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アルマン伯爵と男装近侍  作者: 早瀬黒絵
# The eighth case:Weight of the life.―命の重み―
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雫、十一滴。

 



 だが、愛という大義名分があれば何をしても許される訳じゃあない。


 ヘレン=シューリスは愛を追い駆け、愛に狂い、愛に嘆き、愛のためならばと非人道的なことを行う自分を愛してる。恋に恋するお年頃が悪化して熟した挙句に腐った風にわたしには見えた。


 結局は自己愛だ。彼女のそれは愛というには身勝手過ぎた。




「だから主は祝福しないし、報われない」




 もう、これで終わりにしよう。


 持っていたランタンを彼女の膝の辺りへ投げ付ける。


 ヘレン=シューリスは避けようとしたが出入口の真ん中に立っていたため、左右どちらにも逃げるスペースはなかった。後ろへ下がるために身を引いたが遅かった。


 彼女の膝にぶつかったランタンが地面に落ちて硝子が砕けた。中に入っていた油が地面に零れ、まだ消えていなかった火がそれに引火して一気に燃え広がり、彼女を足元から呑み込んだ。




「あぁああぁっ?!!」




 この世界の服に耐火性なんてものは存在しない。


 あっという間にヘレン=シューリスは火だるまになった。




「セナ君、こっちだ!」




 後ろからエドウィンさんに腕を掴まれ、ヨロヨロと近付いて来た彼女から引き離される。


 そのまま雨戸の外れた窓より外へ逃げ出す。


 外へ飛び出せば、家の木々の陰に隠れていた伯爵とアンディさんが姿を現した。


 ……やっぱりいたか。空気が入って来た時、ほんのりとだが伯爵が愛用する香水の匂いがしたのだ。




「セナ、エドウィン! 無事か?!」




 家の出入り口へ銃を構えて警戒するアンディさんの脇から伯爵が駆け寄ってくる。


 怪我がないか確かめようと伸ばされた手を掴んで止めた。




「エドウィンさんもわたしも傷一つありませんよ。でもその代わりにランタンを一つ、ダメにしてしまいました。申し訳ございません」




 多分、結構高いランタンだったと思う。


 普通のものより小型で持ち運びしやすく、しかし光量は申し分なくあった。


 あれはその辺りで売っている量産型のランタンではないだろう。


 家から聞こえる獣のような悲鳴と明かりを見て悟ったのか伯爵は首を振った。




「そんなものは構わん。どうせ何時かは壊れる物だ」




 伯爵の言葉にホッとする。貴族の使うものは大抵べらぼうに金がかかってる。


 わたしのものはランクは落ちるだろうけど、平民が使うには良過ぎるものだった。


 給金何ヶ月分とか言われたら地味に(つら)い。


 一際大きな叫び声に全員の視線が家へ移る。


 足元に落ちていた屋根の残骸にも燃え移ったのか古びた家は煌々と明かりが灯った。


 石造りなので延焼はしなさそうだが屋根や窓枠などは少し不安だ。


 パチパチと火の爆ぜる音と共に嫌な臭いが漂ってきた。焦げ臭く、生臭い、鉄のような血の臭いが混じってる。完全に焼け死ぬかどうかは賭けだ。


 空き家から漏れる明かりに気付いたのか騒ぎを聞きつけたのか、ランタン持ちとそれに気付いた巡回中の警官も集まって来たが、誰もが一様に漂う臭いに顔を顰めた。


 警官達は近くの小川から水を汲んできて出入口から室内へ撒く。


 何度かのバケツリレーで大体火は消えたみたいで、それでも白い煙と焦げた跡が遠目にも見えた。


 エドウィンさんが警官を一名連れて中へ入る。


 他の警官達はまだ燻る火に水をかけていた。




「……生きていると思うか?」




 伯爵の問いにわたしは顔を家へ向けたまま「さあ」と返した。




「炎で死ぬ場合、熱風や煙を吸い込むことで肺や気管が(ただ)れ、呼吸が出来なくなるのが死因だと聞きますけど、あの場合はショック死もありえますので」




 個人的にはもう二度と会いたくないし、イルのためにも死んで欲しい。


 よくよく考えたらアルディオの敵討ちになるのかなあ。




「そうではない。お前にとってはどのような状態であっても生きていた方が良いのではないか? その、これでヘレン=シューリスが死んだら――……」





 伯爵の言葉の途中で獣のような咆哮と銃声が家から響く。


 思わず駆け出した背後で伯爵がわたしを呼ぶ声がした。


 それを振り切って家の出入口へ駆け寄り、中へ飛び込めば床に倒れて右肩から血を流すエドウィンさんと、腰の抜けた警官、そして殆ど焦げたヘレン=シューリスが立っていた。


 あの炎でもまだ生きているとはしぶとい。


 あれで死ねれば苦しみも続かなかっただろうに。




「――ゅ……さ、ぃ……」




 喉が焼けたのか声が掠れている。


 だがわたしと目が合うと濁りかけた瞳に怒りが宿る。




「こ、す……ころ、す殺す殺す殺す殺す殺す!」




 焼けた喉を傷めるのも構わずにわたしへ焼けた包丁を持って襲いかかってきた。


 でも悲しいかな、その動きはややぎこちない。


 焼けて固くなった肌が動く度に音を立て、肌が切れて隙間から血が滲む。


 表面だけこんがり焼けてしまったのだろう。


 エドウィンさんの倒れている右斜め前へ前転して避ける。帽子が取れたが構ってる暇はない。警官の持つランタンのお蔭で室内は照らされており、転がるついでに取り落された拳銃を拾う。


 この世界の拳銃の扱い方も習ったし撃ったこともある。


 ……まあ、命中精度は教えてくれた伯爵が首を傾げるほど低かったが。


 転がった勢いで起き上がり安全装置を外す。


 振り返れば避けられてよろけたヘレン=シューリスが同じく振り向くところだった。




「しね、ぇえええ……っ!」




 包丁を腰高に構えて駆けて来る彼女に向かい合う。


 避けることも出来るが、あえて避けずに受け止めた。


 ビリリと衣類の破ける音と金属同士の擦れ合う甲高い音が響き渡る。


 まさか何の勝算もなく迎え入れた訳じゃあない。


 手元が狂って前のめりに倒れて来るヘレン=シューリスの額に銃口を押し当てる。


 この距離なら下手くそだろうが命中率が低かろうが関係ない。




「――――……さよなら」




 彼女が何かを口にする前に引き金を引いた。


 乾いた破裂音に衝撃、そして目の前の彼女の額に穴が開き、後頭部から血や頭部の破片、脳漿などが彼女の背後へ舞い散った。一瞬で力の抜けた体が慣性の法則に従いこちらへ倒れる。


 咄嗟に後ろへ下がれば物言わぬヘレン=シューリスはドサリと床に倒れ伏した。


 ……近過ぎたか。少し服に血が付いてしまった。


 握り締めた銃を誤射してしまわないように左手で安全装置をかけ直す。


 練習の時と大差ない衝撃と音だった。だけど人の頭が吹き飛ぶ音や臭い、光景は恐らく二度と忘れられない。銃口が額に触れた感触がまだ手の平に残っていた。


 それらを振り払って床に座り込むエドウィンさんへ足早に歩み寄った。





「失礼致します」





 銃を脇へ置いて上着のポケットからハンカチを出し、エドウィンさんの右肩に当てると一瞬痛そうな顔をされたが気付かない振りをして圧迫する。




「勝手に銃を拝借してしまい申し訳ございませんでした」


「いや……。君の方は大丈夫なのか? 先ほど包丁で脇腹を……」




 肩を押さえながら問い返されて苦笑が漏れる。




「大丈夫ですよ。こういう事態もあるかと思い、身を守るための防具を付けておりますので」




 切れた左脇腹の衣類を少し広げて見せる。


 腰回りを覆う厚手の生地が僅かに顔を覗かせた。


 エドウィンさんはそれに目を丸くして「なるほど」と安堵の表情を浮かべた。




「このまま押さえた状態でお医者様に向かってください」


「ああ、分かった」




 銃の安全装置を戻し、エドウィンさんの左脇のホルスターへ戻す。


 後は警官に任せて家を出ると伯爵が仁王立ちで待ち構えていた。


 しかしくすんだブルーグレーには心配の色がありありと浮かんでいた。


 同じ青系統なのに彼女の青い瞳と伯爵の瞳は全然違う。




「無茶なことや危険なことはするなと言っているだろう!?」


「すみません、つい体が動いてしまって……」


「怪我は? 脇腹の服が切れてるが、まさか包丁で切り付けられたのか?」




 眉を顰めた顔はともすれば不機嫌に見えるかもしれないけれど、これは伯爵が心配している時の顔だ。


 本気で不機嫌になると完全な無表情になるから分かる。


 伸ばされた手が頬に、それから切れた左脇腹の服に触れた。


 その指がステイズに気付くと一瞬瞳を鋭くしたが、指先の感触に違和感を感じたのだろう。何かを辿るように動く指にわたしは種明かしをする。




「実は腕に張って上手くいかなかった鉄板をステイズの布の隙間に挟んでみたんです」




 鉄板は縦十センチ横五センチだったので、金属加工に多少詳しいという門番の一人に聞いて、その人と一緒に腰回りのサイズを測って鉄板をそれに合わせて曲げたのだ。


 大振りな剣には負けるが小さなナイフや包丁くらいなら何とか持つだろうと言われていた。


 実際、ヘレン=シューリスに刺されそうになったが鉄板のお蔭で軌道がズレ、衝撃は少し痛かったが我慢出来ないほどのものでもなかった。優秀な防刃ステイズになったものだ。


 ただあくまで腰回りに限ってのことなので胸を狙われていたら危なかった。


 胸は肋骨などがあるので、人が咄嗟に狙うのは首や骨のない脇腹部分が多いのではないかと思いステイズに縫い付けたが今回は正解だったらしい。胸や背中までは流石に重くなるので覆えない。そこまでするくらいなら鎖帷子(チェーンメイル)でも着た方が確実だろうし、そちらも重過ぎてわたしには向かないだろう。




「まだあの鉄板を持っていたのか」


「捨てませんよ。勿体ない」




 はあ、と息を吐いた伯爵の顔が近付き、こつんと頭にその額が当たる。


 顔の距離が凄く近い。いや、わたしもこの前やったけど。


「本当に無事で良かった……」と呟く声に泳ぎかけた視線を正面へ向ける。




「……申し訳ございません。御迷惑をおかけしました」




 事件が起きる度に伯爵に心配をかけているのは分かっている。




「迷惑ではないが、心配はしている」


「怒らないのですか……?」


「そうだな、ハッキリ言って腹立たしさはある。毎回、何度言っても火に飛び込んで行く虫の如くお前は危険に身を投じるからだ。だが私はお前を怒鳴り付けたい訳でも、行動を縛りたい訳でもない」


 

 



 伯爵が懐から出したハンカチでわたしの頬を拭くと赤いものがべったりと付いた。


 気付かなかったが顔にも少しかかったのだろう。


 顰められていた眉が困ったように眦を下げる。近い場所にあるブルーグレーの瞳の奥には触れるのも躊躇われる激情がチラつき、息が詰まりそうになった。


 ……なんて目でわたしを見るんだ、この人は。




「……ただ心配なんだ、セナ」





 伯爵らしくない気弱な声が囁く。


 そんな風に言われ、見られては勘違いしてしまいそうになる。




「……その、これからはもっと善処します……」


「『もうしない』と言わないところがお前らしいな」


 


 呆れ気味にフッと微苦笑を浮かべた伯爵の手がわたしの頬を撫でる。


 壊れ物に触れるような手付きに心身共に落ち着かなくなる。


 そこで、ゴホンとわざとらしい咳の音が伯爵の斜め後ろから聞こえてきた。


 視線を向ければアンディさんがもう一度、今度はコホンと軽めの咳をし、伯爵の背に「旦那様、心配なさるのはよろしいですが今の状況をお忘れではございませんか?」と言う。


 我に返ったのは伯爵が慌てて顔を離したが目尻が赤くなっていた。


 自分からやっておいて何を照れているんだか……。


 伯爵の慌てる姿にわたしは逆に冷静になれた。


 家へ目を向ければヘレン=シューリスの遺体が運び出されるところだった。


 安置所へ持って行くのだろうな。焼け焦げ、後頭部が欠けた彼女を見送る。


 今回は身の危険だったから生きて捕らえるのを諦めた。


 でももしかしたら、これ以上彼女に煩わされるのが嫌だったのかもしれない。




「また似たような場面に陥っても、もしも時間を巻き戻せたとしても、わたしは同じ選択を選びます」




 それが正しいなんて思ってないし、そう思われたくもない。


 わたしはわたしにとってその時に最良と思ったことを成すだけだ。




「この先苦しむと分かっていても、この光景を夢に見るほど悩んでも。何度後悔しても。……それでも生きる道を選びます」


「……そうか」


「わたしは女性と子供には優しくしますが、犯罪者には手加減しないんですよ」




「御存じありませんでしたか?」と茶化し気味に聞けば「いいや、知っている」と返される。


 現場は他の警官に任せ、エドウィンさんは医者に、わたしとアンディさんは伯爵に付き従って警察署へ向かうことになった。


 黒毛の馬に乗って伯爵とアンディさんの馬の後を追う。


 冷たく体の芯まで凍える空気の中、先ほど触れられた頬がまだ温かいような気がした。






* * * * *






「よお、坊主! お前が捕まえたんだってな!」




 警察署へ戻ると先に一報を受け取っていた刑事さんに笑顔で背を叩かれた。


 相変わらず力加減のない強さによろけつつも返事を返す。




「捕まえたのではなく殺したのです。生け捕りに出来ず申し訳ありません」




 警察としては生きていてくれた方が話を聞けただろう。


 脱獄も、脱獄後の逃走中のことも聞いておきたかったはずだ。


 だけど刑事さんは気にした風もなく笑う。




「まあな。それは残念だけどよ、エドウィンの危機を助けたって聞いてるぜ。あいつは優秀で、そのうち俺の部下になるからな。此処で死なれちゃあ困るんだよ」


「部下? 今は違うのですか?」


「ああ、俺の方が役職が上だからこき使ってるだけだ。伯爵と警察の橋渡し役ってのはこう見えて結構忙しくてな、そろそろ補佐が欲しいと思ってたんだよ」





 こき使うって、エドウィンさんも大変そうだなあ。


 しかし刑事さんってそういう役割も担っていたんだ。


 言われてみれば警察から届く手紙や書類の送り主は大抵リディングストン侯爵家か刑事さんだ。


 感謝状に限っては色んな人から届いているけれど、仕事に関するものはどちらかを通さないと依頼出来ない仕組みなのかもしれない。



  

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