道、十三路。
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親愛なる元教え子へ
先ずは君の打診を受け入れようと思う。
こんな私でも出来る事があるのなら協力は惜しまない。
早急に献体を募る手続きをしておこう。
信頼を裏切るような真似をして本当にすまなかった。
君より貰った先の手紙の通り私は罪を犯した。
何を言っても言い訳としか聞こえないだろう。
しかし私はただ、院生達を立派な医者に育ててやりたかったのだ。
知っていると思うが解剖学部を希望する院生は毎年大勢いる。医者を目指す若者が多い事は喜ばしい点ではあるものの、彼らが人体を正しく学ぶ上で解剖は最も重要で、誰もが通るべき門でもあった。
しかしながら人が多過ぎる余り、常に検体不足という問題が学部にはついて回る。
事故死した遺体に限らず自殺者や刑に処された死刑囚の遺体を引き取っても解決しないそれに、日々頭を悩まされていた事実も忘れないで欲しい。
一日でも早く医者となり、一人でも多くの命を救いたいと願う若者の背を押すのが私の役目だ。
そう想うが故にあの頃は追い詰められていたのだろう。
事の始まりは二年程前に遡る。
噂話でしか聞いた事のない死体の売人を探し、あの日は夜通し街を歩き回っていた私は疲れ果て、諦めて自宅へ戻る途中でふと土を掘り返す音が聞こえてきたのだ。
夜も更けようという時間帯に一体何をしているのか沸き上がった疑問のまま音のする方へ向かい、墓地の一角で青年と出会った。
その傍らには私が欲して止まない死体が文字通り転がされていた。
警察を呼ぶことも出来たはずなのに、しかし私は青年に声をかけ、まだ若い女性の死体を金を払うから引き取りたいと申し出てしまった。
道を踏み外す瞬間と呼ぶべきものがあるとしたら恐らく、その時が分かれ道だったのだろう。
青年から引き取った死体には扼痕があったけれど、解剖時は布で顔を覆い隠すため院生達に気付かれることもなく見過ごされた。そこで発見されていれば良かったのだと今ならば思えるよ。
私は新しい検体欲しさに連日真夜中の墓場へ向かった。
青年が来なければ、あの時に目を覚ましたかもしれない。
それも私の弱さが招いたこと。彼に押し付けるのは甚だしい勘違いだろう。
墓地へ通い続けて数日後、彼は死体を引きずって現れ、そうして私はそれを受け取った。
献体の大半が女性となってしまったけれど、院生達から疑問の声が出ることも、周囲が何かに気付いた様子もなかった。
死体を譲り受け、報奨金を渡し、献体として解剖する。
そんな風に青年と私の奇妙な相互援助は一年程続く。
けれども青年が執拗に死体へ傷を付けるようになり、関係は簡単に崩れ去った。
死体の顔に痣が出来ていたり、まるで幼い子供が布の人形を裂いたように時折腹部が切り開かれたりと、一目で人為的なものだと分かる傷が日増しに死体を彩った。特に下腹部の傷は誤魔化しようもないほどに酷く、内臓が一部欠損し、死体を見慣れた私ですら目を背けたくなる時もあった。
何故このように傷を付けるのか彼に問うた。
すると彼は「悉く裏切られ、彼女達が他の男の下へ行くのが、他の男のものになるのが堪えられない。何時までも共にいるためには殺さなければならないのだ」と憎悪と嘆きの入り混じった声で言う。
物静かな外見に反し、青年は驚くほど嫉妬深い質だった。
兎にも角にもこんな状態では引き取れないと言ったが聞き入れられず、せめてもう少し傷の数を何とかして欲しいと頼み込むと以後の死体は多少だが外傷が減った。
けれどもそんな死体を使い続ける訳にもいかず、結局受け取りを拒否することとなる。
青年も少なからず予想がついていたのか二度と墓場に来なくなった。
定期的に死体を手に入れられなくなった私は今度は新聞にて献体を募った。
三日後、それを見たのだろう中年の男女が死体を譲りたいと学院に訪れる。
タイナーズ・ロークという小さなホテルのオーナーだと名乗る二人が持ち込んだ死体は非常に状態が良く、献体には申し分のないものだった。当然支払われる報奨金にも色が付く。
死体が金になると分かった後の夫妻は頻繁に私の下へ来た。
暫くして新聞の死亡者の欄にあった写真に引き取った遺体と同じ顔を見付け、二人が墓を掘り起こして死体を得ている事に気が付いたが、それでも目を瞑って金を払い続けた。
だが数ヶ月も経つと売る死体がなくなったのか夫妻の足が遠退いた。
わたしもどうしても死体が欲しかった。
何とか死体を手に入れられないか、金額は前よりも出すからと夫妻に聞いた。それを口にすることで彼らがどのような行動に出るか理解した上で声をかけた私は、その時には既に悪魔と成り下がっていたのだろう。
夫妻は自らが経営するホテルの宿泊客の中で知人や親類のいない者をそれとなく探り出し、順を決めたら学部の予定に合わせて殺すと提案してきた。
客が眠った深夜に部屋へ忍び込み、顔に枕やクッションを押し付けて窒息させる方法は私が助言したものである。死体は目立たぬよう夜の内に学院へ運び込まれた。
それから数週間程が経った頃、あの青年が新聞に載った。
内容を読むまでもなく殺人罪で逮捕されたのだ。
己の所業が明るみになることを恐れる私を余所に警察は一向に現れず、二ヶ月、三ヶ月と経ち、青年があの奇妙な利害関係を口にしなかったのだと確信した時は心底胸を撫で下ろした。
その間も夫妻には死体を融通してもらっていた。
そして半年後、元教え子が従者を引き連れて訪ねて来た。
言わずもがな、君である。
風の噂に君が家を継いたと聞いていただけに、突然の訪問はとても私を驚かせ、同時に忘れかけていた罪の恐怖が蘇る。
しかし君は懐かしい昔話を少しして去って行くだけであった。
後に突然の訪問に対する謝罪と礼の書かれた手紙が届き、私の罪に君が気付いていないのだと知り、これは最早神の思し召しで私の罪を彼の方は御赦し下さっているのではないのかとすら考え始めていた。
けれども君の来訪から三ヶ月も立たぬ内にどこか見覚えのある少年が学院に現れた。
まだ幼さが色濃く残る顔立ちをした少年。病で母を失い、医学に興味があり、医者を目指したいのだと真っ直ぐに口にする少年は眩しかった。
私は勤勉そうなその少年を見学に招き入れた。
もし遺体の不審な点に気が付いても、その件だけならば大した騒ぎにはならないと思ったのだ。
予想通り問い質されたのだが彼は一言も私を責めなかった。
真っ直ぐに向けられる私への信用と尊敬。それと同程度の悲しみが浮かぶ眼差し。私を信じてくれている者達の思いを踏みにじってしまったことを、二回り近く歳の離れた少年に気付かされるとは恥ずかしい話である。
同日のうちにまたやって来た少年がまさか君の従者だったとは知らず、とても驚いたよ。言われると似ているが、顔は親しい者でなければ分からないほど違って見えて、随分と変装が上手な子だね。
そして君が私の罪に辿り着いたことも知った。
もう誤魔化しも言い逃れも叶わないなら、ありのままを話すべきだと思ったのだ。
いや、もしかしたら誰かに罪を告白する事で少しでも良心の呵責を緩めたかったのかもしれない。
私は私の罪を償う為にどのような処罰も甘んじて受けよう。磔でも、絞首でも、火刑でも構わない。赦されずとも命が尽きる瞬間まで、呼吸の一息までこの罰を背負おう。
しかし、もし許されるならば一つだけ聞いてもらいたい事がある。
この真実を君の年若い従者には告げないでくれ。
私を理解しようと努め、この歪んだ思いを真摯に受け止め、結果的に彼に己の正義を曲げさせてしまった。それは罵倒されるよりも私の心を責め苛んだ。
真実を知れば今度こそ彼は私を糾弾するだろう。
優しい彼はそんな事をすれば傷付いてしまう。
間接的と言えど多くの人々を死に追い遣り、その尊厳を冒涜した私が思うには何とも身勝手な話だが、私は彼を傷付けたくないのだ。
此れ程に矮小で愚かな私は君の目にどう映っているのだろう。
それでも君の師となれた事は私の誇りであり、今も昔も君は私の自慢の教え子だ。
ありがとう、アルマン卿。私達は此処で決別だ。
願わくは君と年若い従者が歩む道の先に幸福があらんことを。
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# The fourth case :The people who took the wrong choice.―間違った人々―Fin.
≫題名‘間違った人々’について
目的のための手段を間違えた。
道を誤った、選択を間違えた、という意味。
今回の物語上には少なくとも三人、間違えた人物がいます。
その人物たちのこと。




