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アルマン伯爵と男装近侍  作者: 早瀬黒絵
# The ninth case:The voice that the devil tempts.―悪魔の囁き―
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言、一つ。

 





 一月下旬、クロードは書斎で盛大に顔を顰めていた。


 その手元には柔らかな薄紅色に赤い薔薇の透かしが入った女性らしい封筒と便箋がある。


 もう一度読み直したクロードは深く息を吐いた。


 ヘレン=シューリスの件が終わり、セナが倒れた翌日だというのにこれだ。


 チラと見下ろした封筒の封蝋には王家の紋章が押されており、その手紙が女王陛下からのものであることは一目瞭然であった。御丁寧に封筒と便箋のどちらにも署名が入っている。


 以前よりクロードに依頼してある案件で話がしたいので登城せよ。


 それと例の異国から来た従者も連れて来るように。


 時季の挨拶や前置きの当たり障りのない話を省けばこんな内容だった。


 今朝も顔を合わせたものの、まだあまり顔色の良くないセナを連れて登城するのは少々考えてしまうが、女王陛下からの命を無視する訳にもいくまい。


 何よりセナについての話も耳に入れておきたかった。


 執務机の隅にあるメッセージカードを一枚手に取り、羽ペンの先をインクに浸してからそこへ伝えるべき内容を書き込み、乾かして小さな封筒へ入れる。封蝋は要らない。




「これをセナに」




 壁際に控えていたアルジャーノンが机の上に置いた小さな封筒を引き取り、一礼して書斎を出て行く。


 カードには女王陛下から登城の命が下ったこと、それにセナを連れて来るよう書かれていたこと、体調が悪いとは重々承知しているがついて来て欲しいことを手短に書いた。


 起こしに来た時に顔色が優れなかったので下がらせたが恐らく別の仕事をしてるだろう。


 (しばら)くしてアルジャーノンはセナを引き連れて戻って来た。


 朝に比べると多少は良くなったかもしれない顔色のセナが入室する。




「失礼致します」


「具合が優れないのにすまんな」




 休ませてやりたいが、そうもいかなくなってしまった。




「いえ、問題ありません。それよりも本当にわたしも登城してよろしいのでしょうか? 宮廷作法は存じ上げないのですが……」




 困ったように眦を下げたセナに頷き返す。


 貴族ならば兎も角、従者は後ろに控えていることが大半なので問題ない。


 何より礼儀作法には厳しいと名高い女家庭教師(カヴァネス)のカーラが叩き込んだので大丈夫だろう。


 そう告げればホッとした様子のセナは「畏まりました。ではお供させていただきます」と答えたのだった。






* * * * *






 ガタゴトと馬車に揺られながら王城への道のりを進む。


 伯爵は普段よりもフリルやレースの多いシャツに天色(あまいろ)の仕立ての良いジレとアビを身に纏い、三角帽(トリコーン)も上質な布地に飾り羽根がついたものだ。


 かく言うわたしも普段のお仕着せより上等な衣類を着ていた。色は伯爵の服装に合わせ、暗めの青だ。こちらの服はお仕着せではなく伯爵が子供の頃に着ていた服の一つらしい。


 王城へ行くならばそれなりの格好をしなければならない。


 手紙が届いてから一週間は忙しい日々だった。伯爵とわたしが着て行く服の選定に修繕が必要か否かの確認――わたしの場合はやや袖が長かったので内側に折り込んで飾り袖で誤魔化してある――をしたかと思えば、女家庭教師のカーラさんから礼儀作法の復習と宮廷作法についての詰め込み教育も施された。


 屋敷を出る前には伯爵だけでなく、わたしまで身支度に時間を取られてしまった。


 髪型は何時も通りだけれどブラシでザッと纏めて編もうとしたわたしを見たベティさんにブラシを取られ、何度も何度も髪を梳られてから丁寧に編んだ三つ編みを左肩へ流される。しっかりブラッシングを行った髪は今までで一番艶が出たかもしれない。


 寝不足による具合の悪さも鬱屈とした感情も慌ただしさで吹き飛んでしまう。


 登城するなんて生まれて初めてなので今は不安が大きい。


 女王陛下の命ということは、どう考えても謁見するのだろう。




「今回はどのような用事で呼ばれたのですか?」




 斜向かいに座る伯爵へ問う。


 腕を組んで難しい顔をしていたが、声をかけるとその眉間の皺が少し和らいだ。




「そうだな、お前には話しておこう」




 事の発端は三年ほど前に遡る。


 とある侯爵家の娘が己の喉を掻き毟って自死するという事件が起きた。


 その娘は政略結婚でありながらも好いた男と婚約しており、もうすぐその婚約者と結婚するはずだった。幸せの絶頂期とも言える最中での不審な死に侯爵家当主は娘の身辺を調べた。


 すると娘の日記には結婚への期待と不安が綴られていた。


 何ページにも渡りそのことが書かれていた日記だが、ある日を境に内容が一変する。


 知り合いから教えてもらった『心を穏やかにする香』のお蔭で毎日幸せだと。


 その匂いを嗅ぐと不安が薄れ、結婚への期待と意欲で心が躍ると。


 しかし幸福だと書かれていたのは最初の数ページで、段々と香の匂いに慣れてしまって心が穏やかにならなくなったと娘が不安を呟くようになり、香を使う量や回数が増えたことも書かれていた。


 香が切れると、婚約者に捨てられるのではないかという不安や周囲から反対されるのではと不安な気持ちが一層強くなるため、最後は香を焚くだけでなく何時でも香を嗅げるように中に香と着火剤を詰めた硝子瓶を持ち歩くほどだった。


 しかし娘の部屋を探して見ても、その香も硝子瓶も見つからなかった。


 日記の内容から娘の死にこの香は何らかの関係があるのではと考えた侯爵は、それとなく娘の親しかった家の者や他の貴族たちに『心を穏やかにする香』について探りを入れてみた。


 半年の調査の結果、その香は『幸福(フェリチタ)』と呼ばれる薬物だと判明した。


 更に一年半もの時間をかけてその薬物を研究した結果、非常に中毒性が高く、重症化すると神経が過敏になり、不安感が強くなって幻覚を見るようになることが判明した。症状はそれだけに留まらず気分が上がることで奇行を繰り返したり、暴力的になったり、体中を掻き毟ったりするのである。


 侯爵は己の娘がこの薬物の重度の中毒者であったことを知り、女王陛下へ薬物の製造や売買、使用を禁止するよう進言し、そして医師や薬剤師、患者以外の者が依存性のある薬物への接触を禁ずる法が制定された。医師や薬剤師、患者に限って許可を出したのは病の末期に苦痛を和らげるための薬物も法の中に含まれていたからだ。


 しかし法が制定されても『幸福(フェリチタ)』はなくならなかった。


 一体どのような入手経路を使うのか、貴族や裕福な商家の者などが手にしていた。


 それは時には混ぜ物を入れられ、粗悪な品であっても高値で売買された。


 女王陛下から命が下り、この事件について調査をせよと言われたのが伯爵だった。


 そうして一年かけて伯爵は『幸福(フェリチタ)』の入手経路や販売方法に辿り着いた。




「少し前に報告書を送ったのでな、それについてだろう」


「なるほど。ではわたしは何故?」




 女王陛下に直々に呼ばれるような覚えはない。


 ……いや、温石(おんじゃく)や足元クッションは提案したけども。


 まさかその程度で呼ばれるとは思えない。


 わたしの質問に伯爵が苦みの混じった浮かべる。




「恐らく好奇心だな。甥が最近よく連れ歩く従者がどのような人物なのか気になるから見たい、といったところだろう。昔から何かと構いたがる方なんだ」




 はあ、と溜め息が零す伯爵はどことなく不機嫌そうだ。




「伯爵は可愛がられているのですね」


「……は?」




 珍しく伯爵の目が点になった。


 何故そうなると言いたげだが、わたしからしたら分かりやすい可愛がり方だと思う。




「だって、どうでも良い存在や然程気にかける必要のない人間だったら、使用人を連れて来いなどとは言わないでしょう。女王陛下は伯爵のことを大切にされていらっしゃるのかと」


「……ああ、そうかもしれないな」




 何かを思い出したのかマントの上から腕を撫でた。


 仄かに浮かんだ笑みにわたしも微笑み返す。


 伯爵の両親は多分亡くなっているのだろう。


 一度も見たことがないのはそういう理由で、だからこそ伯爵には今ある縁を大事にしてもらいたい。


 わたしのように失ってから気付いても遅いのだ。


 そうこうしている間に馬車は城門に着き、一度中を(あらた)められて城内へ入る。


 少しだけカーテンを捲って外を見れば手入れの行き届いた美しい庭が視界に飛び込んでくる。


 最初の城門から少し走ると第二の城門があり、そちらも通り抜けて、また少し走るとやっと目的地に辿り着く。二重の城壁で守られているらしい。


 馬車から降りてまず思ったのは「城というよりかは宮殿だな」だった。


 淡いクリーム色を基調とした外壁には金と彫刻があしらわれ、円錐形の塔やせり出した窓枠などが立体的でどっしりとした重厚感を持たせている一方、所々は丸みを帯び、屋根や壁の差し色の新緑のような緑色も相まって圧迫感はない。言い方は変だが爽やかな印象の建物だ。


 伯爵家の屋敷とは比較にならないほど広く、正面入り口から左右対称に建物が伸びている。


 恐らく奥行きも結構あるだろうから全ての部屋を見て回るだけでも大変そうだ。


 次に降りて来た伯爵は見慣れているからか宮殿の正面玄関へ進む。


 白い階段を上がれば玄関には衛兵が立っており、伯爵の姿を見て黙って扉を開ける。


 そこを堂々と伯爵が歩いて行くのでわたしはその後ろに付き従うしかなかった。一応、通り過ぎる際に視線の合った衛兵へ目礼をしておいた。


 扉を潜り抜けた先の玄関ホールだけでも相当な広さだ。


 内装は華やかだった。白を基調としつつも暖色を中心として花などの植物や鳥、動物といった彫刻が壁や柱、階段の手摺にまで施され、それらは全て緻密で繊細なものだ。ビロードの赤い絨毯は端が金糸で縫われている。その金糸と壁の装飾の金がよく似た色合いなので非常に統一感がある。内装は外装よりも更に丸みを帯びたデザインだ。カーテンや壁にかけられたタペストリーなどはフリルやレースがふんだんにあしらわれ、宮殿全体が女性的な雰囲気を持つ。


 静かな宮殿内に他人の気配は殆ど感じられない。


 玄関ホールにいた使用人に脱いだ上着を預け、パーラーメイドに応接室らしき部屋へ通された。


 伯爵はソファーに腰掛け、わたしはその左斜め後ろに立ち、ココまで案内したメイドは部屋を出て行ったが暫くするとティーセットを載せたサービスワゴンを押して戻って来た。


 黙って紅茶を二人分淹れて茶菓子をテーブルへ置いたら礼を取って部屋を出て行った。




「……心臓が口から飛び出しそうです」




 ぼそりと一歩前を行く伯爵にしか聞こえない程度の声で呟く。


 伯爵の肩が僅かに動いたが振り返ることはない。




「そう緊張せずとも陛下は寛大なお方だ。多少の失敗は見逃してくださるだろう。それに私とお会いになる際は謁見の間ではなく、大体において私室なので格式張ったやり取りもないから安心しろ」




 前を向いたまま伯爵が囁き声で言う。


 そうであったとしても一国の主である女王陛下と会うだなんて緊張しない方がおかしい。


 伯爵も女王陛下の甥で王家の血筋だが、こちらはもう慣れてしまったから別なのだ。


 用意された紅茶や菓子には一切手を出さないまま、それが冷める頃、部屋の扉が叩かれた。


 一拍の後に開かれた扉の向こうには目の冴えるような美青年が立っていた。


 蜂蜜のような金髪に鮮烈なエメラルドの瞳、整った顔立ちは伯爵に負けず劣らず美しく、長身でスラリと長い手足に、細身ながらも線の細さは感じさせない体には衣類の上からでも綺麗に筋肉がついていることが窺えた。


 扉を開けたのは彼の従者だろう。衛兵とは少し違った格好をしていた。


 伯爵がソファーから立ち上がって礼を取ったのでわたしもそれに倣う。




「お久しぶりです、リーニアス閣下」




 美青年はやや目尻を下げると笑顔で近付いて、伯爵の肩を軽く叩いた。




「そんな畏まらないで欲しい。私達は従兄弟同士じゃあないか。それに君に閣下と呼ばれるとどうにも落ち着かないのでね、私的な場では昔と変わらずに接して欲しい」


「……分かった、リーニアス。久しいな。前に会ってからは一年ぶりくらいか?」


「ああ、そうだね、何だか時間が経つのが早く感じるよ」




 伯爵も美青年の方を軽く叩き返す。


 伯爵と従兄弟同士ということはこの美青年も王家の血を引く人間だろう。


 わたしは顔を上げずに黙って控えていた。




「さあ、そこの従者君も顔を上げてくれ。クロードから君の噂は兼ね兼ね聞いているよ。事件解決に尽力してくれているそうだね。礼を言うよ」




 ゆっくりと顔を上げ、愛想笑いの淡い笑みを浮かべてもう一度浅く頭を下げる。




「勿体ないお言葉、光栄に存じます。御挨拶が遅れてしまい申し訳ございません。アルマン伯爵家にお仕えさせていただいております、セナ・シェパード=ソークと申します」


「私はリーニアス・ロベルト=ツェルドルフ。女王陛下の長子であり、公爵位を賜っているが、今は陛下をお守りする近衛隊長の座にいる。気軽にリーニアスと呼んでくれると嬉しい」


「畏まりました。リーニアス殿下のお望みのままに」




 まさかの女王陛下の息子さん?! え、王子様ってこと?!


 しかし伯爵とリーニアス殿下が並ぶと確かに顔立ちはどこか似ている。


 リーニアス殿下に「陛下の私室まで案内するよ」と促されて応接室を出る。




「セナ君と呼んでもいいかな? 君のことはクロードからよく聞いているよ。事件に自ら首を突っ込みたがる猪突猛進な上に気が強いので目が離せない困った子だとね」


「……それは……お恥ずかしい限りです」




 王子に対して一体何を話しているんだ、この人は。


 リーニアス殿下とその従者に見えないようにブーツの爪先で一歩前にいる伯爵の踵を蹴って抗議すると、長身の肩が一瞬跳ねたものの頑なに振り返らない。


 帰りの馬車で問い質してやろうか。




「いやいや、最近のクロードは楽しそうで私も嬉しいんだ。聞くと大抵君の話をされるし、余程気に入っているんだろう。良い従者に巡り合えたようで何よりだ」


「リーニアス」


「分かった分かった、この話はもうやめるからそんなに睨まないでくれ」



 

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