道、二路。
* * * * *
それから三日後にキースと友人の予定が合い、わたしはリディングストン侯爵家にお邪魔することとなった。
伯爵はいない。他に仕事があったため諦め、ついて来そうだったイルは宥めすかし、馬車でわざわざ迎えに来てくれたキースはわたし達の攻防を見て始終笑っていた。
「あいつ、凄くセナに懐いてるな」
呆れたような口調だが浮かぶ笑みは優しい。
「わたしにとっては可愛い弟分ですから」
「いいな、俺も弟が欲しいよ」
「それはご両親に相談なさってください」
わたしの言葉にキースは「年齢的にそれは無理だって!」と言い、二人揃って声を上げて笑った。
こういう気安さが彼の美点だ。世間一般では軟派者と呼ばれてしまう気質だが、相手に気兼ねさせない親しみやすさと明るさがあって話しやすい。
笑いが収まり、どちらからともなく顔を寄せる。
が、生憎そこには男女間の色恋はない。
本来の性別を明かすタイミングを逃したまま惰性で一年も経ってしまい、いまだにキースはわたしを男と認識している。今更訂正しても混乱は必須なのでとりあえず放置状態だ。
「御友人はお屋敷に?」
「ああ。一応、裏口から通した。誰にも見られてないと思う」
学部の内情を漏らすのは御法度なので、彼の友人の立場を考えれば出来る限り怪しまれないようにしたい。
「御者に口止めすんのは慣れてるからな」とウィンクしてくるキースに苦笑してしまう。遊びに行く時にこっそり裏口を使うのだと容易に想像出来た。
あらましを復習しておこうと何時もの癖でポケットに手を入れ、はたと気付く。
…………手帳忘れた。
事件後には関連する情報が漏洩しないように紐を解いて使用したページを外し、燃やすため、手帳は自分でページを足している。
そろそろ新しくページを足さなければと自室の机に置き、そのままだ。中身は真っさらなので見られても困らないからいいか。
キースの友人の前で話を聞きながらメモを取るのも、相手がきっと落ち着かないだろう。
「セナ? どうかしたか?」
一瞬固まったわたしにキースが首を傾げる。
「いえ、何でもありません」
手帳がなくとも事件に関しては覚え切れる自信もあるし、問題ない。
侯爵家の裏口に到着し、まず先にキースが馬車を降りた。
どうやら客人として扱ってくれるらしい。
地面に足を下ろして見上げた先にある建物に、思わず呟きが零れ落ちる。
「……何度見ても大きいですね」
「そっか? 侯爵家ならこんなもんだろ」
独り言へ律儀にも返事をしてくれたキースの後を追って裏口へ向かう。待機していたのだろう。流れるように使用人が扉を開け、廊下を通り、伯爵の屋敷よりも二回りは広くて豪華な造りのホールに感嘆の溜め息が出そうになった。
客人として来るのと伯爵の近侍として来るのでは、やはり気分的にも全く違う。
キースに案内されたのは彼の自室に繋がる小さなサロンだった。
ノックもなしに躊躇いなく扉が開けられる。
室内で落ち着かない様子で紅茶を飲んでいた青年がパッと顔を上げる。金に近い淡いブラウンの髪に、それと同色の瞳。色合いは違うが伯爵同様全体的に色素が薄く、そのせいか男性なのに折れてしまいそうな儚い雰囲気がある。
失礼に当たらない程度に観察しながらわたしも部屋に入る。
「悪い、待たせたな」
「いや、そんなに待ってないよ。そもそも頼んだのは僕の方だし……」
外見に似合う柔らかな声音にキースがホッとした表情で「そっか」と笑い、わたしに視線を移す。
こちらから挨拶をした方が良いだろう。出来るだけ人好きのする笑みを浮かべ、胸に片手を当てて軽く会釈をする。
「初めまして、セナ・シェパード=ソークと申します。仰々しい名前ですが、異国の地よりこの国へ参りましたので平民と変わらぬものとして扱っていただけたら幸いに存じます。どうぞよろしくお願い致します」
そう挨拶をすると何故か彼は慌てた表情で立ち上がり、手を宙に彷徨わせて何かを言おうとし、しかし言葉が見つからなかったのか眉を下げてキースへ視線を泳がした。
首を傾げていれば隣りに立っていたキースに肩を叩かれる。
「セナ、固過ぎ。あいつは商家の出なんだし、もっと気楽で良いんだよ」
キースのツッコミに「しまった!」と気付く。普段地位が上の人ばかり相手にしていたので、ついつい目上の者に使うような丁寧な挨拶をしていたのだ。
これでは彼の友人が困るのも当たり前だ。
自分の身分に相応しくない挨拶に困惑させてしまった。
「ああ、すみません。何時もの癖が出てしまいました。……改めてセナと申します」
「いえ、僕はカルクィートです。商家の出なので堅苦しいのは苦手で……」
「分かりました、わたしもセナと呼んでいただけたら嬉しいです」
握手を交わし、緊張した面持ちの彼にニコリと笑いかける。
ちなみに『シェパード=ソーク』は伯爵がわたしの名前を入国申請書へ記入する際、この国でも違和感がなく、かつ音の響きの近いものを合わせて作った名前だ。後で聞いた時に「わたしは犬か」と思ったが此方にシェパードという名前の犬種がいないと知り、もう申書も出してしまったので諦めた。
この入国申請書と名前に関しては他にも問題があるのだが今は割愛しよう。
それから三人でソファーに腰掛けた。キースとカルクィートさんが一緒に座り、わたしは対面のソファーに座る。勝手に失礼して紅茶を淹れ直すと喉が渇いていたようでキースがすぐに一口飲んだ。
勝手知ったる我が家だからか、もうクッキーに手を伸ばす姿に苦笑して向き直る。
それで察したのかカルクィートさんも背筋を伸ばす。
「ある程度の話はキースから聞いていらっしゃるかと思いますが、僕が通う解剖学部の献体のこと、本当に調べていただけるんでしょうか?」
「勿論です。事件性の有無に関わらず、お話を伺った以上は調べさせていただきます」
「そうですか……。すみません、疑うようなことを聞いてしまって。セナさんの所作を見る限り身分の高い方に仕えているようでしたので、僕のような者の話を聞いてもらえるのか不安だったんです」
「先ほど言った通りわたしは平民と変わりません。例え従者であろうとも、わたし自身は平民のようなものですよ。何より友人からの頼みを断る理由がありません」
そもそも今回は興味本位で首を突っ込んでいる節がある。
「いいんだよ。セナが仕えてる人も了承してくれてるし、そもそもその人だって少なからず今回の事は気になってるみたいだからさ」
なんて言われたキースの言葉にわたしも同意して頷く。
そうそう、伯爵も気になってるから止めないんだ。
カルクィートさんはキースの言葉に安心したのか肩の力を抜いてソファーに座り直す。
話を戻すタイミングを作るために紅茶に口をつけて間を取る。
「では、お手数ですが最初から話していただけるでしょうか?」
「はい。実は疑問を感じたのは一年ほど前のことで――……」
時折言葉を詰まらせながらもカルクィートさんは話してくれた。
彼が解剖学に足を踏み入れられるようになったのは二年ほど前で、どの教授の下で学ぶか悩んでいた際に先輩から医学部よりも人体について学べると今の解剖学部を紹介されたそうだ。
老若男女様々な解剖が出来て、しかも他の学部よりもその頻度が高い。
解剖の回数が多いということは学ぶ機会がそれだけ増えるという訳で、先輩に勧められるまま解剖学部に入った。誘い文句通りその解剖学部では沢山の献体を解剖する機会があり、最初は喜んでいたのだが、一年前に妙な献体が解剖に回されてきて、それから疑問を感じるようになったとか。
「それはどのような遺体だったのですか?」
「所々足りないと言えばいいのか……。元々、欠損遺体は何度かあったんですが」
「欠けている理由をお聞きしても?」
「構いません。知っていらっしゃるかもしれませんが、家族や本人の意思で死後に遺体を学院に納められる方々がいます。個人の特定を防ぐなどの理由で教授が前もって献体の特徴のある部分を切除する場合もあります。でも欠けた遺体は正直解剖学には不向きなんです。……あ、すみません。献体してくださる方々のお陰で僕達は医学を学べるのでこういった言い方は良くないですよね」
カルクィートさんは我に返った様子でバツが悪そうに視線を一度逸らし、紅茶を飲んで気を落ち着けてから再度口を開く。
「兎も角、どう考えても個人を隠すのとは無関係に思えたんです。教授が行ったにしてはあまりにも雑で乱暴な切り口をしていたものですから」
その光景を思い出したのか、項垂れた背を励ますためにキースが軽く叩いた。
欠けているからと言っても事件性のない場合もやはりある。必死に悩む好青年には申し訳ないが、今回の件はこの世界の医学分野を勉強する良い機会かもしれない。
肩を落としつつもカルクィートさんはティーカップに再度口を付けた。
「違和感を覚えた遺体に何か……性別が同じ、年齢が近い、といった共通点はありませんでしたか?」
「いいえ、特には――……あ、そういえば一年ほど前までは若い女性の献体が非常に多かったですね。最近はめっきりなくなってしまい、逆に年嵩の男性の献体が増えたように感じます」
それ何らかの事件と関連するなら、何時の世界の何時の時代も、女性とは犯罪に巻き込まれやすいものなんだなと少しだけ暗い気持ちになる。
自ら危険に飛び込んだり首を突っ込んだりする自分とは訳が違う。
巻き込まれるというのは想像以上に恐ろしく、何の抵抗力もない女性が犯罪者に抗うのは難しい。犯罪がなくなる日など、きっと世界が終わらない限りありはしないのだろう。
暗くなる感情に蓋をして質問を投げかける。
「解剖に使われる遺体を集めるのは確か教授でしたね?」
「ええ、学部の教授か助教授です。僕の通う解剖学部は教授だけで行っているそうです。死刑囚は順番が決められているので、刑の執行後に順番が回ってきた学部が受け取ります。他の献体は、その……」
「?」
急に歯切れが悪くなったカルクィートさんを不思議に思っていると、それまで黙っていたキースが口を開いた。その表情は不機嫌と不愉快の丁度中間である。
「一番金払いの良いとこに持ち込まれるんだってさ。嫌だよなあ、死んだ後に自分の体に値段付けられるなんて。俺なら絶対に御免だね」
行儀悪くクッキーを銜えたまま、両手を胸の前で垂れ下げて『怨めしや』のポーズで話すキースをカルクィートさんが名前を呼んで制する。
だが当の本人はどこ吹く風で肩を竦めるとまた皿へ手を伸ばした。
「そういうことですか。まあ、献体する側の事情もありますからね」
遺族が金に困っていれば遺体は最も多額の金を払ってくれる学部へ売られる。
その恩恵を授かっているという自覚があるからこそ、あまり口にしたくなかったのだろう。それを恥ずべきことと思っているならカルクィートさんは常識人だ。でも同時に甘い人でもある。
大切な家族の体を切り刻まれることと今後の生活を考えれば、少しでも多くの金を請求したくなる気持ちも分からなくはない。本当に嫌ならどれだけ金を積まれても断るはずだ。その誘惑を断れないくらい貧困に窮した人々もいるのだ。
そんな世の中の仕組みを悪と断じるのも早計だろう。
需要と供給が噛み合うからこそ、それはあるのだから。
このことについては、わたしが考えたところでどうにもならない。この仕組みが医学の進歩に貢献しているなら無関係な人間が感情だけで声高に非難するのはお門違いというものだ。
「遺体の入手方法については何も言いませんが。そうですね、出来れば解剖学がどのようなものなのか学院の内情も含めて調べたいのですが、やはり関係者以外の立ち入りは出来ませんか?」
わたしはこの世界の学校に通ったことがない。以前、伯爵に連れられて行った学院ではただ見学のようなことをしただけなので、どんな人々がどんな風に学んでいるのか分からない。
「はい、関係者以外は門前払いかと思います」
「関係者か関係者候補になれば問題ないんだろ?」
「ああ、その手がありましたね」
カルクィートさんは理解出来ていない様子で「え?」と、わたしとキースの顔を交互に見る。
悪戯っ子の笑みを浮かべるキースとニコリと微笑むわたしに何かを感じ取ったのか、何か問いかけようとし、やがて諦めたようにカルクィートさんがティーカップの中身を全て口に含む。
大事の前の小事というのは得てしてあるものだ。
その後も学院について幾つか質問をした。
最後まで胡乱な視線をカルクィートさんから向けられつつ、キースと共にわたしは侯爵家の馬車に乗り、屋敷を後にした。
その際に何点かお願いしておくことを忘れない。
一つ、もしも学院内でわたしと会っても見知らぬ振りをする。
二つ、今回のことは他言無用。
三つ、わたしへ連絡をする場合はキースを通して行う。
これは彼自身のためである。わたしとは無関係だと思われていれば、仮に今回の調査が露見したとしても彼に嫌疑の目が向き難くなるからだ。最初はやや不満そうにしていたものの説明すれば渋々了承される。
そういう裏方はわたし達の方が慣れているので下手に手伝う必要はない。
この調査が終わるまではキースの案により、カルクィートさんは暫く学院内でキースと行動を共にすることとなった。その方がわたしとしても安心なので是非そうしてもらいたい。
ガタガタ揺れる馬車の中で今日聞いた話を昨夜の話と纏め、それから伯爵の助力を得る画策をしつつ、それに伴って必要となりそうな物を頭の中にメモしていく。
興味津々の体でこちらを見ていたキースに、馬車から降りる時に頼みごとをした。
「今から言うものを至急取り寄せていただけますか?」
それを聞いたキースは訳知り顔で頷く。
「分かった。手に入ったらセナ宛てで伯爵家に送っとくな」
「お願いします」
至極楽しげな顔のキースを乗せた馬車が見えなくなるまで見送り、それから屋敷の裏手に回り、使用人用の扉を開けて中へ入る。
懐中時計を確認すると昼食の時間直前だった。
伯爵への報告は食後だな。昼食を食べ損ねるのは少々辛い。
使用人食堂へ向かい、集まった上級使用人で食堂に入り、同じ手順で料理を配る。そうして会話の殆どない食事を終えて上級使用人は席を立ち、デザートを食べにハウスキーパーズ・ルームへ移動する。デザートに食べたプディングは美味しかった。
食後、伯爵の昼食の時間に何食わぬ顔で出て行けば主人がチラとこちらを見た。
気にはなるが急いで聞くというほどでもないらしく、普段と変わらないペースで恙無く食事を終えた伯爵が端的にわたしの名を呼び、書斎へ向かう。
呼ばれたわたしも黙ってその後ろに続いた。
寝室を抜けて書斎へ入り、伯爵は執務机の向こう側に座る。
「それで、どうだった?」
そう聞いてくる伯爵に、わたしは今日聞いた話を全て伝えた。
ついでに適当に学院へ立ち入れる身分を作って欲しい旨も言うと、呆れた様子で眉を片方上げたが、それが一番手っ取り早くて確実だと考えたのが頷きが返される。
「分かった、適当なものを用意しておこう」
「助かります。ところで……」
学院へ立ち入ることが最大の問題だったので、それが解決されれば何とかなる。
ブルーグレーが再度こちらを見た。
「本人の了承なしに、勝手に許可を出さないでくださいよ」
片眉を器用に上げて伯爵が口を開く。
「エンバーはお前の友人だろう? 協力すると分かっていたから前以て許しを出しただけだ」
「それはそうですけど、せめて確認くらいはしてください」
「お前が断った場合は諦めろと言ってあった」
「そうですか。でも次からはまず確認をお願い致します。もしもわたしの手に負えない件であれば伯爵にも、リディングストン侯爵家の方々にも迷惑をかけてしまいますので」
「……ああ、分かった」
その「お前に手に負えない事件があるのか」と言いたげな雰囲気は止めて欲しい。
わたしではどうしようもないことなど、この世には星の数ほど溢れているのだから。




