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アルマン伯爵と男装近侍  作者: 早瀬黒絵
# The seventh case:Crime of the fascination.―魅惑の罪―
67/120

過ち、四つ。

 

* * * * *





「拷問に詳しいというのは本当か?」




 要請から三日ほど経った後、書斎で刑事からの報告書を読みながら問うた。


 感謝状という名の礼の手紙を片手にセナがキョトンとした。


 ダークブラウンの瞳が数度瞬く。


 彫りの浅い顔立ちも手伝い、無防備な表情をすると幼い印象が強くなる。


 一拍置いて「ああ」と開いた左手を右手の握り拳でポンと叩くその仕草は、どこか芝居がかっており、しかしセナには妙に似合っていると思った。




「興味がない方よりかは詳しいつもりですが、専門家ほどでは……」




 申し訳なさそうに少し眦を下げるセナについ呆れた声が出た。




「誰もそこまで求めていない。お前が好奇心旺盛なのは知っているが、何故拷問に興味を持った? 心理術で尋問するだけでも充分に用は果たせるだろう?」




 身を守るために護身術は徹底して覚えさせたものの、セナは滅多にそれを使わない。


 防衛のためにあれやこれやと小細工はするのにだ。


 だから人を弄ぶことはあれど暴力的な事柄は好まない性質なのだと思っていた。




「ええ、まあ。でも心理術も拷問もただの趣味です。人間の闇を理解するには(それ)に触れるのが一番ですから。一口に拷問と言いましても尋問するための手法と殺すための手法と分かれていたり、宗教的要素の混じるものもあったりしてかなり興味深いですね」


「……そうか? その手の話は、私はあまり想像もしたくないのだが」


「そこは人それぞれでしょう。少なくともわたしが興味を感じているのは人を殺めたり傷付けたりといった結果ではなく、苦痛を与えるための手法や器具の多彩さの方ですよ。よく思い付くなと感心します」




 嘘偽りのない本心らしく、感嘆の溜め息を零しながらセナが言う。


 言葉巧みに人を誘導することはあっても自ら暴力を振るうことはまずない。


 その時は余程の怒りを感じたということだろう。


 セナが他人に手を上げたのはイルフェスの件くらいか。


 ……いや、以前に一度だけ頭突きをされたな。


 私だから許したが、他の貴族であれば捕らえられていたぞ。


 しかしセナの場合はその辺りも分かった上でやったような気もする。


 手紙を読み終えたのかこちらへ戻そうとしたので手で制す。




「それはお前宛ての感謝状だ。私に返す必要はない」




 そう言えばセナが微妙な顔をした。




「はあ……? こういうのはいただいても置く場所に困りますよね」




 引っ込んだ手が手紙を何度か裏に表にとひっくり返して持て余す風に扱った。


 それは同意せざるを得ない。


 事件の相談を受けたり、解決したりする度に送られる感謝状は正直邪魔だ。気持ちの込められたものが多いため捨てるのも忍びなく、けれども何時までもどこかに保管しておくと場所ばかり取られてしまう。


 私がそういったことを零せばセナは小首を傾げて口を開いた。




「いっそ額縁に入れて飾っておきましょうか」


「今度は飾る場所に困りそうだな」


「何をおっしゃいます。廊下や階段など、この広い家には余白が山ほどございますよ」


「余白……」




 独特な言い回しというか、面白い表現の仕方である。


 建物内にはそれなりに絵画や骨董品を飾っており、ギャラリーもあり、他の物をこれ以上飾ろうとは考えもしなかった。これが平民ならば一枚程度飾るのは箔が付くだろうが……。




「嫌味っぽくならないか? 成金が趣味の悪い装飾をゴテゴテと盛るのと同じだろう」




 人から嫌われる点では既にアルマン伯爵家(うち)は貴族の受けが悪いので構わないかもしれないが、それを抜きにしても、感謝状で自分がどれほど功績を残したか自慢するようで落ち着かなくなりそうだ。


 そもそも私のしていることは仕事であり、感謝状は一種の様式美みたいなものだ。


 貴族同士も当然だが、相手が平民の警官でも貴族に対する礼儀として送って寄越す。




「では暖炉に()べてしまえば良いのでは?」




 思わずセナの顔をまじまじと眺めた。




「感謝状を燃やせと?」


「ええ、感謝の気持ちが炎に移ってより一層心も体も温まりますね。誰がどういう件で送ってきたのか『感謝状リスト』を作成しておけば同じ方からいただいたかどうか分かるでしょうし、ただただ場所を取るものとして保管するくらいなら薪に火を点ける時の着火剤にしませんか? 感謝しながら焼べればきっと角が立ちませんよ」


「……どう考えても問題にしか聞こえないのだが」


「そうですか?」



 

「ダンシャリに良いかと思ったんですけど」と悪びれもなく言う。


 何だ、そのダンシャリとかいう言葉は。


 いいや、捨てるのも暖炉に焼べるのもなしだ。




「じゃあ手紙部屋を作って保管しておいて、落ち込んだ時に行けば良いのでは?」




 やや投げやりに言われて首を傾げてしまう。




「行ってどうする?」


「感謝状を読めば『また頑張ろう』と元気になれますよ」


「根本的には何の解決にもなっていないだろう、それは。どうしたらその結論に辿り着く?」




 手紙だらけの部屋で一人、便箋を眺めて元気になる自身の姿を想像してみたが全く思い浮かばなかった。




「手放さないなら、どうしたって場所は取られます。どうせ置いておくなら少しでも有効活用しないと勿体ないではありませんか。逆にお聞きしますが伯爵は他に何か思い付きますか?」




 問い返されたものの特にこれといった案もなく押し黙る。


 ほらね、とでも言いたげにセナが肩を竦めた。


 この問題は保留にするしかないらしい。


 不意にセナが「あ」と声を上げた。




「そういえば、この辺りで他国の者でも快くミサに迎えてくれる教会はありますか?」




 また唐突に別方向へ話題が飛んでいったものだ。


 頭の中で近隣の教会を幾つか拾い上げる。


 元々この国や周辺国が国教と定めた宗教は門戸(もんこ)が広く、教徒のあるなしに関わらず様々な人々を受け入れる。だからこそ教会には孤児院や修道院、治療院などが併設されている。中には行く当てのない乞食を受け入れる施設を併設した教会もあるほどだ。




「幾つかあるが教会へ用事などあるのか?」




 信仰心の篤い人間には見えないが。




「用事と申しましょうか、考えてみたらわたしはこの国の国教がどのような教えを説いているのか全然知らないので学んでおきたいのです。単純に興味があるだけとも言えます」


「まさか聖書を読んでいないのか?」


「読んでいません。というか難解な表現が多くて読めないんです」


「……ああ」




 不満そうに少し唇を尖らせるセナの言葉に納得した。


 聖書は読めればなかなかに面白いものではあるのだが、まず古語で書かれているために平民は読めないことが多い。言い回しや表現の幅が広く、それぞれが読むと解釈が異なってしまうので基本的に平民は教会で行われるミサに何度も出ることで聖書の朗読と内容の正しい解釈を授かる。


 ミサに通ったことのないセナが聖書の内容を知らないのは当たり前だった。


 この国で今後も過ごすのであれば国教を知らないままでは何時か困るだろう。




「セナ、次に私の予定が空いている日に教会へ行くぞ」




 そう声をかければセナが目を丸くする。




「え?」




 戸惑うセナの姿に不思議と気分が良くなった。




「お前の教育には私も責任がある。国教を知らないというのは問題だ。……そうだな、確か明後日は特に予定を入れていなかったはずだ。明後日で問題はないな?」


「ええ、ありませんが、伯爵も御一緒に?」




 何故と問うてくる視線に理由を告げる。




「あの教会にいたシスターや孤児達が移った教会だ。どこか空いた時にお前とイルフェスを連れて行くつもりが、最近忙しくて足が遠退いてしまっていたんだ」


「そうでしたか」




 あの教会や孤児院にいた者達とまた会えると分かって嬉しいのだろう。


 表情の明るくなったセナに、事件の相談続きでささくれ立った心が和らいでいく。


 ……本当に、私はお前に惹かれてしまっているのだな。




「イルフェスと出掛けるのも、彼らに会うのも久しぶりなので楽しみです」




 珍しく邪気のない笑顔を向けられてドキリと胸が鳴る。


 それを噯気おくびにも出さず、私は頷き返した。




「アランとイルフェスに伝えて来てくれ」


「畏まりました」




 手紙片手に上機嫌な様子で退室するセナを見送り、完全に扉が閉じてから息を吐く。


 …………今、その表情はズルいだろう。


 これまでに見たことのない表情だった。


 年相応の、少女らしい嬉しそうな笑顔が瞼に焼き付いている。




「……色恋の駆け引きは苦手なんだがな……」




 バディット男爵の気持ちが僅かばかり分かった。


 本気で欲しいと思った相手を手に入れるためならば何だってしてしまいたくなる。


 視線が惹かれる。髪に触れたくなる。その声を聞きたい。違う表情を見たい。


 そういった感情を抑え込むのは相当骨が折れる。


 無理矢理手に入れるつもりはない。


 お前の意思で他の者を選ぶのであれば仕方のないことだ。


 だが、この気持ちを気付かせるくらいはしても罰は当たらないだろう。


 難攻不落そうな相手だけれど、それでも引き下がる気にはなれなかった。





 

# The seventh case:Crime of the fascination.―魅惑の罪― Fin.


 

・題名「魅惑の罪」について


人へ暴力を振るうという行為には優越感や征服欲が伴うことが多いですよね。

その「許されないこと」をする快感もあるのかもしれません。

そういった意味で「魅惑」がある「罪」ということです。

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