに紐があり、使用人が締める。柱に掴まれと言われて掴んだ途端にカーラさんに思い切り締められて口から内臓が飛び出すかと思った。
腰を細くするためと言っても限度があるだろう。
これじゃあ貴族の女性がすぐに失神するのも少食なのも頷ける。
このドレスはパニエがないが、それでもステイズにはバッスルというスカートに膨らみを持たせる楕円形の枠があり、そこに三枚のペティコートを穿く。一枚目はバッスルやパニエの枠が引っ掛からないように滑りを良くするためのもの、二枚目は汗などでドレスを汚さないためのもの、そして三枚目が外側のスカート部分に当たる。ちなみにペティコートは筒状で、腰の左右にある紐でウエスト部分に合わせて絞る。
次にローブと呼ばれる袖の付いた上着を着る。前袷はなく、開いたまま着るそうだ。
肘までの袖に後付けでフリルの袖を付ける。
そしてストマッカーと呼ばれる胸当てのようなものを付けた。
これもペティコートの三枚目とローブと同じ布が使われており、リボンが縦に三つほどあった。
最後に首と手首に揃いのチョーカーとリストバンドのようなものを付けて完成だ。
靴は踵が三センチほどの低めのものだった。
邪魔になるからと三つ編みにしていた髪は後頭部に上げて纏められている。
「……悪くありませんね」
どうやらドレスは似合っていたらしい。
わたしは鏡で自分の姿を見ても違和感しかないが。
「よろしいですか、貴婦人はピンと伸びた背筋が基本です。歩く時も上半身を揺らしてはなりません。そして大股で歩くのも走るのもいけません。優雅に、淑やかに、流れるように歩くのです」
カーラさんが部屋の中を歩いて見せる。
なるほど、確かにカーラさんは歩いても上半身に全くブレがなく、背筋は真っ直ぐに伸びている。
オマケにドレスの裾などまるでないかの如く滑らかだった。
「ではまずは歩いてみてください」
「はい」
両手を前に揃え、視線を下げないように前へ向け、先ほど見たカーラさんのように背筋を意識して歩くが、思ったよりも体がブレてしまう。
部屋を一周回って戻って来ると頭の上に薄めの本を載せられた。
「これが落ちないように歩くのですよ」
そんな無茶な。こんなの冗談だとばかり思っていたんだけど。
目の前で同じ厚みだろう本を載せたカーラさんがスルスルと室内を歩く。
……ええ? 何でそんなあっさり歩けるんだ?
「さあ、練習あるのみですよ」
と、散々部屋の中を歩かされた。
少しでも背筋が曲がったりブレたりすると本はあっという間に落ちるため、頭の上だけでなく背筋や足の動きなど、とにかく上半身がグラつかないように全身に意識が集中する。
歩くという行動一つ取っても貴族の女性はこんなに努力しなければならないのだろうか。
しかも歩いている最中にカーラさんは言葉遣いや受け答えに関する話をして、時々思い出したようにわたしへ質問する。それに答えられなくてもダメだし、集中が切れて本を落としてもダメだ。シビアである。
伯爵の夕食に間に合わせるために早めに切り上げてもらるのは助かる。
「近侍の仕事中は本が頭の上にあると思って歩くように」
「きちんと見ていますからね」と続けられてわたしは少し心が折れそうになった。
何とかドレスから近侍用のお仕着せに着替えて化粧を落とし、髪を元に戻して部屋を出る。
この二ヵ月、淑女教育は着替えなども兼ねて客室を一つ使わせてもらっている。夜は普通に自室で眠れるけれど、自室と伯爵の下とこの客室とを忙しなく動き回ることになるが仕方がない。
伯爵のいる書斎へ向かう。
寝室のところで顔を合わせたアンディさんが変な顔をした。
「セナ、お前大丈夫か? 何か一日でかなりやつれてるぞ」
小声で問われて頷き返す。
「ええ、大丈夫です。この国の女性に出来て、わたしに出来ないなんて道理はありませんからね。やってみせますとも」
「そ、そうか……えっと、まあ、頑張れ?」
「はい、ありがとうございます」
慣れないことばかりで疲れたが、それはこの世界に来た当初もそうだったし、近侍になった時も同じだった。何事も初めてというのは非常に疲れるものだ。
でも学んで、慣れていけば、疲労度も減る。
今は兎に角学んだことを身に付けるしかない。
アンディさんの声援にもう一度頷き、軽く頬を叩いて気分をシャキッとさせる。
それから伯爵の書斎へ続く扉を四回ノックした。
入室を許可する声に扉を開けて「失礼します」と中へ入る。
手元の紙面から顔を上げた伯爵が眉を寄せてまじまじとわたしの顔を見る。
「……続けられそうか?」
そんなにわたしは疲れた顔をしてるのか。
「問題ありません。不慣れなことに手こずるのは当たり前のこと。後は回数をこなして慣れていくしかございませんが、御婦人方に出来てわたしに出来ないなんてことはないはずです」
「……そうか。意欲的なのは喜ばしいが、その手は今は下ろして構わんぞ」
「!」
無意識のうちに体の前で両手を重ねて歩いて来てしまったらしい。
伯爵に指摘され、慌てて体の横に手を下げる。
そんなわたしの様子に伯爵がフッと小さく吹き出した。
「お前は分かり難いのか、分かりやすいのか、分からんな」
低い声でクツクツと伯爵が笑う。
「仕方ないでしょう。今日はずっとこの体勢で過ごしていたのですから」
「それはそうだが、うっかりセラフィーナの時に両手を振って歩くなよ?」
「歩きませんよっ。第一ドレスが邪魔でそんなこと出来ません! からかわないでください!」
「すまん、ついな」
口元を手で隠して笑っていた伯爵を睨めば、コホンと誤魔化すように咳払いをされる。
「ドレスは決まったそうだな?」
「ええ、それは無事終わりました。色も型も幾つか決めましたけど何着も必要でしょうか?」
「ああ、念のために夜会用に二着、普段着に三着ほど作らせる。これでも貴族の御婦人や令嬢からするとありえないほど少ないだろう。本当はもっと作らせても良かったんだぞ?」
あんな作業を何度もやれるってこの国の貴族の女性って実は体力あるんだなあ。
思わず「うへぇ……」と情けない声が漏れてしまった。
それに伯爵が苦笑を浮かべる。
「その気持ちは分からんでもない。それでドレスの色はどうした? 私もパートナーなのでお前の選んだ色に合わせるつもりだが、本人に聞いてくれと針子に言われたぞ。変な色でも選んだのだ?」
まだお針子もベティさんも伯爵に詳細を伝えていないのか。
わたしだって自分が着るのに変な色合いのものは選ばないから安心して欲しい。
「夜会用のドレスは伯爵の瞳に近い色にしました。パートナーですからね、装飾品も伯爵の髪に合わせてシルバーなどを――……」
話している途中で伯爵の手から書類が滑り落ちて足元に散る。
あーあ、何してるんだか。
足元へ寄って片膝を付き、落ちた書類を拾って渡そうと顔を上げ、驚いた。
机に両肘を付いて重ねた両手に顔を押し付けた恰好のため、髪である程度は顔が隠れているものの、耳や頬だけでなく首筋まで赤く染まっているのが見えた。肌が白いので余計に目立つ。
「……何でそんなに照れてるんですか?」
昨日も同じようなことを聞いた覚えがあるんだけど。




