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アルマン伯爵と男装近侍  作者: 早瀬黒絵
# The sixth case:Lonely masked ball.―孤独な仮面舞踏会―
58/120

ステップ、三つ。

 



 そろそろ出発のために御者が馬車の準備をしている頃だろう。


 使用人用の裏口から出て玄関へ回ると、案の定、御者が既に馬車を玄関の前へ停めていた。


 寒そうにかじかんだ手を擦り合わせる背中に歩いていく。




「お疲れ様です」


「わっ?!」




 驚いた顔で振り向いた御者に申し訳ない気持ちになりながら温石の一つを差し出した。




「今日は冷えるのでこれをどうぞ」


「? 何だ、これ。……熱っ! おお、あったけえ……」


「わたしの故郷で昔よく使われていたものです。時間的にはあまり長持ちしないかもしれませんが、ないよりは良いでしょう」




「いや、ありがたい」とまだ熱い温石を両手で持って御者が笑う。


 日焼けと寒さで赤くなった鼻の頭と相まって子供のような無邪気な笑顔だった。


 温度は低くなるまでの使い切りなので、冷めてしまったら外して適当に放っておいて、後で返してくれとお願いしたら「必ず返すよ」と頷いた。


 そうしてまた裏口から中へ戻り、玄関へ向かう。


 そろそろ出発の時間だからと伯爵の下へ向かえば、丁度アルフさんが扉を開けて、伯爵が廊下へ出て来た。わたしは廊下の端に控え、伯爵が歩いてきたら、その後ろに付き従う。


 アルフさんは今日は寝室に詰める当番なので晩餐会には来ない。


 玄関へ向かうとアランさんが待機しており、最後に伯爵の全身にサッと視線を巡らせて不備がないことを確認すると一礼した。




「行ってらっしゃいませ」


「ああ、留守を頼む」




 見慣れたやり取りを行い、わたしが玄関の扉を開ける。


 外へ出た伯爵に気付いた御者が馬車の扉を開けて、主人が乗り、使用人のわたしが乗って扉が閉まる。


 馬車が走り出したところでポケットから温石を取り出した。




「宜しければお一つどうぞ。やや熱いのでお気を付けください」


「何だこれは?」


「わたしの故郷で昔使われていた温石といいます。火で石を軽く焼いたものを布や綿を詰めたものに包んで持ち歩く、暖を取るためのものです。最近寒くなってきたので試しに作ってみました」




 伯爵も寒かったのか温石を手に持ったまま離さない。


 御者と全く同じ反応につい笑みが浮かんでしまう。




「冷めたら返してくださいね。何度も使えますから」


「ああ。……本当に石だな」




 布の隙間から中を覗いた伯爵が感心した風に呟いた。




「正真正銘、暖炉で焼いただけの石ですよ。持ち運ぶために平たくて丸い石を探してきて、綺麗に洗ったら焼いて、布か綿入りのもので包むだけ。簡単でお金もあまりかからないでしょう?」




 かく言うわたしもお金をかけずに暖を取りたいと考えた時に思い出したのだ。


 布は休みの日に適当な服屋へ行って、服を作る際に裁断されて使い道のない端切れを安値で大量に買い叩いて来たものだ。ついでにガーゼ生地の端切れも大量に手に入れたのは嬉しい誤算だった。


 考えるように伯爵が小首を傾げる。




「そうだな。これを大量に作るのは可能か? もしくは作り方を記すことは出来るか?」


「ええ、どちらも出来ますけど……?」


「作ったものは伯爵家(うち)の使用人達に使わせたい。そうすれば冬場に寒さで凍えたり、指先が凍傷になることもないだろう」




 それは良いアイディアだ。そもそも作り方さえ教えれば石も布地もそれぞれに用意出来るだろうし、簡単なのですぐに自分で焼いて使えるはずだ。小姓達はちょっと心配だけど。




「? 作り方を記した方はどうなさるので?」




 こんなものは口頭で伝えるだけで充分なはずだが。


 それとも伯爵用に見た目の綺麗な石や布でも探してきて、お針子に包みを縫ってもらうのか。




「石はお前が選ぶとして、布は針子に頼んで作らせ、それを陛下へ贈ろうかと思ってな」


「へ、陛下?! 陛下って、この国の女王陛下にですか?!」


「そうだ。ドレスで比較的体は温かいが、冬場は手先や足先がどうしても冷えると毎年おっしゃられているから大変喜ばれるだろう」




 ギョッとしたまま、わたしは右手を顔の前で縦にして振る。




「いや……いやいや、ないですよ! 女王陛下にこんなもの贈ったら不敬だって言われますよ!」



 それで物理的に首と体がお別れしちゃったらどうする気だ!


 だってその辺で拾った石だよ? こんなもの贈られて嬉しいか?!


 混乱するわたしを他所に伯爵は名案だとばかりに頷いている。




「大丈夫だ」


「その自信は一体どこから来てるんですか!」


「……普段とは立場が逆になっているな。兎に角この温石というのは贈る。出来るだけ良い石を選んで持って来てくれ。それを測らせて針子に入れ物を作らせる」


「……はあ、分かりました。そこまでおっしゃるのであれば、見た目も形も出来る限り良いものを選んで拾って参ります」


「ああ」




 そう話している間も、伯爵は温石を両手と足の上に乗せて温まっている。


 ……カイロがないから温石も結構助かるのは事実だ。


 火鉢は――……ドレスや上着の裾が入って燃えちゃいそうだな。冬場の暖炉の事故でそういうものが多いと聞くし、もし火鉢を作るなら腰くらいの高さに置いて、袖に気を付けるとかしなきゃいけないな。


 でも手先足先が冷えるなら足も温かく出来るものがいいよね。


 ……ああ、あれならピッタリかもしれない。




「そうそう、もう一つ良いものを思い出しました」




 そう告げれば伯爵は興味を示す。


 馬車が停まるまで、わたしは温石とあれについての話をして過ごした。


 お蔭でリディングストン侯爵家の屋敷へ着いた時には、伯爵もわたしも緊張はなくなっていた。






* * * * *






 一番乗りで訪れたわたし達は大サロンへ通された。


 中へ入る時に伯爵の胸元に青みがかった緑色の布製の花が付けられる。


 晩餐会が始まるまではこちらで待つらしく、一人掛けのソファーに腰掛けた伯爵の斜め後ろという定位置に立って、次々にやって来る招待客を眺めて過ごした。


 懇意にしている者を呼ぶと言ったグロリア様の言葉は本当で、高位貴族もいれば商人や学者、警察の中でも役職の上の者など様々な人々が最終的には伯爵を入れて十二人集まった。


 途中で来た大商会の会長という老人はやや年嵩の美しい娘を伴ってきた。


 言わずもがな、その娘がアビー・ドナ=イームズ……バディット男爵夫人である。


 豊かな亜麻色の髪を後頭部で纏めて巻き、背中や肩に流している。瞳は青みがかった美しい緑色をしており色白の肌はミルクティー色のドレスを着てもぼやけないほど白く滑らかだ。体型も豊満な胸に細くくびれた腰、女性特有の丸みを帯びた臀部とドレスの上からでも分かるプロポーションだ。胸元にはくすんだブルーグレーの布製の花が添えられていた。


 なるほど、これで相手が分かる仕組みなのか。


 バディット男爵とリディングストン家の繋がりはないが、大商会の娘であれば参加出来る。妻の代わりに娘が父親と出席するというのは貴族社会ではよくあることだそうな。


 そして彼女は頻繁に父親と共に夜会や晩餐会に出席しているという。


 逆に夫のバディット男爵の同伴で出席するのは少ない。


 既に男児を二人産んだ彼女は政略結婚にありがちな「後継者さえ出来ればあとは好きにしろ」状態で、観劇に出掛けたり恋人を作ったりして、バディット男爵とは不仲らしい。


 彼女が入って来てから他の招待客がこそこそと話していた内容はそんな感じだった。


 これでも地獄耳なもので、小さな囁き声でもわたしにはよく聞こえるのだ。


 やがて招待客が全員集まり、晩餐室へ移動する。


 ココからは気を引き締めていかないとミスしそうだ。


 背筋をピンと伸ばし、最後尾を歩く伯爵とバディット男爵夫人の後ろに付き従う。


 晩餐会の席はそれぞれの瞳の色と同じ布製の花が飾られていた。


 それを見れば何かを言われずとも自分の席が分かる。そうして伯爵とバディット男爵夫人がペアで席も隣同士だったのでリディングストン侯爵家の当主や夫人もこの件に関わっていることが窺えた。


 招待客は夫婦で決めたのだろうが、席順を決めるのは夫人の役目だ。


 これが偶然などということは到底考えられなかった。


 伯爵は一瞬だけバディット男爵夫人と使用人を見た。彼女の連れて来た使用人はわたしとそう変わらない年頃の少年だった。わたしがこの国で幼く見えるということは、わたしから見れば他の人々は大人っぽく見えている訳で、つまり同年代に見える彼は多く見積もっても実際は十四、五歳だろう。


 こういった場は初めてなのか酷く緊張して顔色がやや悪い。


 成人前の使用人を連れて来て大丈夫なのだろうか。


 ……それでいくと伯爵もわたしを連れているから同じに見えるかもしれない。


 非常に不本意だが若く見られるのはもう仕方がない。


 こういう者同士だから席を隣にしたと言い訳も立とう。


 伯爵が椅子を引き、バディット男爵夫人を座らせる。自分よりも若くて地位があり、見目も良い伯爵にエスコートされて夫人はまんざらでもなさそうだ。伯爵へ艶っぽい視線を流し、向けられた方はあえて気付かない振りを貫いてる。




「今日のこの良き日に皆が集まってくれたこと、感謝する」




 渋みのある重低音が晩餐室に響く。


 それはリディングストン侯爵家当主の初老の男性の声だった。


 髪の色も瞳の色もグロリア様によく似ている。そのよく似たグロリア様は忙しい身でいないが、侯爵の夫人が右斜め前に座っていた。夫人はどちらかと言えば髪も瞳も少し色素が薄くて、キースが夫人似なのだと分かる。


 そうして招待客への歓迎の話を終えた侯爵が軽く手を鳴らす。




「今宵は心行くまで楽しんで欲しい」




 それが晩餐会の開始の合図となった。


 この晩餐会で一つ、伯爵と相談して決めたことがある。


 伯爵の視線が動いて食前酒を頼む。


 歩み寄り、酒をグラスに注ぎながらわたしはそっと隣を見た。


 バディット男爵夫人はあまり酒を嗜まないらしく、緊張した従者が控えめに度数の弱い酒をグラスへ注いでおり、それを一口か二口飲むとテーブルに戻し、手を付ける素振りもない。


 すぐに一皿目の料理が彼女の更に移される。


 全体的に白い料理だ。


 伯爵がチラとわたしへ視線を向けたので、彼女の分を移し終えた皿を受け取り、伯爵の皿へも分ける。


 料理はカブを使ったもので、その上にキャビアだろうものが乗っている。ソースはスープに近く、とろみのある乳白色からしてホワイトソースか何かに見える。皿の中央にキャビア乗せのカブを、まわりにソースを丸く広げ、添え物の野菜をカブに乗せて濃い緑色の別のソースで少しだけ白いソースに線を描く。


 給仕を終えて元の位置に戻れば、さっそくバディット男爵夫人が伯爵へ話しかけた。



「あら、アルマン卿もそちらを召し上がられますの?」


「ええ、最初はあっさりしたものが食べやすいので」


「まあまあ、そうですわよね。最初から重たいものでは途中で楽しめなくなってしまいますものね」




 (ようや)く自分に反応を返してくれたからか、男爵夫人は喜色混じりの声で話す。


 伯爵は屋敷ならば絶対に浮かべない甘みを含んだ柔らかな笑みを顔に貼り付けていて、わたしからすると物凄く違和感があったが、夫人はその笑みに頬を染めた。


 既婚者なのに食い付きがいいな。


 まあ、あの見た目だし、ああやって微笑まれたら伯爵の人柄を知らない相手はコロッといってしまうか。


 二言三言、時々会話を交わしながら一皿目が終わる。


 二皿目は伯爵が先に動いた。


 わたしは近寄り、薔薇の飾り切りがされた料理を手に取った。……貝? 帆立(ほたて)かな? その上部が薔薇にカットされて軽く炙ってある。茶色のソースと貝ひもを添えて静かに下がった。


 ――……同じのを選んだか。


 今度はバディット男爵夫人が伯爵と同じ料理を選んだ。見た目も薔薇で美しく、少量だから、女性が選んでも不思議はない。


 しかしチラチラと伯爵の反応を窺う様子からして、ワザワザ同じものを食べる理由は明白だ。




「また同じ料理ですね」




 伯爵が笑みを浮かべて言う。




「ええ、素敵な料理でしたので、つい私も選んでしまいました」




 悪びれもなく照れた風に返す男爵夫人からは遊び慣れた女性とは思えぬ少女らしい初々しさを感じられたが、どこか薄ら寒い思いが背筋を伝う。


 …………肉食系が本気で狙ってきてる。


 貴族だけあって伯爵は表情一つ変えなかった。


 傍から見れば穏やかに、けれど内情を知っていると寒々しい。


 バディット男爵夫人がワイングラスに手を伸ばして少しばかり口に含む。


 少しの間を置いて、伯爵もワイングラスを手に取った。


 伯爵と決めたミラーリング作戦だ。人は自分と同じ好みや同じ動きを行う相手に好意や親近感を抱くようになる。やり過ぎては不審がられるため匙加減が難しいものの、効果は高い。


 次は玉ねぎを丸ごと一つくり抜いた入れ物にクリームスープが入れられた料理だ。


 転がらないようにスープ皿に移し、添え物のハーブをひとつまみかける。


 隣の皿では男爵夫人付きの従者が玉ねぎを転がしてしまい、中身のスープが半分近く零れ出て、皿に広がった。それを見た夫人が不愉快そうに眉を顰めた。




「セナ」


「畏まりました」




 横にいるバディット男爵夫人に小さく微笑み「御前失礼致します」と声をかけて皿へ手を伸ばす。


 従者から料理用のカトラリーを受け取り、転がった玉ねぎを元の位置に戻し、零れたスープはあえてソースのように丸いスープ皿の底に広げる。添え物は素揚げにしたのかパリッとした飴色の玉ねぎだ。それを玉ねぎの中と外にかけていく。……これならスープらしく見えるだろう。


 わたしが一礼して下がると夫人の表情が変わった。


 失敗した料理が予想外の成功に変わって驚いたらしい。


 ちょっと零れたくらい、どうとでもやりようはあるだろうにね。




「素敵な飾り付けだわ」


「あれは器用でして、大抵のことは出来るのですよ」


「流石、アルマン卿がお側に置かれる者は違いますのね」




 ほほほと上品に笑って彼女が料理に手を付ける。


 隣に控えていたバディット男爵夫人の従者は青い顔で俯いていた。


 見るからに叱責されるのを恐れ、怯える様子は少々異常だった。



 

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