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アルマン伯爵と男装近侍  作者: 早瀬黒絵
# The eighth case:Weight of the life.―命の重み―
74/120

雫、七滴。

* * * * *






 翌日、警察署に行くと本部のテーブルの一つに一束分の書類が鎮座していた。


 それを刑事さんやエドウィンさんなどの主だった人々が読み、地図と掲示板にあれこれと記していく。


 伯爵も適当な一枚を手に取って視線を落とした。


 後ろからその手元を見てみればヘレン=シューリスらしき人物の目撃情報だった。


 許可を得て他の書類にも目を通していくけれど、どれも、それらしい人物の目撃情報だ。


 一晩でよくもまあ、これだけ集められたものだと呆れてしまう。


 恐らく伯爵に打診されるずっと前から何らかの伝手を貧民街に持っていたのだろう。


 そうでなければこれほどの量の情報を用意出来ないはずだ。


 邪魔をしないよう書類を元の位置に戻し、地図と掲示板を眺める伯爵の少し離れた後ろに控える。


 数人で一時間ほどかけて情報の書かれた両者をわたしも眺める。




西(スド)方面の貧民街に潜伏してるのは間違いないな」




 何が目的なのか、ヘレン=シューリスは王都の西側の外壁沿いをウロついてるようだ。


 暫くその情報を眺めていたけれど、わたしはあることに気が付いた。




「旦那様」




 そっと小声をかければ伯爵が反応して振り返る。




「どうした」


「可能性の一つに過ぎない話です。それでもよろしいでしょうか?」


「構わん、話してみろ」




 頷く伯爵に、わたしは失礼させてもらって地図を覗き込む。


 もう何度も見て形を覚えた王都のある一角を指し示す。


 わたしにも、伯爵にも、エドウィンさんや刑事さんにも覚えのある場所。




「ヘレン=シューリスはココを目指していたのかもしれません」




 そこはイルフェスが元々いた教会と孤児院だ。




「待て待て、何だって脱獄した奴が教会なんかに行くんだ? こんなところに行くより逃げるのが先だろ」




 刑事さんが待ったをかける。


 当然だ。わたしでも正直理解しがたい思考だと思ってる。




「普通であれば、ね。でも彼女は違います。神父に懸想するあまり、その神父と親しい孤児を殺し、血肉で若返ると信じていたあのヘレン=シューリスですよ。恐らく神父に会いに行ったかと」




 エドウィンさんが眉を顰める。




「だがアーロン神父は故郷の田舎に戻ったはずだ」


「ええ、その通り。しかしそれは彼女が投獄された後の話で、知らなかったのでしょう。愛する男の下に行ってみたら教会も孤児院も封鎖され、既に人っ子一人いない上に、男の行き先は分からない。……彼女はアーロン神父の行方を知りたくて教会周辺にいる可能性があります」


「だが死刑囚だぞ? 近くに住んでる奴らが気付かねえか?」




 刑事さんの指摘にわたしは首を振って否定した。




「ヘレン=シューリスという死刑囚が脱獄したと報じられたのは今朝の新聞です。つまり、今朝までは王都の人々の大半が彼女のことを知らなかった」


「あー……、そういやそうだったな」




 ガリガリと頭を掻きながら刑事さんが「すっかり公開した気になってたぜ」とぼやく。


 その気持ちは分かる。刑事さん達は既に一昨日の夜には知っていたのだ。


 テレビもラジオも電話もない世界では情報を得る手段が限られてしまう。


 平民が大きな事件を知るのは大抵終わった後だ。


 今回のように事件中に新聞に載る方が少なく、教会周辺の人々が一般人の服装に着替えたエレン=シューリスに話しかけられたとしても、それが死刑囚だとは気付けない。元より顔見知りを避けて行動してる可能性が高い。


 だが今朝の新聞を見た時点で昼間の行動は控えるはずだ。




「動き出すとしたら夜でしょう」




 顔の見えない夜に、一体何をするつもりなのかは不明だが。




「ああ、そうだろうな。ランタン持ちの数は増やせるか?」


「あと五十くらいなら何とか。掛け持ちの奴らにも声をかけてみますよ」


西(スド)方面に集中するよう通達もしておけ」


「分かりました」




 伯爵の言葉に刑事さんとエドウィンさんを含めた人々が慌ただしく動き出す。


 そうして振り返った伯爵がわたしとアンディさんを呼ぶ。


 アンディさんはずっと部屋の出入り口の脇で待機していた。




「セナは一度戻り、アランに言って人数分のランタンと狩りに使う衣類、馬を用意しておけ。衣装のうち一人分はお前のだ。前以て着替えて準備を整えておくように」


「畏まりました」


「アンディ、お前は私と共に公示人の下へ行くぞ。西(スド)方面の人々に夜間の外出を控えるよう触れを出させる。……手持ちの金はあるな?」


「はい、公示人を雇っても問題ない程度には持って来ております」




 さて、辻馬車を掴まえなければと思っているとアンディさんに名前を呼ばれた。


 振り向くと口元に手を添え、小声で「親父に『アレも頼む』って言っといてくれ。それで通じるから」と要領を得ない言付けを頼まれた。


 とりあえず了承し、部屋を出て玄関へ向かい、受付でポンチョを受け取って外に出る。


 相変わらず雪のちらつく外は一面銀世界で寒い。


 辻馬車が客待ちをする場所へ行き、暇そうにしていた御者に声をかけ、目的地の屋敷の住所を告げて乗り込む。馬車の中も外と大差ないほど冷えていた。







* * * * *






 辻馬車で屋敷へ帰り、使用人用の裏口から入る。


 雪のついたケープを叩いて腕に持つ。


 アランさんがこの時間にいるとしたら伯爵の書斎か執事に与えられた私室だろうか。


 歩きながら途中で会った小姓(ボーイ)やメイドに聞いてみたが、それぞれに知らないと返された。


 とりあえず寝室へ向かい、その扉をノックする。




「セナです」




 そう声をかければ扉が開かれた。


 今日の担当はアルフさんらしく、わたしだけしかいないことに小首を傾げた。




「旦那様はどちらに?」


「アンディさんを連れて公示人の下へ行くとおっしゃられておりました。旦那様の言付けを伝えに戻ってきたのですが、アランさんはこちらにいらっしゃいますか?」


「ああ、旦那様の書斎に」


「ありがとうございます」




 脇に退いて道を開けてくれたアルフさんに礼を述べて、書斎へ向かう。


 重厚な木製の扉を四度叩いた。


 少しして内側から扉が僅かに開き、アランさんが顔を覗かせた。




「旦那様より伝言を言付かって参りました。人数分のランタンと狩りに使っている衣類、それから馬を用意しておくようにとおっしゃられておりました。わたしは先に着替えて待機せよとのことです。最後にアンディさんが『アレも頼む』と言っていたのですが……」


「分かりました。……アルフ、先にセナの分の衣裳だけ持って来てください。セナは受け取ったら自室で着換えて、もう一度此方へ。ランタンを渡します。その後は旦那様がお帰りになられるまで繕い物をお願いします」


「畏まりました」




 待機してる間、ボーッとしてるなんて非効率的だしね。


 途中で声をかけられたアルフさんが寝室を出て行く。


 そうして書斎へ続く扉が閉まったので、わたしはアルフさんの代わりに立って待つ。


 十分ほどで戻って来たアルフさんの手には衣類が抱えられていた。




「これだ。もしかしたら少し大きいかもしれないが」




 手渡されたそれが生地が厚くて暖かそうだ。




「上着は釦を閉めていいからな」


「分かりました」




 衣装を手に寝室を後にする。


 二階をぐるりと回ってギャラリーも兼ねた廊下から扉を二つ潜って使用人用サロンへ行き、そこから続く渡り廊下を抜けて別館の二階にある自室へ向かう。


 寒いけれど短時間しかいないので暖炉に火を焚くのはやめよう。面倒臭い。


 手に持っていた衣類をサイドテーブルへ置き、ベッドへ腰掛けてブーツを脱ぐ。


 立ち上がってアビとジレを脱いだら皺をつけないためにベッドへ広げ、渡されたものへ手を伸ばす。


 厚手の黒い生地で作られたジレを着る。これだけでも普段着のものより暖かい。


 次に仕立ての良いキュロットの釦が取れないように気を付けつつ外し、脱いだらこちらも広げ、渡されたキュロットに足を通す。これも厚手の黒い生地で作られており、膝辺りは釦を留めたら口を紐で絞るタイプだ。


 ブーツを履き直し、紐を締め、最後に上着を着た。


 ジレやキュロット同様黒で、しかし上着はアビと異なり前面の裾が腰高までしかなく、後ろの裾には切れ込みが入っている。アルフさんに言われた通り上着の前袷を閉じると体にフィットして普段の衣類よりも断然に動きやすくなった。


 ……これテレビで見たことある。乗馬用の衣裳だ。


 燕尾服に形が近くて裾が後ろだけなので足周りを邪魔しないという。


 脱いだ衣類は丁寧に畳んでサイドテーブルへ置いておく。


 一緒に渡された腰高のケープはなめした革で出来ていて、雪や雨ならば多少は弾いてくれそうだ。


 何時でも出られるように机の上に畳んだポンチョと三角帽を用意する。


 自室を出て二階を回って伯爵の書斎へ戻る。


 ……うん、普段の服よりずっと動きやすいし暖かい。


 書斎の扉を叩くとすぐに内側からアルフさんが開けてくれた。


 そこにはアランさんもいて、テーブルに伯爵用の衣類を用意しているところだった。


 わたしの入室に気付いて振り返り、目元を和ませた。




「大きさは問題ありませんか?」


「丁度良い大きさです」




 上着の袖が僅かに長いような気もしたが仕事に支障のないものだ。


 これくらいの方が暖かい。




「セナ、此方に。……ちょっと失礼」




 呼ばれて近寄ると襟元を正された。


 どうやらシャツのフリルがあまり綺麗になってなかったらしい。


「従者は主人だけでなく、常に自分の格好にも気を配らなければいけませんよ」と注意されて謝罪する。


 鏡で確認するのを忘れていた。次からはもっと気を付けよう。


 体を引いてわたしの姿を確認したアランさんは満足そうに一つ頷いた。




「これで良いでしょう。では衣裳室で繕い物を頼みますよ」


「はい」




 アランさんが書斎へ戻るのを見送ってから隣室の衣裳室へ入る。


 小部屋がまるごとクローゼットになっているそこには椅子と繕い物をするための裁縫道具や靴磨きの道具など、衣類の手入れに関するものが一通りそろっているのだ。


 ココは暖炉がないものの、今の服装ならばあまり寒くない。


 この部屋用のランタンを持って隣室に行き、火をもらって戻ったらテーブルへ置く。


 シンプルな椅子に座って脇に畳んで置いてある衣装を膝の上へ広げる。


 繕いの必要な場所には目印の待ち針が刺されており、繊細な刺繍やレースの場所はお針子に頼むけれど、多少の解れは使用人が直す。これも衣類の手入れの一つだ。


 繕い物は数枚だが丁重に扱わなければ布地を傷めてしまう。


 こちらに来て仕事を教わる中で、衣類の縫い方も教えてもらったし、シュミーズを自作したのも練習の一環だった。きっと元の世界にいた頃より裁縫の腕は上がっていると思う。


 従僕三兄弟やアランさん達からも「多少遅くても構わないから丁寧に縫え」と散々言われたので一針一針きちんと幅や縫い方を揃えて刺していく。早く縫えても、頑丈に縫えても、そこが目立ったり着ている主人に違和感を覚えさせてはダメだから。


 ……あ、これ、伯爵のお気に入りの服だ。


 暗い青系統や黒を好む伯爵が珍しく着る明るい色であり、登城の際にはよく身に纏う衣装だった。


 色は天色(あまいろ)。晴れた空みたいな鮮やかな青色でこれを着ると、どこか暗い伯爵の雰囲気も明るく見える。解れは内側の人目に触れないところだが一番近い色の糸を使って丁寧に縫う。


 無心になって繕い続けていると隣室から微かに人の話し声が聞えてきた。


 隣室に続く扉をそっと開けば戻って来たらしい伯爵の声がした。


 キリの良い所まで縫い上げて裁縫道具を手早く片付け、ランタンの火を消す。


 扉を少し開けて様子を見計らう。……今なら大丈夫だろう。




「お帰りなさいませ」




 会話の途切れたタイミングで扉を開き、入室して伯爵へ礼を取る。


 わたしに気付いた伯爵は一度わたしの格好を上から下まで確認した。




「問題なさそうだな」


「はい、動きやすく暖かいです。このような衣裳を用意してくださり、ありがとうございます」


「良い。お前は乗馬の練習も普段着で行っていただろう。一着くらいはそういうものがなければいざ狩りへ同行させた時に格好がつかん」




 言い訳染みた言葉にわたしは自然に笑みが浮かぶ。


 こういうところは素直じゃないというか、本当に不器用な人だな。


 着替えるというのでアルフさんとわたしとで着替えを手伝う。


 今着ているアビとジレを脱がせ、靴、飾りと釦を外したらキュロットも脱がせる。


 くすんだ黄と茶の中間のようなキツネ色のキュロットを穿かせる。わたしは膝辺りの釦を留めて紐で口を絞った。この衣装には飾りを付けないらしい。焦げ茶色の革製のブーツを履かせて編み上げの紐を縛る。


 次に黒い厚手の生地のアジレを着せ、アルフさんが首元のフリルを出す。


 それから袖のカフスもシンプルで小さなものへと替えた。


 最後にジレと同色で同素材のアビを着せる。首元のフリルや僅かに出るシャツの袖のレースなどをアルフさんが忙しなく整え、時々身を引いて矯めつ眇めつしては直すのを繰り返す。


 その仕草や表情が父親のアランさんにそっくりだ。


 やがて納得する出来栄えになったのかアルフさんが終わりを告げたので一緒に礼を取る。


 軽く体を動かして衣装の具合を確かめる伯爵を眺めていると寝室の扉が叩かれる。


 アルフさんが反応して扉を開ければそこにはアンディさんがいた。




「旦那様、お持ちしました」




 その手にはベルト付きのホルスター。銃も当然だが収まっている。


 近寄って来たアンディさんに伯爵は軽く両腕を広げ、ベルトを手早く左肩へ固定されると脇に収まったホルスターと銃で動きに影響がないか肩を動かす。


 頷いた伯爵にアンディさんは嬉しそうに目を細めると一礼して下がった。



 

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