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アルマン伯爵と男装近侍  作者: 早瀬黒絵
# The eighth case:Weight of the life.―命の重み―
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雫、十滴。

 



 こういう時に携帯電話や無線機などがないのは非常に不便だ。


 聞きたいことがあっても相手と連絡を取り合う手段がない。




「次へ行こうか」


「はい」




 エドウィンさんに促されて外へ出る。


 二頭の馬は道端でわたし達を待っていたので、褒めるようにその顔を撫でてやる。


 それから馬へ跨って次の目的地へと走り出した。


 元の世界と違い、平民は夜に起きていることが少ない。それは蝋燭や薪など火を点けるためのものを購入する費用を少しでも少なくするためだ。労働階級やそれ以下の平民は毎日ギリギリの生活の者が多い。


 そのために日が沈んだら眠り、日が昇る頃には起きて活動するのが普通である。


 夜の街中を馬で走っても擦れ違うのは辻馬車か貴族の馬車くらいのものだが、貧民街に近いこの辺りでは貴族の馬車が入ることなど滅多になく、今のところ辻馬車と何度か擦れ違った程度だ。


 後は走りながら巡回中の警官やランタン持ちも見かけた。


 二箇所目は離れておらず、短時間で到着した。


 そこは一箇所目よりも広く、三階建てで、貧民街近くにしては石造りの良い家だった。




「随分立派な家なのに空き家ですか……?」




 馬から降りながら零せばエドウィンさんが呆れ気味に家を見遣った。




「貧乏だった男が偶然得た大金で家を改装したそうだ。自慢して回っていたらしいがそのせいで強盗が押し入り、家の中にあった金品を奪われた上、殺されたらしい。近隣住人には嫌味ばかり言っていたので争う声がしても誰も助けに来なかったようだと知り合いの警官が話していた」




 うわあ、死んだ人の悪口言う訳じゃないけど余程嫌われていたんだな。


 大抵は何か事件が起こると周囲にいる人間が助けようとする。


 勿論、警官も呼ぶが、軽微な犯罪では市民達が犯人を捕まえることもよくある。




「そのように自分で自分の首を絞める典型的な事件もやはりあるのですね」


「どちらかと言えばそういう事件の方が多いな。被害者の方に原因のある事件は処理にも対応にも困るんだ……」


「……毎日大変な御苦労をされていらっしゃるということがよく分かりました。何時も街の治安を維持してくださり、ありがとうございます」




 深い溜め息に労わりの言葉をかけるしかない。


 エドウィンさんは「此方こそありがとう」と言い、小さく頭を振ると気を引き締めた。


 三階建てと言っても一階一階は狭い。扉は内側から鍵がかかっていたが、横の窓は雨戸が外れて開きっ放しになっていたため、そこから失礼して中へと入る。


 強盗が入った時のままなのか、その後にやられたのか、室内は荒れていた。


 空の棚は開いたままだし座る部分が敗れた椅子は倒れ、テーブルは斜めにズレて、奥へ続く扉など壊れている始末だ。あれは人為的に壊されたのだろう。


 一階、二階、三階と見ていったがどの部屋も荒れているばかりで人影はない。


 家具に布がかかっていないところを見るにココは誰かの所有地ではないのかもしれない。住んだとしても強盗が押し入って前の住人が殺されたという話を聞いた後では居心地も悪そうだ。


 人の気配のない屋内の捜索は意外にもあっという間に終わった。




「最後はあの教会の近くだ。捜索を終えたらアルマン卿と合流しよう」


「そうですね」




 若干の嫌な予感を感じつつ馬の背に乗る。


 こういう時の勘は嬉しくないが当たるので警戒しておこう。


 わたしの緊張を感じ取って少し落ち着かない様子の馬の背を優しく撫で、ゆっくりと深呼吸をして波立つ心を鎮めれば馬もすぐに元の穏やかな動きに変わる。動物は他の生き物の感情に敏感だ。特に馬は人の感情をよく感じ取る。


 ココでわたしが心を乱していてはならない。


 走り出したエドウィンさんの馬の後ろを走りながらそう言い聞かせる。


 何か起きたとしても警官のエドウィンさもいる。巡回の警官やランタン持ちだっている。


 けれど嫌な予感は消えてはくれなかった。


 警察署から一箇所目向かう時間の倍ほどをかけて三箇所目に到着する。


 三箇所目は前の二つよりも大分古びた家だった。


 蜘蛛の巣は張り放題、雨戸は開いた状態で外れかかり、家全体は石造りだが一目で傷んでいることが分かる。空き家というより廃屋に近いが入っても大丈夫だろうか。叩けば簡単に壊れそうだ。周りには伸び放題の木や草が鬱蒼と生い茂り、家はそれに覆われかけていた。


 馬を降りたエドウィンさんにわたしも黒毛の馬から降りる。


 そっと寄せられた顔を撫でて空き家へ向かった。




「人の気配はないな」




 銃を構えたままエドウィンさんが呟く。




「殺されて遺体を隠すために埋められた女性の幽霊が出てきそうな雰囲気がございますね」


「……随分具体的な例えだが、確かに幽霊が出ても不思議はないかもしれないな」




 思わず二人で顔を見合わせ、そしてどちらからともなく視線を外して扉へ手を伸ばす。


 扉に鍵はかかっていなかったものの、エドウィンさんが開けようとしたらそのまま扉が外れてしまい、それを出入口の脇へ置いて中へと入る。中も傷んでおり、気を付けないと床を踏み抜いてしまいそうだ。


 長年放置されている間に盗まれたか、持ち出されたのか、家具は一切見当たらない。


 一階建てだが奥に部屋があるようだ。


 足元に落ちていた板を拾い、上を見上げれば屋根が崩れて、隙間から夜空が覗く。拾った板は屋根の残骸らしい。よく見れば出入口辺りからこの辺まで屋根の残骸が散らばっている。


 ……いやいや、これ空き家じゃなくて完全に廃屋じゃん。人住めないって。


 エドウィンさんが奥の扉に手をかける。


 カタン、と背後で何かのぶつかる小さな音がした。




「――――……あら、どうして此処にいるの? セナ」




 ねっとりとした女の声に振り返り様に手に持っていた板を投げ付ける。


 しかし、カンと良い音を立ててそれは弾かれた。




「それはこちらの台詞です、ヘレン=シューリス」




 出入口を塞ぐように立つ女が口角を引き上げる。


 ダークブロンドの髪は以前に見た時よりもくすみ、その奥にある青い瞳だけは爛々と輝く。


 背後でエドウィンさんが動く気配があったけれど立ち位置が悪い。




「警官さん、それ以上動くのはやめてちょうだい。もし一歩でも動いたらセナの体にこの包丁が突き刺さるかもしれないわよ?」




 ヘレン=シューリスとの距離は二メートル弱。エドウィンさんとの距離は三メートルちょっとか。もしも襲いかかられた時に取り押さえてもらえる希望は薄い。


 そしてヘレン=シューリスのだらんとぶら下げられた両手には包丁が二つ。


 あれでは流石に腕の細い薪では持ち堪えられない。一撃は兎も角、次は厳しい。




「お久しぶりですね。前にお会いしたのは半年ほど前でしょうか?」




 現状、襲いって来ないように会話で時間稼ぎをするのが最善か。




「ええ、そうね、大体それくらいかしら」


「このような再会は望んでおりませんでしたが」


「それは残念。でも貴方には思うところがあったから、私は会えて嬉しいわ」




 話しながらもヘレン=シューリスの意識はわたしとエドウィンさんの両方へ向けられている。


 どちらか片方が大きく動きを見せたら、恐らく襲いかかる気だ。


 力なく下がっていた腕は動き、両手の包丁の刃を互いに研ぐように滑らせる。


 シャッ、シャッ、と響く高い音は酷く耳障りだった。




「ねえ、ハーパー孤児院も教会も閉鎖してしまったのは何故?」




 不気味な音を鳴らしながら問いかけられる。




「原因は二つあります。一つはあなた」


「私?」


「地下の惨状を知ってしまった以上、あの場所に他のシスターや子供達が住むことは出来なかったのです。あのまま孤児院に住んでいれば全員が悲しみから抜け出せない。あそこから引き離す必要がありました」




 死体が大量にあった場所で子供やシスターが心健やかに生活出来るはずがない。


 関係のない別の教会と孤児院に移動させることで、少しでも物理的な距離を置きたかった。少なくとも普段の生活でその場所を目にしないだけでも充分心的ストレスは緩和されると思う。


 ヘレン=シューリスはつまらなさそうに「そう」とだけ返した。


 やはり教会のこと自体には興味がないらしい。




「もう一つは神父がいなくなったから。聖職者のいない教会ではミサや儀式が行えません。それ故にあの教会は閉鎖されることとなり、孤児院の子供達もシスター達も他の教会へと移ったのです」




 神父という単語を出すとヘレン=シューリスの目がギラリと光る。




「それよ。アーロン様は神父をお辞めになられたのでしょう? 聖職者でなくなったのはきっと主が私とアーロン様の婚姻をお許しくださったから。それなのに、どこにいらっしゃるのか分からないなんて……」




 はあ、と伏し目がちに熱のこもった溜め息が吐き出される。


 相変わらずアーロン元神父に御執心なんだな。




「ずっと考えていたの。この半年間、獄中で酷い毎日を過ごしたわ。周りは凶悪犯罪者ばかりで、彼女達は私に『子供を殺すなんて血も涙もない』と詰るのよ。私はあの人達と違って崇高な目的のための行いだったのに。金や物欲しさに安易に人殺しをするような人達に言われたくないって思ったわ」




 怒りを感じているのか心外そうに眉を寄せる様にわたしは内心で『どっちもどっちだ』と思ったが黙って置いた。それがヘレン=シューリスの勘に障るのは分かっていた。




「それで脱獄したと?」


「まさか、嫌な気持ちにはなったけれど私は寛大だもの。彼女達の態度に目くじらを立てたりしないわ。ただアーロン様にもう一度お会いしたかったの」


「今更会ってどうするというのですか?」


「勿論、結婚するのよ」




 さも当たり前のことのように言う。


 まあ、そうだろうとは見当が付いていたが本気でそうなれると信じているのだろうか?


 開け放たれた出入口から冷たい空気が流れ込んでくる。


 暖炉に火が灯っていなくとも、壁があるだけで内と外では温度差があった。


 片手に持ったランタンの火が風に揺られて壁に映るわたしの影も揺れる。




「それでアーロン様は私を置いてどこに行かれたの?」


「生まれ故郷に帰ったそうですよ」


「そんなことは分かってるわ。その場所を聞いてるのよ」




 苛立ち混じりの声が鋭くわたしに返事をする。


 シャッ、シャッ、と包丁の滑る音も感覚が短くなった。




「おや、御存じないのですか? 失礼、結婚する相手の生まれ故郷も知らないとは思いもしませんでした」




 愛してると言うわりには想い人の情報を知らないらしい。


 包丁の動きがピタリと止まる。


 解れた髪の向こうから青い瞳がギラリと睨む。




「……何が言いたいの?」




 睨み付けて来るヘレン=シューリスにわたしは笑う。




「あなたは本当にアーロン元神父を愛しているのかと疑問に思ったのですよ」




 また出入口から冷たい風が吹き込んだ。


 ランタンの火が忙しなく揺れる。消えそうなのが少し心配だ。




「愛してるわ。とっても。誰よりも。あの人のためなら何だって出来るもの」




 自信満々にそう言ったヘレン=シューリスにわたしは小首を傾げてみせる。


 本当に不思議そうに視線を僅かに斜め上へ上げ、そして正面に戻して彼女を見る。


 そして彼女が不愉快になるだろう言葉を投げかけた。




「そこが不思議なんですよ。あなたはアーロン元神父を愛してると言いながら、そのアーロン元神父が想いを寄せた子供を殺し続けた。何故でしょう?」




 愛する者を苦しめるようなことを彼女は続けていた。


 最初は本当に嫉妬心からだったのかもしれない。


 それがアーロン元神父に振り向いて欲しいと思う気持ちになり、そのために美しくなりたいと願い、そして子供達の血肉で若返るなどという迷信に惑わされ、のめり込んでしまった。




「あの子達ではアーロン様に不釣り合いだったからよ。私と結ばれるはずなのに。きっと主が私達にもらたらした試練なのだと思った。障害は排除しなきゃね」


「そういうことではありませんよ。アーロン元神父が想いを寄せる者を殺せば、当然彼は悲しむ。心の底から愛しているならあなたは子供を殺すなどということをせず、本心を伝えるべきだったのでは?」


「伝えたわ。でも聖職者は婚姻は出来ないと言われたのよ。それなら婚姻しなくても良いから側に置いてくれと懇願したわ。だけどアーロン様は首を縦に振ってはくださらなかった。……分かる? あの子達へは情けをかけるのに、私には何一つ与えられないのよ?!」




 感情のままにガツンと包丁の柄が出入口の脇へ叩き付けられる。


 そこへ更に彼女が動揺する言葉を浴びせかけた。




「それは愛なんかじゃあありません。執着、独占欲、どちらにせよ恋に狂った者の持つそれは主が祝福してくださるような素晴らしいものではない」


「違うわ! 私はアーロン様を愛してる! これは間違いなく真実の愛よ!!」


「いいえ、それはあなたがそう思っているだけですよ。本物の愛は見返りを求めない。相手のために何かしたい、力になりたい、支えたい。――……愛とは献身なんです。あなたの感情は愛と呼ぶにはもっと醜悪で、汚くて、自己満足な感情だ。わたしには、あなたが真に愛するのはあなた自身に見える」




 愛は真心、恋は下心とはよく言ったものだ。


 そしてわたしは少しばかりヘレン=シューリスに同情していた。


 誰かを想う気持ちに気付いてしまってから、それがどれだけ苦しいのかも知った。


 何年も同じ相手を想い続けて報われないのは(つら)いだろう。



 

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