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アルマン伯爵と男装近侍  作者: 早瀬黒絵
# The eighth case:Weight of the life.―命の重み―
80/120

雫、十三滴。

* * * * * 





 刺すような冷たい空気に目を覚ます。


 頭まで被っていた毛布が捲れ、上半身は殆ど外気に(さら)されていた。


 一月下旬の凍えるほど寒い気温なのに汗でシュミーズが肌に張り付き、不快な気分になる。


 まだ外は暗く、恐らく起きる時間よりも幾分早い。


 ベッドから出てブーツを雑に履き、暖炉に寄って薪を足す。慣れた手順で熾火を起こしてやれば、ゆっくりと小さな火が薪を舐めて大きくなっていく。


 暫しの間、火に当たって汗で冷えた体を温めた。


 ……嫌な夢を見た。


 ヘレン=シューリスの夢だ。彼女を撃ち殺す夢。


 ……いや、現実だから記憶を見たといった方が正しいのかもしれない。


 見るだろうと覚悟していたが、やはりいい気持ちにはならないな。


 頭を振って夢の内容を頭から追い払う。


 ベッドに手を突っ込んで革製の湯たんぽを取り出し、洗面器に中身を出し、顔を洗う。そうして洗面器を暖炉の前の床に置き、そこでブーツも下着以外の衣類も全て脱いで、顔の水気を拭った布を残った湯に浸して絞ると体を拭いた。


 昨夜のうちに用意しておいたお仕着せに手を伸ばす。


 新しいシュミーズに着替えてステイズの紐を絞り、シャツを被って着る。靴下であるショースを履いて紐で留めたら七分丈のキュロットを穿き、ブーツを履いてしっかり編み上げの紐を縛った。袖のないベストのジレを着て、上着のアビを羽織る。


 ネクタイ代わりに白のネッカチーフを巻こうとして手が止まった。


 少し考えて黒色のものを取り出し、クビに巻く。手袋も黒にした。


 まだ部屋を出るには早いので何時もの時間になるまで椅子に腰掛け、ぼんやりと暖炉の火を眺めて過ごした。






* * * * *






「旦那様、御起床のお時間です」




 朝を告げるセナの声に目を覚ます。


 その低過ぎず、高過ぎもしない柔らかな声は耳に馴染む。


 目を覚ませば此方を覗き込む黒に近いダークブラウンの瞳と視線が絡んだ。




「おはようございます」


「ああ」




 身を引いたセナに合わせるように上半身をゆっくりと起こす。


 アンディが開けて回ったカーテンからは雪に反射した微かな光が差し込んでいた。


 アルフから紅茶と新聞を受け取り、紅茶を飲みながら新聞へ視線を落とす。


 何時も通り、彼らは黙って寝室を後にした。


 扉が完全に閉まった音を聞いて顔を上げる。


 今朝のセナは黒いネッカチーフに黒い手袋をしていた。基本的に黒で統一させている衣類と相まって、それはどう見ても喪服であった。


 黒い衣類に黒いネッカチーフや手袋は一般的に葬儀への出席や喪に服す間、身に纏うものだ。


 仕事柄、葬儀に出ることも汚れることも想定して黒に纏めている使用人のお仕着せだから問題はない。


 だが、セナが今喪に服するということは……。




「……ヘレン=シューリスか」




 初めて人を殺したとセナが言ったのは昨夜、遺体安置所でのことだった。


 そうであろうとは薄々感じていたので驚きはない。


 元々、滅多に人に手を上げるような気質でもなかったし、これまでの言動から平和な国で暮らしていたことも窺えた。むしろこの伯爵家での暮らしや仕事に慣れたことの方が驚きである。


 生まれ故郷に帰してやれれば人を殺させずに済んだのかもしれない。


 しかし、セナは故郷について「多分、もう帰れないと思います」と以前言っていた。


 理由は口にしなかったものの、拒絶にも近いハッキリとした口調で「帰り方も場所も分かりませんので」と告げられてしまえば無理矢理聞き出して故郷へ帰らせることは出来なかった。


 この屋敷の使用人は事情を抱えて行く当てのない者ばかりなので一人増えたところで何も困らないし、万年人手不足だから増える分にはアランやサリスが喜ぶだけだ。




「帰す、か……」




 当初であれば兎も角、今はセナを故郷に帰したいと思う気持ちはない。


 本人が望めば力を貸すけれど、そうでなければ此方から言う必要もない。


 紅茶を飲みながら新聞に目を通すが内容が全く頭に入って来ず、とりあえず目を通した後はベッドの上に放り出してサイドテーブルに置かれたソーサーにカップを戻す。


 ベッドを出て窓へ近寄ると今日も雪が降っていた。


 ……少し顔色が悪そうだったが大丈夫だろうか。


 今日は冷えるから厚着するよう言っておこう。






* * * * *






 朝食を済ませた伯爵がわたしを指で呼ぶ。


 食堂の広いテーブルの席に一人でついている伯爵の横へ行って、やや腰を折る。




「何でございましょう?」


「昨夜も言ったが教会へ行く。お前も外出の支度をして玄関へ来い。寒いから必ず厚着をするように。分かったな?」


「畏まりました」




 今日はイルフェスはついて来ない。


 どうしてもやらなければならない仕事が残っており、ついて来たがったが泣く泣く諦めたのだ。


 よく分からないが服装について言われたので伯爵が一旦部屋に戻ったタイミングで、わたしも自室へ行く。最近よく着ているポンチョを着ようとして、伯爵の言葉を思い出したのでクロークを羽織ることにした。


 足首近くまであるそれは一枚でも充分暖かい。


 体に纏わり付く感触は慣れないが言われた通り暖かい恰好で三角帽を被る。


 渡り廊下を戻って一階に下り、玄関へ向かう。まだ伯爵は来ていない。


 すぐに来るだろうと欠伸を噛み殺していれば、案の定間を置かずに伯爵が現れた。




「それでは留守は任せた」


「はい、行ってらっしゃいませ」




 アランさんに一言声をかけた伯爵の動きに合わせて扉を開ける。


 今日も多くはないが雪が降って薄く積もっている。


 外には既に馬車が待機していて、それに乗り込んだ。

 

 椅子に座っていると伯爵から視線を感じる。




「寒くはないか?」


「ええ、おっしゃられた通り外套を羽織って来たのでとても暖かいです」


「眠くなったら転寝(うたたね)くらいはしても構わん。どうせ外からは見えないんだ、少しくらい横になったところで誰も咎めはせん」


「……どうしても眠たい時はそうさせていただきます」




 どうやらわたしが寝不足なことに気付いているらしい。


 つい苦笑を零してしまえば、伯爵はバツが悪そうに視線を逸らし、腕を組んで目を瞑ってしまった。


 何で照れてるんだろう。気遣いしたことが気恥ずかしかったのかな。


 まあいいやと思いわたしも目を瞑る。


 寝たい気分ではないし、ガタガタ揺れる馬車で寝るのは難しいので体を休ませる意味合いの方が強い。


 それでも眠たいことには代わりはなく、微睡(まどろ)む一歩手前の状態で教会までの時間を過ごした。伯爵は気を遣ってくれたのか話しかけられることもなかった。


 教会へ着き、わたし、伯爵の順に馬車を降りる。


 幸いまだ足元は然程凍っておらず、薄っすら積もった雪のお蔭で歩きやすい。


 建物までの短い距離を歩いて観音扉の片側を開け、伯爵を通し、自分も中へと入る。


 伯爵のマントを外してわたしも自分のクロークを脱いで折り畳む。


 前回来た時は子供達が掃除をしていたけれど、今日は人影もなく礼拝堂はシンと静まり返っていた。


 石造りで中の空気も冷たいが風の吹く外よりかは幾分マシだ。




「もし、どなたかいらっしゃいませんか!」




 張り上げた声を上げれば、ややあってシスターが姿を現した。


 金髪のシスターはわたしを見て目を丸くする。




「セナ……?」




 そのシスターはあの教会から移って来た人だった。


 見覚えのある顔に一礼して要件を伝える。




「お久しぶりです、シスター。申し訳ありませんが、神父様はいらっしゃいますでしょうか?」


「え、ええ、おりますよ。ご案内しますので、どうぞ此方へ」




 孤児のセナという印象だったわたしの違いに慣れないのだろう。


 戸惑いながらも案内してくれるシスターの先導で礼拝堂を抜け、廊下に出る。前回と同じ部屋に神父はいるようで、やはり前回と同じ道順を歩くこととなった。


 二階に上がり、正面にある扉をシスターが叩き、来客を告げる。


 中から入室の許可が出て、シスターが扉を開けてくれた。




「アルマン卿、ようこそお越しくださいました」




 執務机から離れた神父が中へ入った伯爵にソファーを勧める。


 わたしは扉を潜りながら目礼でシスターに礼を伝え、伯爵の左斜め後ろという定位置につく。


 シスターの視線を感じたものの扉はそっと閉められた。




「それで、今日はどのような御用件でしょうか?」


「まず、ヘレン=シューリスに関してだが、もう怯える必要はない」


「逮捕されたのですね……! 子供達やシスターが不安がっていたので、本当に良かった……!」




 そう言った神父も安堵の表情を浮かべていた。


 もしかしたらまた来るのではないかと怯えていたのだろう。


 殺人鬼相手だ。誰だって恐ろしい。


 扉が叩かれ、神父が返事をすると先ほどのシスターがティーセットを持って入って来た。


 テーブルに盆を置き、神父と伯爵の分の紅茶を淹れ、ポットと空のカップとソーサーを一組、それから茶請けのクッキーを置いて部屋を出て行こうとする。


 そのシスターに神父が声をかけた。




「彼女は捕まったそうだよ。だから今日からは安心して過ごしなさい」




 穏やかな微笑を浮かべた神父の言葉にシスターもホッとした顔で一礼して今度こそ出て行った。


 扉が閉まると伯爵が口を開く。




「先日は途中で切り上げてしまったので、もう一度ギャラリーの見学をしたくて今日は来たんだ」




 それに神父が考えるように少し眉を寄せて目を伏せた。


 しかしすぐに顔を上げて頷いた。


 どこか緊張した様子に内心で首を傾げてしまう。




「よろしければ私から聖書についてお話をさせていただいてもよろしいでしょうか?」




 その申し出に伯爵が目を瞬かせる。




「……それはありがたいことだが、何故とお聞きしても?」




 前回はそのようなことは言われなかったし、わざわざ従者であるわたし一人のために神父が聖書について語って聞かせるというのも妙な気がした。


 神父の目が伯爵からわたしへ移り、その口から「貴方は極東、日出ずる国の御出身ではございませんか?」と問われて息が詰まった。何の構えもしていなかった心臓がドキリと痛いくらいに大きく脈打つ。


 確信と緊張を孕んだ茶色の瞳に見つめられ戸惑う。


 何故わたしの生まれ故郷を知っているのか……。




「もしそうだとしても、それと何の関係が?」




 答えられないわたしの代わりに伯爵が聞き返してくれた。




「話は長くなります。どうぞ従者の方もお掛けください。これは貴方に関することですから」




 伯爵に視線で問うと頷かれたので伯爵の右隣へ腰を下ろさせてもらう。


 神父が紅茶を淹れてくれたので礼を述べて一口飲んだ。


 伯爵家ほどのものではないが、そこそこに良い茶葉らしく美味しかった。


 わたしがテーブルにソーサーとカップを戻せば神父が話を続ける。




「聖書についてお話しましょう。それで恐らくお二人も分かるはずです」




 そうして、静かな口調で神父は語り出した。






* * * * *






 まだこの世界の人々が火もなく、木や石造りの家もなく、草木を身に纏っていた時代。


 文明の発展と人々の幸福を願った女神が七人の使徒を遣わした。


 使徒は神々の住まう世界の人間であり、この世界に降り立つと、己の持つ知識を惜しみなく人々へ分け与えたという。


 最初に文字を与えた。次に火を与え、道具を与え、木や石の家を与えた。そして植物や虫を育て、そこから繊維や糸を生み出し、布の衣類を与えた。動物を捕まえて家畜を飼う術も、獣を狩るための武器も。


 人々の数が増えて行くと七人の使徒は話し合い、秩序を生み出しだ。


 法を作り、善悪を決め、人々が善き方向へ歩むための指針とした。


 やがて降り立った地の人々の生活が出来上がると七人の使徒は、信仰心厚き十三人の者を己の従者とし、この世界の全ての人間に知識を与えるためそれぞれ旅立って行った。


 一人は建物を生み出し、後に妻となる女性の従者と共に生涯人々を導いた。


 一人は類稀なる剣技にて人々を脅かす獣を退治して回った。


 一人は生活品を生み出し、人々の日々の暮らしを支えていった。


 一人は法を説き、慈悲と自愛で以て人々の心を救済して回った。


 一人は神々の世界の知識にて薬草の力を引き出し病に倒れる人々の命を救う医者となった。


 一人は美しい声と多彩なる表現から吟遊詩人となり、歌と音楽で知恵を伝えて回った。


 一人は動物の扱いに長け、植物を育てる術を伝え、点々と世界を放浪した。


 七人の使徒は神々の世界へと戻らず、この世界の一部となり、今でも人々を見守っている。


 何時の日か人々が道を誤る時、姿を現し、我らを導くために。




 内容を簡潔に纏めるとそういう話だった。


 神の奇跡だとか、使徒に試練が課されるだとかもなく、基本的には彼らのお蔭でこの世界の人々は今のような暮らしぶりが出来るので、彼らに感謝しながら生活しましょうということらしい。


 教訓や宗教上の戒律はそれぞれの使徒の一生を描いた中に混ぜられているそうだ。


 だが神父はそこまでの詳細は語らなかった。




「使徒様はどのお方も黒を身に纏っておられました。そこから我々聖職者も黒を纏うようになったのです。葬儀の際に黒が喪服とされるのも、使徒様がお亡くなりになられた時、全ての人々が黒を身に纏うことで悲しみと畏敬の念を表したことからそのように定められております」


「それは知りませんでした」




 元の世界でも喪服は黒と決まっていたから特に疑問を感じなかった。


 まあ、日本の喪服は本来は白だったらしいけど色々事情があって現在は黒だしね。



 

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