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アルマン伯爵と男装近侍  作者: 早瀬黒絵
# The second caso:Frutta proibite.―禁断の果実―
27/120

実、十三口。

 



 伯爵の言葉にわたしの中で何かが切れた。


 (せき)を切ったように言葉にならない声が漏れる。


 ここの穏やかな生活が、子供達の笑い声が結構好きだった。疲れるまで遊んだり、シスターの手伝いをしたり、たまに子供達に悪戯されたりして、一緒に教会の掃除もして。そんな些細なごく普通の日々が楽しかった。


 沢山の弟や妹ができたようで嬉しかった。それぞれ個性があって、皆が皆を支え合って一生懸命に日々を生きているそれは一つの大きな家族みたいに温かかった。


 この世界に来てからあまり元の世界の家族のことを思い出さないようにしていた。


 それでもこの教会での生活は元の世界にいる家族と一緒に過ごしたかの如く温かくて、居心地が良くて、当たり前の小さな幸せを噛み締めて暮らす穏やかさがあった。


 そんな温かさを分け与えてくれた子供達が、わたしは大好きだったんだ。




「ぅあ、ぁ……っ、アルっ、アルディオ……っ。ごめん。……助けられなくて、ごめん……っ!」




 本当は守りたかった。誰も傷付かずに生きて欲しかった。


 あんな暗く冷たい地下室で親代わりに育ててくれたシスターに裏切られ、短い人生を奪われるなんて、あまりにも哀しくて痛ましい最期だった。まだまだやりたい事もあって、これからがあったはずなのに。


 伯爵に抱き締められたまま、二度と返事をすることのない人物の名前を呼び続けた。






* * * * *






 地下室はその日のうちに中にあったものを全て運び出された。


 アルの遺体は孤児院の子供達全員で別れを告げた後、近くの共同墓地へ埋葬されることとなった。


 殺された大勢の子供達も引き取りに来てもらえる子もいれば、失踪届自体が出されておらず身元が分からないままの子もおり、残された子達はアルと共に共同墓地に埋葬される。


 こんな言い方は良くないのだろうけれど、一人ではないからきっと寂しくないだろう。


 葬儀で参列するイルは気弱な見かけとは裏腹に涙を一切見せず、棺へただ一言「ごめんね」と呟いた。


 わたしはもうお芝居をする必要もなくなり、何時もの近侍用の服に身を包んで参列した。驚いたことに伯爵も葬儀に参列した。……というか葬儀代は全て伯爵が支払ったのだ。


 聞いてみたら、これも慈善活動の一環のようなものだと言う。


 それから皆で別の教会へ引っ越すと決まったそうだ。


 あの教会に居続けると子供達が思い出してしまうからと神父が悲しげな顔で言っていた。その神父も別の教会へ子供達が引っ越すのを見届けた後は聖職者の職を辞して王都を出ると話した。




「私は神に仕える身として赦されぬ罪を犯し続けました。これから(のち)は生まれ故郷の田舎で目立たず、懺悔と祈りを捧げる日々を過ごそうと考えております」


「そうですか。ええっと、犯人と勘違いしてしまい申し訳ありませんでした。それと薬をかけてしまった件も……」




 彼は緩く首を振ってわたしの言葉を止め、少し困った風に微笑するだけだった。




「帰るぞ」




 子供達やシスター達と別れの挨拶を済ませたわたしにそう言って、伯爵は馬車に乗り込む。


 私も続いて乗ると扉が閉まり、やがて馬車はゆっくりと走り出した。別れが悲しくなるからと見送りは断ったが、離れていく教会の影に胸が痛んだ。新しい教会も王都内だが離れた場所にある。


 新しい教会を探して引越しの費用も伯爵が負担してくれたらしい。


 慈善活動だの貴族の義務だのと何だかんだ言っていたが、この人は優しい。


 斜め前に座る伯爵は目を閉じたまま腕を組んで背もたれに寄りかかっている。


 引っ越したらあの教会は壊されてしまうのだろうか。それとも放置されたまま朽ちてしまうのだろうか。あの地下室もやがては風化して土に埋もれ、事件と共に人々の記憶から忘れ去られるのかもしれない。


 そう思うと少し、息を吸うのが苦しくなった。


 こういった事件こそ忘れ去られるべきではないというのに。






* * * * *






 シスターが逮捕されて一週間が経った。


 伯爵の話だと、もう子供達は引っ越しを済ませ、あの教会は無人だそうだ。


 わたしは壁を殴った傷、爪で出来た傷、薄いながらもついた首の切り傷のことで伯爵に散々お小言を言われた挙句、わざわざ伯爵家お抱えの医者にまで診察されるハメになった。ついでに休日でも外出禁止令を出された。過保護め。


 だがダメだと言われるとやりたくなるのが人情というもので、こっそり屋敷を抜け出した。


 こうして人目を忍んで屋敷を抜け出すのは数ヶ月ぶりだが懐かしい。


 教会に行くと一週間前まで人が住んでいたとは思えないほど古びて見え、踏みしめた砂利が寂しげに声を上げたが、子供達の笑い声もシスター達のお喋りも聞こえない。


 建物に入り、薄暗い廊下を歩き、倉庫の入り口に来る。わたしが壊した扉は脇に避けられたまま、ぽっかりと開いた出入口を覗くと中身が残されていた。


 誰も手をつけなかったのだろう。


 部屋に残る埃っぽさと、微かな()えた臭いに躊躇ってしまう。


 それでも部屋に足を踏み入れ、持ってきたお手製の松明(たいまつ)に火を灯す。そこそこ太くて長い規格外の安い薪の先に油を染み込ませた布を巻き、手元にも適当なボロ布を巻いただけの粗末なものだ。


 松明の火が落ち着いたので地下への扉を開けて下りて行く。


 地下室は両側の壁にあった棚が外され、何もないがらんどうの状態だった。


 奥まで進むと、暗闇に見慣れぬ物が置かれていて思わず立ち止まる。


 花だ。可愛らしいカラフルな色をした、小さめの花束と大きな花束が一つずつ、アルの倒れていた場所に供えられている。子供が喜びそうなこの花束達は誰が置いたのだろう?




「――……セナ」


「!」




 幼い声に振り返ると、何時の間にか背後に伯爵が立っていた。


 カンテラを持つその背後から出てきたイルが歩み寄り、わたしの手を握る。


 小さいけれど水仕事をしている手は荒れていたが温かい。




「ボク、アルに酷いことしちゃったんだ……」




 呟かれた言葉にズキリと胸が痛んだ。


 事の詳細を聞いたのだろう。




「ごめんねって言ってもきっと許してくれないと思う。でも、しっかりアルに謝ったよ。もう逃げないって、今度は必ず戦うって約束もしたよ」


「そう、ですか……」




 だから葬儀の時に泣かなかったのかもしれない。


 まだ十歳なのに強いな、と思う。


 我慢しているのだとしても、真っ直ぐな目は力強く前を向いていた。




「あとね、セナがシスター・ヘレンを殴ったって聞いたんだ。アルのことですごく怒ってくれたって。ありがとう」



「お礼を言われるようなことは何もしていません。結局アルを助けられなかったんですから」


「でもセナはボクを助けてくれたよ?」


「我儘かもしれませんが、わたしは両方助けたかったんです」




 屈んでイルの顔を覗き込む。


 あの気弱そうな表情はなく、少しだけ眉を寄せて心配そうにわたしを見返す。


 すぐにギュッと抱き付かれてわたしも抱き締め返す。


 アルもいれば、きっと、もっと温かかったんだろうな。


 少しだけ体を離したイルが口を開いた。




「ボクもセナみたいになる。困ってる人をたくさん助けるんだ! 悪いやつを捕まえれば怖いこともなくなるもん! それで警察にもなる!」


「そうですね、イルならきっと出来ますよ」




 思わず笑顔になる。イルの気持ちを考えたらシスター・ヘレンを憎むのは当然のことだが、そのために復讐に人生を費やすようなことだけはして欲しくなかった。


 憎しみや悲しみを乗り越えようとするその姿勢が嬉しかった。




「それでね、ボクも()()()のお屋敷に行くって決めたんだよ!」


「そう。……って、え? 旦那様?」


「うん、旦那様!」




 イルの視線に釣られて伯爵を見上げれば、ブルーグレーが半眼になっている。




「何度断っても聞かんし、延々後を追いかけて来る。屋敷の門前で追い払われても全くめげない。最後には門番達に泣いて縋り続けるものだから、話だけでも聞いてやってもらえないかと門番達が遠回しに言ってきてな。お前に負けず劣らず(たち)が悪かった」




 溜め息混じりの言葉に今度こそ声を出して笑ってしまった。


 泣く子と何だかには勝てないってわけですか。


 顔を戻すとニコニコ顔のイルがいた。


 (アル)は死んでしまったけれど、それでもまだこの子がいる。他の子供達も別の教会にいてアルや殺された子供達がいたことを覚えてくれている。シスター・ヘレンを逮捕して、これ以上の被害を抑えられた。全てを守れなかった訳じゃあない。


 地下室から出て行く伯爵の背中をイルが追いかけたので、繋がったわたしの手も引っ張られる。


 足を踏み出した時、松明を握るもう片手に温かな何かが触れた。


 ハッと振り返ってみても暗闇にあるのは二つの花束だけ。


 しかし手には温かな感触がはっきりと残っており、それは繋いだイルの手とよく似ていた。




「――――どうか応援してあげてください、アル」




 幽霊なんてものは信じていなかったけれど、今だけはその存在を信じてみたいと思う。


 残った温もりを記憶に強く刻み込んでわたしも前を向いた。


 こんな暗い部屋とは、もうさよならだ。


 手を引かれるまま地下を出て教会の外へ行くと、門前に見慣れた馬車が停まっている。


 急かすイルと共に小走りでそれへ近付く。この教会に来るのもこれが最後だろう。


 繋がった小さな手の主に視線を落とす。




「イル。今更ですが、あなたのきちんとした名前を聞いてもいいですか?」


「うん、ボクはイルフェス! イルフェス=ハーパーだよ! よろしくね!!」




 満面の笑みの向こうで、振り返ったブルーグレーが優しく揺れた気がした。









# The second caso:Frutta proibite.―禁断の果実― Fin.



 

≫題名‘禁断の果実’について


禁断の果実(きんだんのかじつ、Forbidden fruit)とは、それを手にすることができないこと、手にすべきではないこと、あるいは欲しいと思っても手にすることは禁じられていることを知ることにより、かえって魅力が増し、欲望の対象になるもののことをいう。Wikipediaより引用。


カニバリズム=禁断の果実。

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