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アルマン伯爵と男装近侍  作者: 早瀬黒絵
# The fourth case :The people who took the wrong choice.―間違った人々―
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道、六路。


 



 諦めて写真を封筒に仕舞い、懐へ戻す。




「情報、助かった。それでは失礼」




 二つの視線を背に受けながら店を出る。


 地図で女性が言っていたホテルを探せば、それは三つ向こうの路地にあるようだった。


 ……ホテルについても聞いてみるか。


 地図を畳み、アルジャーノンへ渡すと踵を返してまた別の脇道へと入る。


 早朝とは言え誰とも擦れ違わない閑散とした空気はどこか底冷えのする静けさだ。住人には悪いがあまり長居したくない場所だと微かに顔を顰めて、小さな立て看板が置かれている古物商へ足を踏み入れた。


 少し埃っぽく、皿に始まり本や靴、コート、置き時計など様々な物が壁一面の棚に乱雑に並べられている。


 古物商と言えば聞こえは良いけれど、要は貴族などの上流階級から流れて来た中古品を扱う店だ。




「どちらさんだか知らんが、まだ店はやってないよ」




 商品を眺めていたクロードの背につっけんどんな声がかけられ、振り返る。


 片足が不自由らしい老翁(ろうおう)が杖をついて店の奥からゆっくり歩み出て来た。




「申し訳ないが今日は買い物目的ではないんだ」


「何だ、冷やかしならとっとと帰ってくれ」




 にべも無い言葉だったが気にせず今までと同様に写真を出した。


 店主であろう老翁にそれを見せる。




「見覚えは?」




 老翁は写真を手に取り、老眼なのか顔から離して一枚一枚眺めていく。


 時間をかけて全ての写真を見終えた老翁が疲れたような、呆れたような顔でそれを突き返してくる。




「この二人は見覚えがあるよ。コイツは何回も来た癖に一つだって買やあしなかった。こっちの奴は半年くらい前に店の品を安くしろと大暴れした飲んだくれだよ。その時の怪我で足を悪くしちまって、全くいい迷惑さ」


「ふむ……」


「しかも、何てったって泊まってたのがあのホテルだ。ぱったり見かけなくなった時は『とうとうアイツらもか』って思ったがね」




 飛び出してきた単語に思わず目を瞬かせる。


 また()()()だ。




「それは向こうの通りにあるというホテルのことか? 先ほども別の所で少しばかり耳にしたが、一体どんな噂が流れているんだ?」




 クロードの問いに、店主は億劫そうに傍にあった古椅子に腰掛ける。




「何も知らんのかい? あのホテルは此処いらじゃ()()()()()()って呼ばれて有名だってのに」


「随分物騒な呼び名だな」


「そりゃあそうさ。あそこに泊まった客は皆、何時の間にか消えちまう。入ったら出て来れないから()()()なんだよ」


「……そうか」




 失踪者が頻繁に出入りしていた区画、人喰いホテルという噂。


 更に調べる必要性がありそうだと思案していたクロードに「行くのは止めときな」と店主が呟く。


 年老いて窪んだ瞳が仄暗い光りを宿し、椅子の背に体を預けた。




「あんたはまだ若い。死に急ぐ必要もないと思うがね」




 店主は何かを懐かしむように目を細めた後、そのまま話は終わったとばかりに瞼を閉じる。


 暫しの間クロードはその姿を見つめたが動く気配がない事に諦めて外へ出た。


 見上げた空は、古びた街並みに似合わない快晴だった。





* * * * *






 換気のために少しだけ開けておいた窓から馬車の音が聞こえて来て顔を上げる。


 読みかけの本に栞を挟み、立ち上がって窓の外に顔を出せば、馬車がガラガラと走る音が緩やかになる。


 歩いていたら出迎えは間に合わなそうだったので窓を閉め、ショールを椅子にかけると自室を飛び出し本館まで走って行き、本館からは早足で歩いて玄関ホールに向かう。


 玄関ホールに着くとタイミング良く扉が開く。




「お帰りなさいませ」




 わたしに気付いた伯爵が頷く。




「ああ、今戻った。本は読み進められたか?」


「はい、お蔭様で後数ページで終わります」




 伯爵はちょっと片眉を上げて「そうか」と言った。


 歩き出す背にアルジャーノンさんと共について行く。


 寝室へ到着し、アルジャーノンからアルフに引き継ぎがされ、伯爵とわたしは書斎へ入る。


 わたしが何も聞かないことに違和感を覚えたのか奇妙なものを見るような顔をした伯爵と目が合ったので、ニッコリ笑いかけておいた。


 伯爵が言わなくて良いと判断したなら、教えてもらえるまでは黙っていようと思う。


 更に変な顔をされたが見なかった振りをする。




「そういえば、お借りした本で気になる点があったのですが……」


「何だ」


「頭は解剖しないのですか?」


 聞いた瞬間、伯爵の顔が驚きに染まる。


 そんな驚くことでもないはずだが。




「献体が顔を隠している理由は知っているな?」


「ええ、献体された方個人の尊厳を守るためですね? ですが絞首刑や斬首刑に処される極悪人であれば公開処刑のはず。顔を隠す意味もないでしょう」


「それはそうだが……」




 死者への冒涜に当たるとして頭部を見てはならない解剖学の世界の常識からしてみれば、かなり異例だろうが、脳の病もあれば先天性の異常が行動などに現れることもある。


 わたしからすれば解剖する時点で大なり小なり死者を冒涜しているのだけれど、そこは考え方や価値観の違いなのかもしれない。


 こういう仕事に就いているからなのか、伯爵は特定の宗教に教会に行くこともしない。食事の挨拶や他の人との会話は行うがそれは日常に根付いた習慣のようなものだ。


 無神論者かと言われれば違う気もするけれど、思い返してみると宗教関連の話はしたことがなかった。


 今度その方面についても話してみたい。


 そんな事を考えつつも、それ以上の発言は慎んだ。あまり過激と思われることばかり口にして伯爵を困らせてもお互い気まずくなる。


 わたしの言及が止んでホッとしたのか伯爵は顰めていた眉を戻し、机に向き直った。






* * * * *






 翌朝、前回同様に髪を染めて編み上げ、化粧と黒子を施した姿で鏡の前に立つ。


 おかしな所はないはずだ。


 上着の内ポケットにハンカチを忘れずに入れておく。……見学中に吐き戻すなんてないだろうけれど、持っているに越したことはない。


 今日は朝食もしっかり食べたし、昨夜のうちに読み切った医学書で大体のイメージが出来上がっているので実際目の当たりにしても大丈夫だと思いたい。


 こちらの世界は首から上に手を触れないので頭蓋骨をノコギリみたいなもので切るようなスプラッターな場面は見ずに済みそうだ。解剖自体がそうだと言われると否定の仕様がないが。


 元の世界でスプラッター映画も散々見た。


 あの手の映画は意外と侮れない。リアリティさは兎も角、グロテスクさにはかなり耐性がつくはずだ。


 書斎へ行き、扉を叩けばすぐに入室の許可が下りた。




「失礼します。それでは、わたしは学院へ行って参ります」


「もうそんな時間か」




 椅子の肘掛けに頬杖をつきながら窓の外へ視線を投げやって考えことをしていたらしい伯爵が振り向く。


 立ち上がって飾り棚へ寄ったかと思うとわたしの前まで来て腕を上げた。


 同時に頭上でプシュッという軽い音がした。少量の霧状の液体が降り注ぐ。




「ちょっ、何っ――……香水?」


「これで多少は血の臭いも気にならないだろう」


「……良い匂いですね」




 爽やかなシトラス系の香りに僅かな苦味の混ざったそれは初めて嗅ぐ匂いだった。しつこさがない。伯爵が愛用するものとは違うが良い香りであるという点は同じだ。


 香水の瓶を戻した伯爵が行けとばかりに手を振る。




「無理はするなよ」


「はい、心得ております。お気遣いありがとうございました」




 心地良い香りに包まれて書斎を出る。


 伯爵の馬車では人目に触れると(いささ)かマズいため、今回もキースに馬車で送ってもらう予定だ。


 玄関ホールの隅で待っていると、然程経たずに裏口よりやって来た友人がニッと笑う。




「すみません、今日もお願いします」


「良いんだよ、どうせ俺も暇だし――……あれ、この匂い……?」




 歩きながら歩調を落としたキースが一瞬横に並び、わたしを不思議そうに見た。


 裏口に停めた馬車に乗ると、再度確かめるようにキースが匂いを嗅ぐ。




「やっぱり。伯爵の香水の匂いだ」


「普段使いでもないのによく分かりましたね。これで血の臭いも多少は無視出来るだろうって、出掛ける間際にかけられたんですよ」


「へえ。それにしても良い匂いだよなあ、それ。調香師に頼んで作ってもらってるヤツだって前に聞いたけど、調合内容は教えてもらえなくてさ。付けてるのも舞踏会くらいだし」


「そうなんですか?」


「そうそう、こんな良い匂いなのにたまにしか使わないなんて勿体ない」




 服に鼻を寄せて匂いを嗅いでみる。


 伯爵自ら作らせたという柑橘系を使った爽やかながらも上品な香りに、改めて彼のセンスの良さを実感した。


 学院のすぐ傍、門が見えるか見えないかの位置で馬車を降りてから少しばかり道を歩く。


 頭の中には昨日の内に詰め込めるだけ詰め込んだ知識が右往左往していて、目に映る景色の中にまで文字の羅列が浮かんで見えそうな勢いだ。


 得意な一夜漬けも流石にやり過ぎた。


 軽く頭を振って混沌とした思考を落ち着けつつ、学院に足を踏み入れる。


 簡単な身分証の確認だけで門番はわたしを通した。


 随分人が多い。元の世界で言うなれば今日は平日なのだから、ここにいるのは全員この学院に通う院生なのだろう。誰もが私服なのでわたしも紛れ易くて助かる。


 数人で固まっている人々もいれば一人の人もいて、世界が変わっても学校の雰囲気というものは大して変わらないんだなと内心で苦笑が零れ落ちた。


 人混みを抜けて解剖学部のある建物へ着き、中へ入る。


 何人かの院生が廊下におり、扉の開閉する音に気付いたのか振り向いた。


 その場にいた全員にジッと見つめられ、それにニコリと笑い返しつつ彼らの脇を通り抜ける。


 教授の部屋の扉を叩けば数拍の間を置いて開き、出て来た人物はわたしを見て柔らかく(まなじり)を下げて室内へ招き入れてくれた。




「ああ、来てくれたんだね。嬉しいよ」


「あはは、お言葉に甘えて押しかけてしまいました」


「誘ったのは私なのだから幾らだって押しかけて構わんとも。さあ、此方へ。見学の前に気分の落ち着くお茶を御馳走しよう」


「ありがとうございます。前にいただいたものも美味しかったので楽しみです」




 ソファーに促されて座ると、前回と同じく教授がお茶を淹れてくれた。爽やかな香りが室内に広がる。香りからしてなるほど、ハーブティーだった。


 朗らかな微笑に釣られてわたしの顔にも笑みが浮かぶ。


 二人揃って暫しハーブティーを堪能し、どちらからともなくカップをテーブルへ置いた。




「改めて、今日はよろしくお願いします」


「此方こそ。さて、初めての君には先に今日の一通りの流れを説明しておこうか」


「はい」




 そこから大雑把な今日の予定と見学中の注意やその理由に関する説明を教授が自ら教えてくれた。


 今回解剖される献体は三つ。教授が受け持つ生徒数は十五人なので、一つの献体を五人で解剖するらしい。わたしは邪魔さえしなければ好きに見て回って構わないようだ。


 見学上の注意は四つ。


 一、器具や献体には触らないこと。

 二、院生が器具を持っている間は無闇に話しかけないこと。

 三、具合が悪くなったら速やかに教授へ申し出ること。

 四、解剖室内で見学した内容は吹聴しないこと。


 どれもごく当たり前の注意事項だが、自分勝手にあれこれと弄ったり言い触らしたりしてしまう者も実は多いのだとか。


 そんな見学者は監督する側としては御免(ごめん)(こうむ)りたいだろう。


 わたしがそう問うと教授は苦笑した。




「君は、この街に医者が何人いるか知ってるかね?」


「いいえ、知りません」


「医師連盟に百人弱。そのうち貴族や王族を診ている者が二十から三十人ほどで、残りが街医者だ」


「……たったそれだけ?」




 他の街や他国の王都へ行く機会がないから比べることは出来ないけれど、わたしの感覚からすれば王都はかなり広大な街だ。


 そこに医者がたった百人。


 貴族や王都専用の医者は民間人相手に診療はしないそうので、残り七十人弱が街の人々を診る訳だが、それじゃあいくら何でも医者が足りない。


 少なく見積もっても万単位の人々が暮らしている。


 それを百にも満たない医者達が診るのはハッキリ言って不可能に近い。




「学院を出た方々はいないのですか?」




 院生がこれだけいるのだ。卒業した中の何人かは街医者になるだろう。


 しかし教授は静かに首を振った。




「此処に通う院生の(およ)そ半分は君と同様に地方から来ていてね、卒業後は生まれ故郷で医者として働かなければならない子達ばかりなんだよ」


「王都で働くお医者様は少ないまま、と言うことですか……」


「そうなんだ。でも、どんな若者でも先ずは受け入れてみないと。最初から可能性を潰していては医者も減る一方だからね」


「……少しでもお医者様が増えるといいですね」




 先ほどのわたしの質問は無知だったと恥ずかしくなった。


 医師不足を危惧し、そのためならば苦労も(いと)わない教授の姿勢は絶賛に値する。流石は伯爵の恩師だと頷く他ない。


「すぐに熱くなってしまうのが私の悪い癖だ」と笑う教授に、そんなことはないと思ったが、タイミング悪く部屋の扉がノックされてしまう。


 教授が出れば、その肩越しに院生だろう人が立っていて「教授、そろそろ……」と言った。それに頷き、院生に先に解剖室へ行くよう告げ、扉を閉めた教授は暖炉の薪を崩して火を消した。


 わたしも渡された紙を手に教授と共に部屋を出る。


 院生達は解剖室にいるのか廊下に人気はない。




「これを付けて。解剖中は外さないように」


「はい」




 渡された当て布で鼻から口元まで隠すように覆い、後頭部でしっかり縛る。


 教授も同様に布を口元へ巻いて解剖室へ立ち入った。


 中には五人ずつに分かれた院生のグループが三つ、献体の寝かされた台の傍にそれぞれ立つ。


 誰もがわたしを見て不思議そうな顔をしたが見学者だと教授が一言紹介すれば納得した様子で視線は離れていった。顔の上部しか見えないけれど、先ほど廊下で擦れ違った院生も何人かいる。


 教授はつい今し方わたしへ説明してくれた今日の予定を更に簡単に言い、院生達と大まかな流れを確認し合う。それを終えると担当の献体の下へ院生達は行き、全員が手を胸に当てて祈りを捧げた。




「主よ、罪深き我等をどうかお赦しください」




 懺悔のように教授が呟く。院生達は数拍の間、黙祷し、各々に器具へ手を伸ばす。


 それからは静かだった室内に一つ、二つと声が響く。やり方は院生達自身で決めているらしく解剖の手順もそれぞれ違うようだ。


 とりあえず一番近くのグループへ歩み寄る。


 献体は女性だ。体つきからしてあまり若くはなさそうだが、ふくよかで、骨盤が開いているのか腰回りの幅があった。


 鎖骨の上辺りから頭部を白い布で覆われているため顔は分からない。



 

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