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アルマン伯爵と男装近侍  作者: 早瀬黒絵
# The eighth case:Weight of the life.―命の重み―
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雫、十二滴。

 



「そんなことより、ちっこい体で本当頑張ってるよなお前さんも。いやあ、よくやった!!」




 もう一度背を叩かれそうになったので脇へ避けると刑事さんは可笑しそうに笑った。




「捕まえたのが坊主だろうと、それは主人の手柄になるしな。旦那も優秀な従者を持てて羨ましいこった」


「優秀なのは否定しないが手綱を握れない暴れ馬だぞ」


「がはは! 確かにな!」




 事件が収束したことが余程嬉しいのか、何時にも増して軽い調子で刑事さんが伯爵と話す。


 伯爵もやや呆れた風ではあったものの咎めようとはしなかった。


 そして報告を口頭で伝える伯爵の後ろに控えていたアンディさんに小声で問う。




「どうして旦那様とアンディさんはあの空き家に来たのですか?」




 あまりにもタイミングの良い到着だった。


 それが偶然であるとは思えない。




「ああ、ヘレン=シューリスな、やっぱり教会にいたんだよ。包丁を持ってたから、旦那様も俺も咄嗟に銃で動けないようにしようと思ったんだけど、肩や足に弾が当たったのに逃げられちゃってさ」


「彼女が怪我をしていたとは気付きませんでした」


「まあ、当たったって言うか掠っただけ? ビックリするくらい素早かったし」




 出入口から動こうとしなかったのはわたし達を逃がさないためだけじゃなく、もしかすると怪我で極力動きたくなかった可能性もある。


 でも焼けた後はそんなこと気にしていられなかったんだろうな。


「また射撃の練習しないとな」とアンディさんが不満そうな顔をした。


 狙ったのに、弾が掠っただけだったのがお気に召さないらしい。




「森だと動物は獣道を行くから多少先を読めるけど、人間はどんな動きをするか予測するのが難しいからなあ。今回なんて二階から屋根伝って逃げられたんだぜ?」




 逃げたヘレン=シューリスを追ったが敷地の外へ逃げられてしまったという。


 それで逃げた方向にある空き家を調べて行き、あの空き家に辿り着いたそうだ。


 姿を見付けたものの、他の誰かと話してる風だったので様子を見ていたら、突然ガチャンと物の壊れる音がしてヘレン=シューリスに火が点き、わたしとエドウィンさんが窓から飛び出して来て合流したのだ。




「旦那様、あの辺の空き家把握してるとか凄いよな~」


「わたしは毎回地図を見る時に目的地を覚えるので精いっぱいです」


「俺も。地図に載っていれば細い道も分かるみたいだし」


「羨ましいですよねえ」


「本当になあ」



 

 思わずアンディさんと一緒に頷き合ってしまう。


 それと同時に撤収中の本部に警官が入って来て、伯爵と刑事さんにヘレン=シューリスの遺体の搬送が終わったことが告げられる。


 体が焼け焦げているので学院への献体は行わないらしい。


 そういう損壊の酷い献体も受け入れて解剖した方が良いのではと思うが、わたしが口出しするようなことでもないので黙っておこう。


 少し考える仕草をした伯爵がわたし達へ振り向く。


 視線で問われたので頷き返せば伯爵は「私は安置所に寄ってから帰るぞ」と刑事さんへ言った。


 刑事さんも「お疲れ様でした」と伯爵へ頭を下げる。


 その後にこっそり「坊主もお手柄だったな」とワッシワッシ頭を撫でられて髪をぐちゃぐちゃにされたので無言でその足の先を踏み付けてやった。


 ちなみにアンディさんは先に屋敷に戻ることになった。


 伯爵が帰ったら遅めの夕食に入浴にと仕事が押してるから、帰ってもお互いゆっくり出来ないな。


 痛がる刑事さんを置いて、伯爵とわたしで隣接する遺体安置所へ行く。


 外へ出るとまた雪がちらつき始めていた。


 ……せっかくのお出掛けも中途半端に終わってしまったんだっけ。


 何か今日は色々あって普段に増して忙しい一日だった気がする。




「セナ」




 前を歩く伯爵が振り返らずにわたしの名前を呼ぶ。




「はい」


「明日、もう一度教会へ行くぞ」




 まるでわたしの心の声が聞えていたかのようなタイミングで伯爵がそう言った。


 それが気遣いだと分かっていても嬉しかった。




「……はい、楽しみにしております」




 安置所に入り、受付で場所を聞いてランタンと鍵を借りる。


 場合によっては遺族や他の人間が犯罪者の遺体を傷付けることもある。


 死体の損壊は犯罪になってしまうため、犯罪者の遺体は一般の遺体とは部屋を分けた上で鍵のかかる場所に安置されるのだ。


 ランタンと鍵を持って地下へ下りる。


 相変わらず嫌な臭いに満たされた場所だ。暗く、冷たい石造りの壁と天井は圧迫感が強く、遺体が放つ微かに甘みを含んだ腐敗臭に薄っすらと吐き気を感じながらも進む。夜ということもあり人影はない。


 ヘレン=シューリスの遺体は奥まった部屋に移されている。


 その部屋まで歩いて行き、鍵で施錠を解くと扉を開けた。


 伯爵をまず通し、自分も入ったが、漂う焦げ臭さに一瞬足が止まりかけた。


 人間の体が焼けた時の臭いは形容し難いものだった。少なくとも動物の肉の焼ける臭いとは違う。もっと生臭くて、どろりとしていて、饐えたような、そんな臭いだ。


 布のかけられた膨らみが一つだけポツンと部屋にあった。


 伯爵と共に近付き、そして布を外そうとした手に伯爵のそれが重なる。




「大丈夫か?」




 何が、なんて聞き返すまでもなかった。




「分かりません。でも、事実に向き合いたいんです」




 そう言えば伯爵の手が黙って離れていった。


 少しだけその体温に後ろ髪を引かれながらも顔を正面に戻す。


 一度は顔を見てるので分かってはいたけれども、炎に巻かれたわりには綺麗な顔立ちだった。全体は黒く焦げ、衣類も殆どなくなり、しかし肌は妙にツヤツヤとしていた。燃えていた時間も短いので完全には炭化していない。


 額に出来た銃創もこの大火傷も全てわたしがつけたものだ。


 誰かがやったのか瞼は閉じられている。


 その死に顔を忘れないようにしっかりと脳裏に刻み付ける。




「……わたしは、人を殺したことなんてない」




 当たり前だけど元の世界では誰かに刃物を向けたことも、手を上げたこともなかった。


 そういう状況にならない世界というものがどれほど平和で幸福なことなのか、この世界に来てから何度も思い知った。この世界では元の世界よりも死が身近にあって、それが当たり前なんだ。


 ココで生きて行く以上は誰かを傷付けることも覚悟していた。


 でも、人を殺す覚悟なんてなかった。




「それでもあなたを殺した。本音を言うと、ちょっと……かなり後悔してる……」




 殺した瞬間は心臓が早鐘を打った。体が芯から冷えた。


 銃の衝撃も、音も、飛び散る赤も、全てが記憶に残ってる。


 人の命を奪うのはあまりにも簡単だった。


 ただ安全装置を外し、ハンマーを起こし、そして引き金を引くだけだった。




「あなたは沢山の子供を、人を殺した。だから――……」




 自業自得だと続けようとした言葉が出て来なかった。




「ううん、わたしはわたしの世界を壊されたくなかった。傷付けられたくなかった。死にたくなかった。壊されないために。傷付けないために。死なないために。あなたを殺した」




 犯罪者だからその命が軽いだなんてこともまた、ありはしない。


 結局、同じ人間の命に変わりはない。


 その命の灯をわたしはわたしの意思で吹き消した。


 握り締めた手の平が痛い。でも本当に痛いのは心だ。今頃になって漸く恐怖がやってくる。殺される恐怖と殺す恐怖なら、殺す恐怖の方が怖いのだと初めて知った。


 元の世界で生きていたらきっとそんなの知らずにいられたのに。


 零れそうな涙を更に手を強く握り締めることで我慢する。




「わたしはあなたを恨んでる。イルの兄を……アルディオを殺したことは、許さない」




 人を殺したことに後悔はしてる。


 だけどアルディオの仇を討てたことに後悔はない。


 こんなことイルにさせるくらいなら、わたしがやれて良かった。




「だから、あなたもわたしを恨めばいい」




 わたしがあなたを恨むように、あなたもわたしを恨め。


 それでわたし達はおあいこだ。


 文句ならばあの世で聞こう。


 同じあの世に逝けたらの話だけどね。




「……あなたが主の御許へ召され、その御魂に平安が訪れますように」




 あなたが死んで悲しむ人がいるのかどうかも分からないけれど。


 殺したわたしに悼まれるなんて腹立つかもしれないけれど。


 それでも心から願う。


 子供を殺す前の、善良だっただろうあなたに戻れますように。




「……セナ」




 伯爵に名を呼ばれて顔を上げる。




「殺人鬼のために祈るのはおかしいでしょうか?」




 殺された子供の知り合いや友人は怒るだろうか。


 殺された人々の遺族はそんなことをするなと言うだろうか。


 これもわたしの自己満足に過ぎないことは分かっている。




「いや、誰のための祈りであっても、それは尊いものだ――……多分」




 伯爵の正直な返しについ苦笑が漏れてしまった。




「断言してはくださらないのですね」


「感じ方は人それぞれだからな。だが、私はそう思っている」




 慰めるようにそっと伯爵の手が肩に触れた。


 何となく「お前の気持ちは理解出来る」と言われたような気がした。


 伯爵もこういう経験があるのだろうか。


 ……今までの状況を考えれば、ない方が不自然かもしれない。


 気にはなるが聞くのは流石に(はばか)られた。


 ヘレン=シューリスの遺体に布をかけ直し、両手を合わせ、立ち上がる。




「お付き合いくださり、ありがとうございます」




 視線で「会うか?」と聞いてくれたお蔭で最後にきちんと会えた。


 礼を述べると伯爵は「私は何もしていない」と顔を背けた。


 それが照れ隠しなのはバレバレだった。




「用を済ませたなら帰るぞ」




 わたしの手からランタンを抜き取り、伯爵が歩き出す。


「はい」と返事をしてその背を追い駆けた。


 冷たい石造りの地下は暗く、伯爵の持つランタンだけが頼りだ。


 オレンジ色に照らされる背中をこの世界に来てから追い駆け続けている。


 暗く、先も見えない世界だけど、あなたの側にいられて良かった。


 わたし一人では踏み出せない時は伯爵がこうして歩かせてくれるから。




「…………ありがとう、クロード」




 そう呟けば伯爵が振り返った。




「何か言ったか?」


「いいえ、何でもございません」




 聞こえてなかったか。


 残念なような、ホッとしたような、複雑な気持ちだ。


 訝しげに眉を寄せる伯爵を促した。




「さあ、お屋敷に帰りましょう」




 何時かまた、今度は面と向かって呼んでみよう。





 

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