道、九路。
分かり易く言うとこうなる。
今日とても気になる献体があったから、院生に混じって検分してきた。
その献体は通常であれば凝固するはずの血が固まっておらず、内臓にも異常が見られたため、片付けに託けて更に調べてみた。
それに伯爵はどうだったか聞いた訳で、わたしは何もしなかったが人為的な傷があったと答えたのだ。
緘口の約束を交わした以上はハッキリ口に出来ず、それを破らずに伝えるとしたらこうする他ない。言葉遊びは貴族の嗜みの一つだ。この程度の会話は伯爵にとってもそう難しくはないだろう。
「そういえば、タイナーズ・ロークというホテルをご存知でしょうか?」
「お前こそ何故そのホテルを知っている?」
教授に見せてもらった書類に記載されていたホテルの名前を問うと、眉を顰めて聞き返された。
互いに顔を見合わせ数秒。
どうやらそのホテルについて伯爵も何か知っているらしい。
「わたしが礼を欠いてしまった献体の方を学部へ提供したのが、そのホテルの経営者だとお聞きしまして。……教授も違和感を覚えたのに引き取ってしまったことを後悔していらっしゃる様子でした」
「教授が?」
何かが引っかかるようで、伯爵は顎に手を当てて考え込んでしまった。
その横顔を眺めて待つ。
暫しの沈黙の後にブルーグレーが鋭く瞬いた。
「私が追っている件とお前の件は関係があるかもしれん。今回は思ったよりも厄介になりそうだ」
「伯爵の件をお伺いしても?」
「無論だ」
伯爵が机の中から分厚い紙の束を取り出し、差し出されたそれをわたしが受け取る。
行方不明者一覧と書かれた最初の表紙を捲れば中は写真と名前、その人物の略歴、場合によっては住所などが載っていた。斜め読みで大雑把に目を通しつつ、事件の概略を聞く。
地方出や街の者で行方不明者がここ数年やけに多いから調べろと言うことらしい。
ちなみに今回も例に洩れず女王陛下の御下命だそうだ。
わたしが拾われてからも伯爵はちょくちょく王城に出掛けているが、今のところ同行したことはない。
……伯爵の口から頻繁に女王陛下の存在は聞くけど、実はその容姿すら知らない。ただの使用人であるわたしが女王陛下にお目にかかれるはずがないのた当たり前だが、一度くらいは遠目で良いから見てみたいものだ。
事件と全く関係のないことをツラツラと考えていたら伯爵が不意に口を噤んだ。
暫しわたしの顔をジッと見つめた、眉を顰める。
「私の話を聞いていただろうな?」
「勿論です。主人の話を流すだなんてとんでもない!」
「……なら良いが。話を続けるぞ?」
「はい。――……あ、ちょっと待ってくださいっ」
危ない危ない。伯爵って時々妙に勘が良くてヒヤッとする。などと内心で胸を撫で下ろしたが、渡された資料の中に覚えのある顔を見付けて声を上げてしまった。
「言葉を交わすことは叶わない状態でしたが、この方と今日お会いしました」
「やはりそうか……」
そのページを見た伯爵が難しい顔をした。
そこに貼られた写真の人物は細身の老人だった。
今日見た時はもっと痩せていたが肉付きが良くなると写真そっくりになる。書類を見るに、老人は地方から出稼ぎに来ていたらしい。
仕事がなくなったか辞めさせられたかして浮浪者になったのだろう。
届け出自体、三年も前の日付だった。
そこで今まで若干流し気味だった事件の話を記憶から手繰り寄せる。
伯爵は行方不明者達の目撃情報から行動範囲を割り出し、その周辺区域の店に聞き込み調査を行った――――まで、確か聞いた。
改めて背筋を正したわたしを伯爵は一呼吸分眺め、話を再開する。
「行方不明者について聞いている内に近隣住民から人を喰らうホテルがあるという不気味な噂を耳にした。泊まった客が何時の間にか消えているそうだ。それが事実かはまだ未確認だが……言わなくとも、もうこの先は分かるな?」
「そのホテルがタイナーズ・ロークですか」
「そうだ。出来る限り此方は此方で済ませようと思っていたんだが。……全く、世の中とは上手く行かないものだ」
そう苦い顔で伯爵が溜め息を零す。
「お気遣いありがとうございます」
ニコリと笑って感謝の意を告げれば、バツが悪げにブルーグレーの瞳が逸らされる。
その目許は少し赤くなっていた。
「行方不明者を軸に人喰いホテルと解剖学部を纏めて考慮した場合それぞれ利益が発生する」
「ホテルには献体の報奨金、解剖学には実習用の検体ですね?」
「ああ。ホテル側は殺人か傷害……殺人だと睨んではいるが、それに関与しているのが教授なのか学院側なのかも問題となってくる」
やや面倒臭げに視線が戻って来る。
「どちらが関わっているにせよ、碌なことにはならんがな」
学院側が繋がっていても教授の方は知らなかったという可能性もある。
今日の様子を見た限り、教授が事件に関与しているとは思えなかった。でも人は嘘を吐ける生き物だ。彼を信用していない訳ではないが、絶対に白だとも言い切れないのだ。
「関わりがないと良いですね」
「調べていけば、それも何れ分かる」
出来れば無関係であることを信じたい。
違和感のある遺体を引き取った件について問われることは仕方がないにせよ、それも医学への熱意と院生達を思うからこその行動だったと考えると、正直彼の罪を暴く気にはなれない。
伯爵も微かに眉を寄せたまま、わたしが返した資料に視線を落とした。
それでも立場上見逃すことはしないのだろうな。
「今後はどうなさいますか?」
捜査は二人で行うか。それともそれぞれに分かれたまま続行するか。
考える仕草を見せた後ブルーグレーが怪しく細められた。
* * * * *
穏やかな昼下がり、サロンで伯爵はゆったりと紅茶を飲む。
食後だから茶請けはない。甘いものは別腹という言葉があるが、伯爵はあまり甘いものが得意ではないのだ。
そろそろ訪れるであろう客人を伯爵の側で待ちながら昨夜のことを思い返す。
伯爵は手紙を書いて執事を呼び寄せ、それを警察へ持って行かせた。
その後は普段通り夕食を食べ、読書をして過ごし、やって来た執事から返事だろう手紙を受け取った伯爵は中身を見て満足げに目を細めていた。
問いかけてみても、明日になれば分かるの一点張りで何を考えているのか分からず終い。
今朝になって正午過ぎに警察が来る旨を告げられ、わたしも同席することとなり現在に至る訳だが。
そこまで記憶を辿った時、扉が叩かれる。
立ち上がって来訪者を確かめると使用人のメイドが一人、その後ろに刑事さんと数人の警官がいた。刑事さんはサロンを覗き込んで伯爵を見留めると手を上げた。
「どうも。御要望通り適当に見繕って来ましたぜ」
「ご苦労、そこへ座れ」
「そんじゃ失礼して」
大股でサロンを横切って遠慮なくソファーに腰掛ける刑事さんとは反対に、他の警官は戸惑った顔で所在なげに立ち尽くしていた。どうしたら良いのか分からぬ様子の彼らに呆れ気味の声がかかる。
「ボケッと突っ立ってねえで座れ」
「いえ、我々はこのままで……」
「お前らなあ」
完全に萎縮してしまっているらしい。
部屋を離れた使用人がサービスワゴンを押して戻ってくる。メイドはテキパキと人数分のティーセットを並べ、茶請けの菓子を置くと会釈をして出ていった。
事の成り行きを眺めていたが、埒が明かなさそうなので口を挟むことにした。
「皆様どうぞソファーへおかけください。お客様を立たせたままお茶をお出ししたとあっては、我々使用人が叱られてしまいます」
わたしの言葉に互いに顔を見合わせ、漸く彼らはソファーに腰を下ろした。
場が落ち着いたのを見て伯爵はカップとソーサーをテーブルへ戻す。
「事情は手紙で粗方分かりましたが、俺らは具体的には何をすれば良いんですかい?」
紅茶片手にクッキーを摘みながら刑事さんが問う。
「大したことではない。あるホテルに暫く寝泊まりして欲しいだけだ」
また囮捜査だ。餌となる囮役が危険に晒されるという点さえ除けば一番手っ取り早く、上手く犯人が食いついてくれれば現行犯逮捕も容易なので気持ちは分からなくもない。
どう聞いても何か裏のある頼みに刑事さんは訝しげな視線を伯爵へ向けた。
他の警察達も困惑した面持ちだ。
「それだけ?」
「残念ながらな」
「人を数人寄越せなんて言うから、てっきりまたどこかに乗り込むものだとばっかり思ってましたよ」
拍子抜けした様子で大柄の肩が落ちる。
「少々よろしいでしょうか?」
二人の会話が途切れたところで声をかける。
「何だ?」
「囮でしたら、わたしでも十分なのでは?」
途端、ジロリとブルーグレーに睨み上げられた。
あれ。今、変なこと言ったっけ?
あまりに露骨過ぎる不機嫌さに思わずたじろいでしまう。
「ただでさえ危なっかしい者を、わざわざ危機的状況に送り出すと思うか? お前に囮なんぞ恐ろしくて滅多に任せられん」
「今までのはたまたまと申しましょうか……」
「偶然でそう何度もあって堪るか」
低い声に地雷を踏んでしまったと悟るも時既に遅し、これからお説教が続くのか雷が落ちるのか戦々恐々と身構えるわたしに伯爵は小さな溜め息を零して口を閉じた。
珍しくお小言がないので不思議に思ったが、目の前に座る刑事さんや警官の面々を見て納得した。
流石に彼らの前でお説教は宜しくない。
興味津々の体でこちらを眺めていた刑事さんがニヤニヤと笑う。
「坊主よお、あんまり旦那に迷惑かけなさんな」
明らかにからかいの色が含まれた言葉に、ニッコリ微笑み返す。
「世の中には余計なお世話という言葉もあるんですよ、刑事さん?」
「そりゃ失敬」
あっさり厭味を躱し、大柄な体を揺らして愉快そうに刑事さんは笑う。
もう少し言ってやろうかと口を開きかけたものの、伯爵の咳払いに出かけた文句を飲み込んだ。
「兎も角お前達には此方の捜査に入ってもらう」
「それは構いませんがね。で、どこに泊まれば良いんで?」
「セナ、地図を」
「はい」
説明し難い場所にあるらしく、事前に言われた通り持って来ていた地図を出し、テーブルの上へ広げる。
すぐさま伯爵は紙面の一点を指で示した。
「此処にあるタイナーズ・ロークというホテルだ。それぞれ部屋を分けて一人ずつ泊まれ。間違っても互いが知り合いだと悟られぬようにな」
「了解しましたっと。あ、宿泊費用は経費で落とさせてもらいますよ?」
「好きにしろ」
地図を覗き込んで素早く手帳に場所を書き留めつつ、経費の使用許可を得る辺りは刑事さんもちゃっかりしてる。
本当はその人喰いホテルに行ってみたかったのだけれど興味本位でそんなことを言えば、十中八九伯爵からカミナリが落ちることだろう。
食べるだけ食べた刑事さんは最後まで気まずげな表情だった他の警官を連れて帰っていった。
わたしがティーカップと空になった幾つかの皿を片付けている間も伯爵は何か考えている様子で視線を手に持つカップに落とし、片付けを終える頃にやっとブルーグレーの瞳が顔を上げる。
「もう一度学院に行く気はあるか?」
静かな問い掛けに頷く。
「伯爵の御意向とあらば」
今度は伯爵が頷き、ソファーから立ち上がるとサロンを出て行く。
その背を追ってついて行けば書斎に辿り着いた。
先に部屋へ入り椅子に腰掛けた伯爵はすぐさま机の引き出しから真っ白な便箋と封筒を取り出し、ペンをインクに浸け、サラサラと便箋の上を滑らせる。インクを乾かしたそれを丁寧に折りたたんで封筒に仕舞い、封がされた。
受け取った手紙の封蝋は珍しく無印だった。
「それを今から教授へ届けてきてくれ。セディナがお前であると分かる格好でな」
「畏まりました」




